第2話 静かに暮らそうと決めた
馬車に揺られてクラリスは実家であるルノアール邸に到着した。
御者に扉を開けてもらうと、スカートの裾を持って静かに階段を降りていく。
クラリスは急ぎ足で玄関まで向かい、そのまま自室へと歩いて行った。
「あら、クラリス。早かったじゃない」
「お母様……」
廊下で呼び止めたのはクラリスの母親であった。
いつもより早い帰宅を不思議に思って、首を傾げている。
「今日は殿下のところでしょ?」
「ええ、今日は早めに帰ったの」
クラリスは母親から目を逸らして、早々に立ち去ろうとする。
そんな彼女の様子に違和感を覚えた母親だったが、それより早くクラリスが伝えた。
「そうだわ。ジェラルド殿下から婚約破棄を言い渡されたの。また後日、国王陛下より手紙が届くそうよ」
「……へ?」
あまりにさらっと言うものだから、母親は何も言えずに固まってしまっている。
「あ、今日は夕食はお父様とお母様で召し上がって。私は少し休みたいから、遠慮しておくわ」
早口でそう言うと、そのままクラリスは自室へと急いだ。
クラリスが自室へと入った瞬間、その場に彼女は崩れ落ちた。
扉に背中をつけてそのまま床に座り込んでしまう。
「うぅ……」
抑え込んでいた感情が一気に溢れ出した。
肩を震わせ、家の誰にも聞こえないように声を押し殺しながら彼女は泣く。
氷雪令嬢と呼ばれる彼女の本当の姿を知っている者はいるのだろうか。
家族にすら冷静で思慮深いと思われている彼女は、そのイメージを壊さぬように弱みを見せぬようにと振舞ってきた。
(殿下はいつも私に優しくしてくださった。贈り物も頻繁にくださったし、二人でお茶会もよくした。それに私の趣味である本にも付き合ってくださった。だから……)
ジェラルドとの想い出を振り返るたび、クラリスの心はぎゅっと締めつけられて苦しかった。
(好きな方の……殿下の邪魔にはなりたくない……)
そんな思いが彼女の傍にいたいという恋心をも抑え込んでしまった。
婚約破棄を受け入れた時の光景が今でも頭に浮かんで消えない。
(殿下……)
クラリスは顔を覆って苦しさに必死に耐えようとする。
それでもなお溢れ出る彼への想いと涙に、心が壊れそうだった。
(殿下、お傍にいられなくても、私はあなたをずっと想ってここで暮らします)
彼女は一晩中泣いて、泣き疲れたままベッドで眠ってしまった──。