第九章 地獄のおわり
投げられた石を、一つ残らず拾い集めて積みあげるように。
「カモミールは取るに足らない小者である」というあちら側の油断を最大限に活用させていただき、証拠を確保してまとめる日々。
それが苦痛から習慣に変わった頃、その知らせはもたらされた。
知人の配信者が、長期間の誹謗中傷や嫌がらせに対して、法的措置を実行したのだ。
匿名掲示板やSNSの匿名に隠れて誹謗中傷していた卑怯者達が、法律のもと、正体を暴かれていく。私への嫌がらせも、彼のリスナーであったことがきっかけで始まったもの。 彼のリスナーでいると、彼を支援するとこんな目に遭うぞと、見せしめにして彼の周りから支援者を排除したかったのだろう。
だが、たまたま標的にした『カモミール』が、セクハラ画像を作って晒しあげても、セクハラ動画をSNSのみならず大人向け動画サイトに転載しても、偶然を装って[本当の名前]を暴露しても潰れないどころか、逆に証拠を確保してまとめ始めた。
そこで、叩けば音が出るオモチャから、目障りな女に認識が変わったとみえる。
最初のセクハラから今日まで、一年と五か月。
誹謗中傷を受ける以前はどうやって過ごしていたか、もう思いだせない。
「こいつが気にくわないから、嫌がらせをしてやろう」
名前も顔も知らない、会ったこともない人間達の、つまらない悪意のために。
私も、配信者の彼も、あちら側が思うよりも多くのものを喪った。
あちら側にこれから起こる事は、全てあちら側の愚かさが招いたこと。
道を引き返す機会も、猶予も、彼はちゃんと与えてくれていた。
それをせせら笑いながら踏みにじったのは、他の誰でもない、あちら側だ。
本当は、どうしようもなく憎んでいるだろうに。
それでも、人間としての優しさを忘れない彼だからこそ、私は信じた。
人間に生まれながら、人間の心を自分から捨て、暗い穴の中で蠢く虫か獣のような生き方を選んだ。そんな人間達に、彼の人間としての気高さが理解できる訳がない。
自分の人生を豊かにするための努力ではなく、他人を傷つけて鬱憤を晴らす快楽を選んだ。
そんな救いようのない弱虫のお前達に、私達が理解できる訳がない。
赤信号、皆で渡れば怖くない。 そんなこと、現実では決してありえない。
赤信号、皆で渡れば皆死ぬ。 それが、現実だ。
「僕/私はイジメられています」
今更そんな事を主張して、誰が信用すると思うのか。
もし、この期に及んでそんな人間がいるとすれば、救いようがないほど愚かだ。
「何のことだか分からない」
もう、バカの盾は通用しない。 その為に、投げつけられた石を拾い集めてきた。
いつか、この日が来ると信じていたから。
今まで投げつけてきた数多の石に相応しい末路が、あちら側を待っている。
そう信じてきたから、どんなに見下され、踏みつけられても耐えられた。
あちら側が偶然を装って私の[本当の名前]を暴露するたび、両親の、特に父のことを思い出した。生まれた時から体が弱い私を心配して、両親が授けてくれた大切な名前だった。本命は名前の響きではなくて画数らしいが、親戚に時々漢字を間違われても、私は自分の[本当の名前]が好きだ。名前の響きが持つ、意味も含めて。
「我が家の家宝は、お前だ」
父には、その言葉のとおり、宝物のように大切に育ててもらった。
由緒ある家系でも、大金持ちでもないけれど、愛情深い両親の子に生まれることができて本当に幸せだ。 これ以上恵まれては傲慢になってしまうから、障がいを背負って生まれてくることでバランスを保ったのかもしれないと、今では思っている。
(家宝のように、大切に育ててもらったのなら。 それに、相応しい振る舞いを)
父が私に、何を望んでいたのか。 今の私には、それを明確に知る術はない。
(穴の中で蠢く虫や獣もどき達を日の下に引きずりだす。 その手助けを)
いつか、あの世で父に再会した時に「よくやった」と褒めてもらえるような振る舞いをすることが、両親の愛に報いることだと信じている。
だから、いくら名前を晒されても、我が身可愛さに引き下がろうなんて思わない。
私の口を塞ごうとして名前を晒すほど[人の大切な情報を晒しあげるろくでなし]が増えていく。 これは、ただそれだけの話だ。
事の経緯を知っていながら、悪意をもって一部だけを切り取りこちらを悪者に仕立てようとする動きもあるようだが。 そんなのにいちいち付き合って、これ以上大切な時間をドブに捨てるつもりはない。そのための証拠収集、そのための公開なのだから、見たければ見ればいい。 それでも本当のことが理解できないというのなら、それはその人の理解力の問題であって、私の問題ではない。
『証拠を収集したのなら、お前が訴えろと思われてそう』
それを思う人間も、自分の心の中だけで思っておけばいいものをわざわざ書き込む人間も、物事の道理を理解できていないのが明らかで、嫌になる。計算が苦手なのだろうか? まぁ、そう思う事で焦る心を落ち着けているのだろうから、そう思いたければ、どうぞお好きに。
いつまでそれを続けられるかは、知らないけれど。
きっと、あちら側は愛を知らないのだろう。
私の両親が私に与えてくれたような、この世で最も尊く、あたたかい愛を。
あるいは、時間が経つにつれ忘れてしまったか、価値が分からず捨ててしまったか。
だから、自分達にはない何かを持つ配信者の彼や、リスナーの私達が目障りだった。
あるいは、お手軽に叩けて反撃される心配もなく潰せるのなら、何でもよかったのか。
分からないし、正直分かりたくもない。
こそこそと他人をこき下ろす、愚かで醜悪な人間達の考えることなんて。