第七章 【浄玻璃の鏡】作戦
我が家からコロナウイルスの脅威が去った後、気がついたら三キロも体重が減っていた。 ついでに、Zだけでなく他の媒体でも展開されるようになった誹謗中傷や嫌がらせによるストレスが極まってか、胃腸が完全におかしくなった。
※ここからは、全ての媒体をまとめてSNSと表記する
どんなに食事の量を減らしても、完食ができない。
自宅以外の場所で一時的にしろ食事しようとすると、胃が過剰に反応して吐きそうになる。以前と変わらず摂取できるのは、飲み物だけだ。朝は元々食べられないので、飲み物だけ。昼はパンひとつと飲み物。夜は状態によるが、おにぎりとおかず一品。その代わり、くるみやアーモンド、小魚などの手軽に栄養が取れるものを積極的に食べて、元々少ない体力を保っていた。
つらい誹謗中傷や嫌がらせといえど、それはインターネット上だけの話。
一日八時間の仕事は、割り切ってしまえば救いでもある。どんなにつらい目に遭っても、仕事の質に響かないようにしなければならないのは大変だけど。職場のストレスチェックで医師との面談を遠回しに勧められても、原因が原因だけに、どうしようもない。全ての原因はリアルではなく、インターネットに無数に潜んでいるのだから。
こちらが一日八時間の仕事に精を出している間にも、SNSにいる奴らは手を変え品を変え、色々なことを平気でしでかす。私が仕事をしていれば「枠を埋めているだけでも役に立っている」だの侮辱まじりに同類と笑いあい、私が何か返信すれば「社会の役に立て」と挑発してくる。相手が障がい者であれば、こう言っていれば後ろめたさから何も言い返せないと高を括っているのだろうが、とんだ勘違いだと言っておこう。きっと、奴らの頭の中には障がい者=無条件で低所得という思い込みが存在するのだろう。
だが、何事にも例外が存在するものだ。
たとえば、開示請求一件分の費用くらいなら支払えるだけの蓄えがある、とか。
向こうがこちら側を見るのと同じように、こちら側も向こうを見ている。
それをいつまでも理解せずに調子に乗り続ける誹謗中傷犯達への対抗策として、元々開設してあったブログの画像投稿機能を利用して、誹謗中傷や嫌がらせの動かぬ証拠を全体公開で掲載した。誹謗中傷や嫌がらせに加わっている人数があまりにも多く、アカウントごとでまとめると、ちょっとしたマガジンになってしまったのには笑った。動かぬ証拠、URLや投稿日時まで記載された魚拓を掲載した途端、露骨に敵意を剥きだしにしてきたのには、更に笑った。
(お前らは、私を舐めすぎだ)
誹謗中傷や嫌がらせ……平気でイジメをする人間が恐れることは、何か?
それは、イジメの内容や自分達がイジメをしていることが、ばれることだ。
自分達がイジメの加害者だとばれて、批判に晒されることだ。
だから、イジメの標的が再起不能になるまでイジメぬく。
そうしなければ、自分達が批判され、事と次第では責任を取らされるから。
それを知っていたから、躊躇ったりはしなかった。
本当は見るのも嫌なのを我慢して、わざわざ魚拓化して掲載したのだから文句は言わせない。
裁判にも通用しうる大切な証拠として確保されるのが嫌なら、最初から誹謗中傷や嫌がらせなんかしなければいい。 ただ、それだけの話だ。
自分の言動に本当に自信があるのなら、魚拓化されようと堂々としていればいいし、堂々とできるはずだ。まとめられて、掲載されるのを迷惑に思うのなら。その態度そのものが[掲載されたら都合が悪いことをしていると自覚している」証拠だ。掲載そのものが悪事であるかのように言いふらしているのは[加害者の自覚がある]証拠。
(自覚があるのなら、とっとと謝罪して手を引けばいいものを)
どのみち、スマホとパソコンだけでは限界があった。
いくら記録媒体をそろえても、暇を持て余して誹謗中傷や嫌がらせをする人間達に素早く対応するには、使えるものは何でも使わないと。しっかりとした証拠さえ押さえておけば、共有と反論、記事の作成まで思うがまま。食材を冷凍保存する気分で、自分や親しい人達に対する誹謗中傷の証拠を集めていく。
あの世において、死者の生前の罪を映す【浄玻璃の鏡】。
その鏡の前では、どんな嘘や隠し事も通用しない。
もし嘘をついたなら、閻魔に舌を抜かれてしまうという。
私は閻魔にはなれないけれど、鏡を掲げ続けるくらいならできる。
いつか来るかもしれないその時のために、ずっと鏡を掲げていよう。
この地獄が終わるその時まで、ずっと。