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うさぎと宝石

作者: 河辺 螢

 王女フランチェスカは、六歳の時に王城で開かれた夜会で初めて辺境伯の妻であるロザリアに会った。


 ロザリアは夫である辺境伯のフェデリコ・ジュリアーニと共に王に挨拶し、王妃である母とも親し気な様子を見せた。

 ロザリアはかつては辺境の魔女と呼ばれるほどの魔法使いだった。

 母とは学園時代からの友人で、母から聞いていた話では、いたずら好きで魔法を使ってクラスメートを驚かせることも多かったが、皆笑って次のいたずらを楽しみにしていたという。

 卒業と同時に辺境伯のもとで魔法使いとして雇われ、その活躍ぶりは王都まで聞き及ぶほどだった。その実力はもちろん、茶目っ気のある性格が辺境伯であるフェデリコに気に入られ、妻に乞われた。

子爵家の出ではあったが反対する者は誰もいなかった。四年前に辺境伯と婚姻を結び、夫婦仲は良好だったが、結婚後一年ほどで体調を崩し、長い間夜会はおろか王都を訪れることもなかった。


 久々に夫フェデリコとともに参加した夜会では、かつての生気に満ちた屈託のない姿は陰り、まだ病み上がりといった印象はぬぐえなかったが、その儚さがロザリアの持つ美しさを違った意味で引き立てていた。


「フランチェスカ様、お初にお目にかかります」

 柔らかな笑顔で挨拶するロザリアを見て、フランチェスカはなんだか懐かしいような、不思議な気持ちになった。母から話を聞かされていたせいか知らない人には思えなかったものの、イメージしていたよりも弱々しく、これで元気になったとしたら病気だった時はどれほどやつれていたのだろうかと心配になった。


 ふとその指にはめられた指輪が目についた。親指の爪ほどの大きさの赤いルビーの指輪。王城に来る客は皆競うように豪華な宝飾品を身につけており、ルビーも珍しいものではなかったが、イヤリングもネックレスも控えめななか、ほっそりとした指に一つだけつけられたその指輪が妙に目立ち、それゆえに余計魅力的に見えた。

「素敵な指輪ね」

 フランチェスカの言葉に、ロザリアはフランチェスカによく見えるよう、そっと手を差し出した。

「私の母から譲られたものでございます。私の母も魔法が使えましたので、いつも私を守ってくれているように感じるのです」

 その手を取ってじっと見ているうちに、その指輪がほかのどんなものよりも価値があるように思えてきた。フランチェスカの執着に気が付いたのか、

「気に入りましたか?」

 ロザリアはそう言ってフランチェスカに微笑んだ。

「差し上げてもよろしいですよ」

 母から譲られたものを簡単に「差し上げてもよい」と言ったロザリアに少し驚いた。しかし、王女である自分に貢物を与えようとする者は珍しくなく、自分を通して王家への忠誠心を示したいのだろう、それくらいにしか思っていなかった。

 ところが、その言葉には続きがあった。

「あなたの大切なものと交換でしたら」

 いつもの貢物と違い、代償を要求されてフランチェスカは驚いた。

「大切なもの?」

「例えば…、そう、いつも一緒に寝ているお友達とか」

 お友達…。


 すぐに思いついたのは、うさぎのぬいぐるみのコニーだった。

 三歳の誕生祝に父王からもらい、以来ずっと寝る時は一緒だ。後継ぎとして生まれた弟に父母の愛情が注がれる中、コニーを弟に譲るように言われたときには泣いて抵抗し、自分のものとして守りぬいた、大切な友達。


 フランチェスカは激しく首を横に振った。

「駄目よ。コニーは大事な友達だもの」

 フランチェスカの決意に、ロザリアは深く頷いた。

「そう、それでは駄目ですね」

 ロザリアはフランチェスカがつかむ手をゆっくりと引き抜いた。

 きらきらと輝く指輪はコニーの目のように赤かった。

「…コニーと仲良くね」

 そう言い残し、ロザリアはフランチェスカから離れた。




 五年後の夜会に、久々に辺境伯夫妻が顔を見せた。


 ロザリアの健康状態はあまり安定せず、久々に見た姿はあの頃とほとんど印象が変わらなかった。

 子供にも恵まれず、魔法も使えなくなったにもかかわらず、ロザリアと辺境伯は変わらず仲が良いように見えた。しかし、十一歳にもなると、夜会では仲良さそげに振る舞う夫婦も、その裏では愛人を作ったり、別居したりしている者も多いことは知っていた。

 フランチェスカは、辺境伯夫婦も仲がいいのは上辺だけかもしれない、と少し勘ぐった目で二人を見ていた。それは城内で誰かが辺境伯を蔑むような発言をしていたのを耳にしたことも影響していたかもしれない。


  国の守りを担う辺境伯の妻でありながら、もう八年も病に伏せ、魔女とまで呼ばれた力もなくしている。

  辺境伯もせっかく魔女を妻にしながらはずれを引いたものだ。


 母である王妃は二人目の男の子を授かり、後継者を生む役割を果たしたことで王から評価されていた。そのせいか、病弱になってしまった親友を心配してはいたが、後継ぎを得るという責務を果たせていないことにはロザリアに責があるという気持ちが強く、よくない噂がたっても擁護する気もないようだった。

 そんな気配を感じたのか、辺境伯夫妻は型通りの挨拶をしただけで王と王妃の元を離れた。


 ロザリアの姿は五年前とほとんど変わらず、ネックレスもイヤリングも五年前のものと同じだった。豪華なのは指にあるあのルビーの指輪だけ。それも母から譲られたもの。夫からもらったものではない。夫に愛されていないのだろう、可哀そうな人、とフランチェスカは同情に満ちた目でロザリアを見ていた。


「ごきげんよう、フランチェスカ様」

 目と目が合い、ロザリアが礼をした。やせ細りながらもふらつくことのない優雅な礼だった。

「ごきげんよう。お体の調子はいかが?」

「おかげさまで。フランチェスカ様もご健勝で何よりです」


 気が付けば視線が指輪を追っていた。五年前と変わらず、今まで見てきたどんなルビーよりも目を引く、赤い大きな石。

「気になりますか?」

 五年前と同じく、ロザリアは指輪をつけた手をフランチェスカに差し出した。

「差し上げてもよろしいですよ」

 かすかに口元を緩めたロザリアが次に発する言葉を知っていた。一方的な貢物ではない。今度は何を言ってくるのだろう。

「あなたの大切なものと交換でしたら。…例えば、コニーとか」

 フランチェスカは驚いた。まさか五年前に一度名を出しただけのうさぎのコニーの名をロザリアが覚えているとは思わなかったのだ。

 もう十一歳だ。いつまでもうさぎと一緒に寝ているわけがない。それでも思い入れのあるうさぎは捨てることも、弟たちに譲ることもなく、自室のクローゼットの中にしまってある。

「本当に?」

 ロザリアは目を細めてフランチェスカを見つめ、ゆっくりと頷いた。

「…約束よ。コニーを持ってくるわ」


 フランチェスカは頃合いを見て夜会を抜け出し、部屋に戻った。

 クローゼットの中にしまい込んだのはいつだっただろう。フランチェスカが気に入っていたことを知っている侍女は片づけて捨ててしまうこともなく、コニーはクローゼットの奥に無造作に転がっていた。

 うさぎのコニーは記憶の中より少し小さく、うす汚れていた。ルビーを思わせる赤い目。もうふわふわとはいいがたい毛並み。寂しい夜に抱きかかえると頼もしく思えていたその体は、今抱えると小さく、頼りなく思えた。

 夜会の会場にそのまま持ち込むのが少し気恥かしく、布にくるんで部屋から持ち出した。


 会場に戻ると、辺境伯夫妻は退場の挨拶を済ませ、会場を離れようとしていた。

 フランチェスカが布に包んだままコニーを手渡すと、ロザリアはそっと布をめくり、その中に古いうさぎのぬいぐるみがいるのを確認すると、にっこりと微笑んで手にあった指輪を抜き、フランチェスカの指にはめた。

 少しぶかぶかで、大きな石が不安定に揺れた。

「交換ね。…ごきげんよう」

 ロザリアはそっと布をかき分けてコニーの顔を表に出し、まるで赤子を抱くかのように丁寧に抱きかかえた。フェデリコもまた今まで見せたことのない優しい笑みを向け、二人は会場を後にした。



 その年、夜更けに王都の一角で火事があり、火元の伯爵家一家全員が亡くなった。普段は領地にいる嫡男夫婦もその日はたまたま王都の屋敷にいて、難を逃れることはできなかった。

 その翌日、父王が直々にフランチェスカの部屋までやってきた。

「昔与えたうさぎのぬいぐるみは、今どこにある」

 フランチェスカは、父からもらったものを指輪と交換したと言うことができず、

「もう大きくなったから、ぬいぐるみなんて…、ずいぶん前に…」

とだけ告げた。

 すると父王は少し顔色を悪くしながらも

「そうか。…もう手元にないなら仕方がない」

とつぶやき、去って行った。



 夜会の半年後、辺境伯夫妻に男の子が生まれた。結婚して九年目に授かった子供に、領を挙げて祭りが執り行われるほどの喜びようだった。

 ロザリアは徐々に健康を取り戻し、産後一年が過ぎると再び領を守る魔法使いとして復帰、辺境の魔女の名を再び国中に知らしめるようになった。



 二年後、国境に出現した魔物を倒した報奨のため、王都に呼び出された辺境伯夫妻はずいぶんと様変わりしていた。

 ロザリアは健康的で肉付きもよく、あれほどやつれていた面影などどこにもなかった。身につけていたものはかつてと同じ小さな装飾品だったが、あんなに貧弱に見えた宝石が、かなりの力を秘めた魔石であることが遠くからでもわかった。


 報奨式の後の夜会で、王は辺境伯からの挨拶を受けたが、フェデリコは口元に笑みは浮かべていても、王に向けた目は鋭く冷たかった。

 王妃はロザリアに子供ができたことを喜び、友として接したが、ロザリアはかつてのような笑顔を王妃に見せることはなかった。

 王は定型の挨拶を終えると、早々に次の客を迎えた。


 会も半ばで会場を離れようとした夫妻に、フランチェスカが近寄り、声をかけた。

「これを、…お返しします」

 フランチェスカは自身の指につけていた、かつてロザリアにもらった指輪を外し、差し出した。

「どうして? あなたはそれが欲しかったのでしょう?」

 ロザリアの言葉ははきはきとし、見せる笑みはあのころのような儚さはなく、力強く、自信に満ちているように見えた。

「お母様からいただいたものだったのでしょう? あんな古びたぬいぐるみと引き換えるなんて申し訳なくて…」

 フランチェスカの言葉に、ロザリアはしばらくフランチェスカをじっと見つめた後、笑みを消した。


「もううさぎはいらないと思えるほど、あなたは充分成長されました。ですから、お返しいただいたのです。守りの力を」

「…守り?」

「私はずっとあなたと、うさぎのコニーを守り続けていたのですよ。もうずっと、長い間…」

 一瞬、その視線は王に向けられた。王は気づいていなかった。

「コニーは、私が我が子の守りのために魔法を込めて作ったぬいぐるみでした。それを誰かが盗み出したのです。私はコニーと共におなかの中の子供の魂を奪われ、私が守りの力を送り続けなければ、子供は死ぬと言われました」

 守りの力。フランチェスカはそんなものを感じたことはなかったが、幼い頃は病気がちで、長く生きられないと言われていたと聞いたことがあった。

 自分の記憶の中では、これまで大きな病気をすることもなく、何度か事故にあっても大した怪我はしなかった。泣きながら奇蹟だと喜ぶ母を見ても、さほど特別なことではないと思っていた。


「コニーは誰かが王に献上し、あなたが持っていることを突き止めましたが、あなたがコニーを必要としている間、無理に引き離せば私の子供は消えることになる、そう脅されていました。ですから、あなたが指輪よりコニーを選んだ時、まだその時ではないと引き下がりました。ですがずっと探していたのです。どこに私の子供が隠されているか」

 くすりと笑ったロザリアは子供のようにあどけなく、かくれんぼで友達を見つけた時のように、少し高揚しているようにも見えた。

「答えは簡単でした。コニーの中にいたのです」

「…コニーの、中に?」

 ずっと淋しさを紛らわせ、一緒に添い寝してきたうさぎのコニーの中に、まさか子供の魂が隠されていた?

 そんなわけがない、とフランチェスカは顔を引きつらせながら、誰かが否定してくれるのを待った。しかしロザリアは続けた。

「あなたが一緒にいてくれて嬉しかったと言っていたわ。クローゼットに押し込められていた一年は、暗くて、誰も話しかけてくれなくて、寂しかったそうよ。もっと早く迎えに行けばよかった。あなたを殺してでも取返したいと、何度思ったことか…」

 クローゼットに押し込めた一年間。それを知るのはフランチェスカとコニー、そして侍女くらいだ。殺すという言葉を使いながらもその笑みがあまりにも優しく、フランチェスカは震えを抑えきれず、よろめいた。

「クローゼットでも、大事にとっておいてくれてよかった。もしやんちゃな子供が傷つけたり、飽きて捨てていたら、今頃この城()燃え尽きていたわ。八年間もずっと守ってきたのよ、おなかの中の命を、いつ魂が戻って来てもいいように、ずっと…」


 ロザリアはフランチェスカの手から指輪をつまみ上げると、石に口づけをし、もう一度フランチェスカの指にはめた。

「これは、ぬいぐるみよりも宝石を選ぶほど成長したあなたにお祝い。もう一年分の守りの力を込めておいたわ。私の母のルビーではないけれど、石は本物よ」

 ロザリアの指には、よく似た、しかしもっと深い赤の美しいルビーの指輪があった。

 そしてロザリアはフェデリコの腕をとると、ゆっくりとその場から退場した。



 二人を見つけ、車止めから走ってくる小さな男の子がいた。自分と同じくらいの背丈のうさぎのぬいぐるみを抱きかかえ、ロザリアに抱きつき、フェデリコに抱えあげられて喜んでいる。

 うさぎはコニーに似ていたが、真っ白でふわふわしていて、真新しく見えた。

 父の肩越しにフランチェスカを見た男の子は、

「バイバイ、フラン」

 そう言って笑顔で手を振った。その目はうさぎのように赤かった。






お読みいただき、ありがとうございました。


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