いいですかお嬢様、危なくなったら
お嬢様突撃事件後、慌てて執務室へ向かうと困ったように笑う旦那様がいた
「リディ話は最後まで聞きなさい」
「はい…申し訳ございませんお父様…」
どうやら私がヨスズに行くことになったというのは、お嬢様のせっかちで少し違うようだ
「しかしアルカディにヨスズに行ってもらうのは事実だね」
ガーン、という効果音がつきそうな悲惨な表情をしているお嬢様が可愛くて仕方ないが、今は仕事の話を聞いているので切り替える
「今すぐという訳では無いが、1週間後にこの国から出てヨスズで剣を半年ほどお試しで教えてやって欲しいとの事だ」
言い方から察するに王命だろう。王命であるなら、孤児たちの育成というより尊いお方の指導と簡単に予想が付く
(騎士たち曰く)伝説のルィーツァリの噂を旅商人等から聞いて巡り巡って耳に届いたのだろう、是非とも来て欲しいと帝直々に手紙を送ってきたらしい。つまるところ引き抜きだ。
帝からの手紙なら易々と断れず、じゃあお試しに半年ほどって事で決まり今に至る
「ヨスズはあまり交易を積極的に行わないから、そこでしか入手出来ないシルクや食物などがある」
言いたいことは分かる。ちゃっかり交易結んでこいって話なのは充分伝わってくる。プレッシャーで押しつぶされそうなのを堪えて旦那様を真っ直ぐみる
ヨスズは独自の戦力を持ち、こちらからしてもあまりギスギスしたくないため、穏便に取引をしたいと。私は剣しかないからどうすれば良いか考えていると
「王城からも何人か派遣するから安心しなさい。アルカディは剣を教えることだけに集中すること」
そう聞いてほっと一安心
「もしもあまりに元気なお方だとしても、げんこつはダメだよ」
「……………」
「アルカディ」
「承知しました」
不安の表情が隠せない旦那様とショックで動けないお嬢様と、げんこつ以外で指導する方法を模索している私
カオスである
しばらく経って、ハッと何かを悩み始めた私にお2人は何を思ったのか
「必要なものがあったら手紙を送りなさい。すぐに届ける」
「ふ、ふん!わたくしは、どうしてもと言うのならお手紙を書いて差し上げてもいいわ!」
心優しい2人に私は心から感謝した。だが心配なのはそこでは無い
「よろしいですか殿下、間違いがあってもお嬢様に手を出さぬよう」
「分かってる。もう三回目だぞ」
「何度言っても聞かないのが貴方様でございます」
今いるのは王城の中にある殿下の執務室。ガノロフの言われた通り、少人数にならず指導してきた部下たち3人ほどを入口に立たせている
「保証はしない」
「もしそのようなことが起これば、私は山に篭もります」
「そのくらい」
「そのまま山奥で殿下を呪いながら自害し、毎晩枕元に立って恨み辛みを夜明けまで吐き続けます」
「………………」
「1度言ったことは必ずやる主義でして」
「そんなの私が1番知っている。まずお前の目が本気だ」
「さすが殿下」
「そんなことで褒められても嬉しくない」
イヴァンは勿論アルカディがいない間、リディアとあんなことやこんなことをしようとしていた。が、アルカディに怨霊になって本気で呪われそうだから、手を出さないよう心に誓った
男としては辛いが、アルカディには楯突くことはできない
自分がいくら権力が高かろうが剣で挑もうが、王にでもらない限りアルカディは己の意志を曲げない
「はぁ、私の方が目上だろう」
「私が仕えているのはお嬢様であり公爵様であり、陛下です」
「期待を裏切らない返答礼を言う」
そんな攻防戦を続けたり、謎にガノロフ殿に会う機会が多くなったり、お嬢様に朝起きる度に泣かれたり
色々あったが、とうとうその日を迎えた
空は雲ひとつなく心地よい風が頬を撫でる
「いいですかお嬢様、殿下に何かされたら足の間をこう、蹴りあげるのです。陛下からお許しは頂いていますので、存分に力強く」
「やらないわよ!」
公爵邸の前で愛馬の手綱を持って目の前のお嬢様に再三教える。内容が内容だったのか、使用人含め男性全員が青白い顔をしているのは見なかったことにする
「アルカディならどこでも逞しく生きていけそうね」
「お母様に同意いたしますわ」
お二人がそんな話をしている間、自分の荷物を愛馬の横に吊り下げる
ヨスズへの献上品等は、後に合流する文官の為の馬車と共に積まれているので、これといった大荷物は用意しない
お嬢様を守る代わりの護衛はナーナに任せることにした。まだ指導の途中で、他に任せようと思ったのだがどこかの執着人間が男はダメだと言うので諦めた。ナーナのサポートに回ってもらうこととする
「では行って参ります」
「っアディ!」
お嬢様が駆け寄ってきて何かを渡してきた。それはお嬢様が大切にしていたワンポイントのシンプルなネックレス
「これでわたくしの事を嫌でも思い出すでしょう!残念だったわね!」
つまるところ「私を忘れないで」ということなのである
可愛いったらありゃしない
「はい、これでアルカディは何時でもお嬢様を思い出せます」
「…ッ早く行きなさい!」
私は優しい人たちに見送られながら公爵家を後にした
「お、アルカディさんこっちっス!」
国の関門で待っている団体の中から大手を振ってこちらに呼びかけて来る男は、グレイと同じ時期に指導を頼んできたニコロフだった。歳は20で今は陛下の若手近衛騎士として日々勤しんでおり、誰とでもコミュニケーションを取れる明るい性格を持っている
「遅くなって申し訳ない」
「時間内なので全然大丈夫っすよ!あ、そうだアルカディさんに紹介したい人がいるんス」
ニコロフが手招きをしてこちらへ来たのは、文官と…侍女?
「こっちの男が俺の友人で、文官の中でも1番語学が得意な文官のサイで、隣の女性がその恋人、王妃陛下の侍女をしているマリヤっす」
「………………」
「サイは語学だけじゃなくてめっちゃ頭が良いんすよ!もう歩く辞書かってくらいヤバくて、とにかくヤバいっす!」
どちらかと言うとお前の語彙力がヤバいと言いたい
「マリヤは王妃様お墨付きの侍女で、ヨスズ滞在経歴あって土地勘バツグン、そして情報収集能力ハンパないんで来てもらいました!」
紹介が終わると共に2人は丁寧に「よろしくお願いします」と頭を下げる
「サイと申します。微力ながら、アルカディ様の助けになるよう誠心誠意努めさせて頂きます。」
「マリヤと申します。あの有名な『ベルダ』と呼ばれるお方と共に出来ますことを嬉しく思いますわ。」
「アルカディです。私はしがない一般騎士なので様は必要ありません。ところで…その『ベルダ』とは、?」
そう聞くと知らなかったのか、というような表情を一瞬捉えたがすぐに微笑んで説明を始める
「アルカディさんの二つ名ですわ。ベルダ『月の麗人』という意味です。始まりは王妃陛下のお考えで、以前にお茶会でたまたまお見かけした貴方様をたいそうお気に召しました。定期的に開かれるお茶会にアルカディ様が名指しで招待されたことはありませんか」
身に覚えは大いにある。苦笑しながら旦那様に王城の茶会で、指定された服装で参加して欲しいと意味のわからないことをたまに言われていた
男性用の貴族服や執事服と、最初は誰かから命を狙われていて、油断させるための変装かと思っていたが、近衛騎士の鎧やら式典服やらを指定されてから変に感じていた
「ベルダをひと目見ようと、王城中の侍女たちは火花を散らしておりましたの。」
要らん火花だ…
「寡黙でいらっしゃるけど、真摯に仕事に取り組むご様子に淑女達はメロメロですわ!もしも騎士様ではなく社交界に出ていたら確実に人気者間違いなしです」
一応再度言っておこう。私は女だ。
女性ウケするようなキリッとした顔立ちなのは自分がよく知っている。男性にチヤホヤされたいというような願望は一切ないが、だからといって女性たちから黄色い声をあげられるのもまた複雑…
しかも以前は公爵邸内のみだと思っていたが王城までそのようだったら恐らく国中の噂になっていたのだろう。知りたくなかった
国を出て私達は海のある東へまっすぐ進む
ヨスズは国の大半が海と接しているため、海産物が豊富であることが有名だ
「いいっすねぇ俺魚を生で食うの無理だったんすけど、ヨスズの魚のおかげで今じゃ好物っす」
「現地で食べれるからとはしゃぐのは恥ずかしいぞ」
「そんなことするわけないっすよ!!」
ほのぼのと始まった旅の途中、何かを思案していたニコロフが
「そういえばアルカディさんってガノロフ副団長の娘さんスよね、それだけ力もあるのに何かしらの役職についてないただの騎士っておかしくないっすか?」
と唐突に踏み込んできた話を持ちかけてきた
しかしルィーツァリで見た実力を知ってからか、周りも不思議に思っていた。なぜ戦闘能力の高い騎士を今まで隠していたのか
「…………本来、私は騎士になるために育てられた訳では無いからな」
その言葉はこの場を支配したように重く、触れてはいけないところだと皆が理解した
そう、ガノロフが欲しかったのは『自分の手足となる者』であり、騎士ではない
「さて、もうすぐ日が沈む。近くの街まで急ごう」
そこからニコロフが色んな話題を持ち出して、街に着く頃には重苦しい雰囲気ではなくなった
「そういえばグレイが荒れてましたよ」
「グレイが?」
私の指導のおかげか、プレッシャーに強くなり、剣の腕も上達した好青年に変化を遂げたグレイが荒れるなど余程のことがあったのだろう
「帰ったら事情を聞いてみるしかないな」
そう言うと、ニコロフが呆れたため息をついた
「グレイも苦労人っすねぇ」
なんやかんや騒がしい日々が過ぎ、国を出て1週間、ヨスズの国に着くことが出来た