第5話 紅茶の香りの中で
ある日、エドガールがクラリスに会いにルノアール邸にやってきていた。
二人は彼女の部屋でお茶をしながら会話を楽しんでいる。
「今日は君が紅茶が好きだと聞いてね、持参したんだ」
「ええ、紅茶は好きです」
「よかったよ」
彼はそう言って事前に侍女に準備を頼んでいた紅茶を紹介する。
「いい香りですわね」
「そうだろう、人気のハーブティーと聞いたんだ」
紅茶を入れ終わると、侍女は一礼をして部屋から出ていった。
二人きりになったところでようやくという感じでエドガールは話を始める。
「あれからどうだい? ジェラルドのことは忘れて元気に過ごせているかい?」
「え、ええ」
(この紅茶、かなり匂いがきついわね……少し苦手かも。ジェラルド様ならいつも優しい香りのアールグレイを入れてくださるのに)
そんなことを考えていると、上の空だと気づいたのかエドガールが目を細めて言う。
「まだジェラルドのことを想っているみたいだね」
「え?」
「ジェラルドは君を邪魔扱いしていたよ、仕事の邪魔をするだけの女だって」
その言葉を聞いて、クラリスの心はひどく痛み出す。
(ジェラルド様がそんなこと……)
「クラリスがいると仕事も捗らないし、気が利かないんだと言っていてね」
(私が、まだジェラルド様のお邪魔になっているの……?)
氷雪令嬢である彼女の仮面が崩れ始め、唇を噛むだけでは抑えきれずに目尻に涙をためてしまう。
エドガールからの視線に耐え切れず、紅茶に目を移すもティーカップが滲んでゆがみうまく見えない。
その瞬間、にやりと彼は笑った。
「ふふ、君のその顔が見たかった」
「え……」
次の瞬間、クラリスの腕を強く引くと、そのまま近くにあったベッドに押し倒す。
「エドガール様……何を……」
「君はジェラルドが好きなんだね。『氷雪令嬢』と呼ばれる君のそんな乙女な表情を見られるなんて最高だよ」
そう言いながら、クラリスの手を押さえつけて顔をまじまじと見つめる。
「離してください」
クラリスがそう頼むも、エドガールは聞かない。
それどころか押さえつける力が一層増していく。
「いたっ!」
クラリスの顔が痛みで歪む。
「あいつも馬鹿だよな。公務に身が入らないのはクラリスのせいだと吹き込んだだけで本当に婚約破棄するとはな。ああ、それとクラリスが妃教育に集中できないのは君のせいだと添えて」
「あなたが……」
「ああ、そうだ。好きなのに婚約破棄する馬鹿がどこにいるのかと思ったが、本当にするとは。君と婚約破棄したおかげであいつは余計に調子が狂って公務でも失敗続きだ。あはは、本当に馬鹿だ」
「まさか、それを狙ってジェラルド様に伝えたの? 私が迷惑していると……」
返事をする代わりにエドガールはにやりと笑った。
(なんてこと……では、ジェラルド様は私のせいで集中できないと思い込み、私もジェラルド様のせいで妃教育がうまくいっていないと嘘を吹き込まれた……?)
クラリスがエドガールの思惑に引っかかってしまったことに後悔していると彼は高らかに笑う。
「ここまでうまくいくとはな! まあ、この失敗続きなら次の国王候補は僕だろうね」
「まさか、あなたそれが狙いで……」
クラリスの言葉にエドガールは肯定の意を示すと、彼女の耳元で囁く。
「さあ、僕は次の王になる。どうだ、ジェラルドなんか忘れて、俺の妃にならないか?」
エドガールがそう誘った瞬間、クラリスはベッドに縫い付けられた自身の手を必死に払いのけて勢いよく彼の頬を叩いた。
彼は目を見開いて叩かれた頬に手を当てている。
「そんなことのために……そんなことのためにジェラルド様を苦しめて……許しませんっ!」
クラリスは目に涙をためて、きつく彼を睨みつけた。
「このっ!!」
クラリスからの攻撃に腹を立てたエドガールはクラリスの頬を叩き返す。
「きゃっ!」
クラリスの頬は赤くはれ、痛みに顔を歪める。
しかし、それに飽き足らずに再び手をあげようとしたエドガールにクラリスは目を閉じて痛みを予感した。
(ジェラルド殿下っ!)
心の中で彼の姿を思い浮かべていたクラリスに、エドガールからの追撃の痛みはいつまでたっても来ない。
不思議に思ったクラリスがゆっくりと目を開くと、そこにはエドガールの手を強く掴んで鬼のような形相で彼を睨みつけるジェラルドがいた。
「ジェラルド殿下……」
「エドガール、君のおかげで目が覚めたよ。本当に守るべきものが何なのか、はっきりわかった」
ジェラルドはエドガールを深く蔑んだ目で見ていた──。