第七話 対怪獣 専用戦艦(大和・信濃の解説図付き)
お待たせしました。ようやく大和が登場します。
■昭和十七年(1942年)1月 艦政本部
「今後の戦艦はどうあるべきか、ですか……」
先月から新たに第一戦隊の指揮を執ることとなった三川は、訓練の合間に艦政本部に招かれていた。
「ええ、我々は実際に怪獣と戦った人の意見が一番重要だと考えています。そこで三川中将のご意見をお伺いしたい」
三川を呼んだ艦政本部長の岩村中将が理由を説明する。
英米と怪獣対策で協力するにあたり、ロンドン条約の失効で元から無かった戦艦建造の制限は、改めて設けない事が合意されていた。
なにしろ甲種怪獣を仕留めるには最低でも16インチ砲を搭載した戦艦が必要なのである。さらに安全距離から仕留めるならば18インチ以上が望ましかった。将来さらに強力な怪獣が現れる可能性を考えるならば、性能にも数にも制限を設けるべきでない事は当然の結論だった。
ちなみに甲種怪獣というのは、今後の協力と情報共有のため日米英間で整合された、怪獣の新たな分類名である。大中小それぞれは下記のような分類となる。
日本 英米
大型個体:甲種怪獣:Class 3
中型個体:乙種怪獣:Class 2
小型個体:丙種怪獣:Class 1
また、余計な政治的緊張を招かないため、戦艦の建造に制限を設けない代わりに、現在保有する戦艦以外の大型艦(巡洋艦・空母)の新規建造を当面は行わない事も合意されている(代艦建造をのぞく)。これは独伊のみの相手であれば現有の艦隊戦力でも過剰という判断もあった。
これら合意を受け英米は、日本の了解をとった上で、フィリピンとシンガポール、豪州に古いQE級やR級、標準戦艦を配備した。
一方日本はというと、既に18インチ砲を持つ大和型2隻が完成し公試中であった。これまで秘匿されていた大和型の情報は英米に開示され、驚きを以て受け入れられた。そして英米は早速モンタナ級、守護聖人級と呼ばれる18インチ砲戦艦の設計に取り掛かっていた。
大和型を持つ日本であったが、既に建造が開始されている大和型3番艦・4番艦、そしてそれに続く戦艦がどうあるべきかの議論を始めており、その流れで三川は艦政本部に意見を求められていた。
「相手は戦艦でなく怪獣に限定して、という事で良いですね?」
三川の確認に岩村と同席している第四部部長の福田造船中将が頷く。
「ならば、まず主砲は18インチ以上が必須でしょう。長門と陸奥でも甲種怪獣は倒せましたが、危険な距離まで接近する必要がありました。18インチならば金剛で丙種を倒したように余裕をもって相手できるはずです」
「当然ですな」
「ただし遠距離砲戦の能力は重要ではありません。どうせ交戦距離は数千メートルになるでしょう。ならば高い艦橋や大きな測距儀、大仰角はいりません。弾着観測もしないから航空艤装も不要です。主砲門数も多少は少なくてもいい。それより近距離戦闘を想定して主砲塔の旋回速度を上げてほしい」
「主砲については仰る通りでしょう。では他の武装については?」
「不要と考えます。正直、怪獣相手だと14インチ未満の砲がいくら有っても無駄です。ならばすっぱり無くしてしまった方がいい」
「その分、他に重量を回せますね」
三川の意見に福田が相槌をうつ。
実は後日の検証の結果、8インチ砲(20cm)でも無理をすれば丙種に効果があることは判明している。実際、米国西海岸の戦闘では米軍の重巡洋艦が丙種怪獣を倒した記録もある。だが巡洋艦のサイズで怪獣と近接戦闘を行なうことは、あまりにも危険すぎた。このため日米英各国海軍は、よほどの事がない限り重巡を怪獣戦闘へ投入する事は行わない方針をとっていた。
「次に速力です。あの時、駆逐艦や金剛型は逃げられましたが山城と扶桑は怪獣に捕まってしまいました。だから最低でも27ノット、できれば30ノットは欲しいところです」
「大和型は公試で27ノットを出しています。なんとかその条件は満たせますね。安心しました」
福田がホッとした様子で岩村に言った。
「あとは復原性の確保でしょうか……山城と扶桑は掴まれて横転した事で失われました。大和型ほどの排水量なら怪獣に捕まれても横転しにくいでしょうが、今後もっと大きな怪獣がでる事もありえます。それを考慮して復原力は出来るだけ確保した方がいいと思います」
「副砲以下と航空艤装を撤去、主砲塔と艦橋を小型軽量化して、浮いた重量を機関とバラストに回せば速度と復原性は大きく向上するか……」
福田がアイデアを手早くメモに書き留める。
「あと舵は良く効く方がいい。大和型も旋回半径が小さいのは良いが、効き始めがとにかく悪い。多数の怪獣を相手に立ち回る場合を考慮すれば必要です」
「110号艦で検討していた艦首舵が使えそうか……主舵と副舵の増積も考慮して……」
福田はメモにスケッチまで書き始めた。彼は中将とはいえ、やはり根っからの技術者であった。
「基本は近海でしか作戦しないでしょうが、今後は英米との共同作戦も考えられます。ある程度の航続距離は必要でしょう」
「確かに。他には?」
熱心にスケッチを描き続ける福田をおいて、岩村が意見を促す。
「……単体として私が戦艦に希望する事はそのくらいですが……もうひとつ希望があります」
「それは?」
岩村が興味深げに尋ねる。
「数です」
「数?」
「はい。また怪獣の群れが来たとき、大和型2隻だけでは不安です。多数が一度に、あるいは複数の個所に同時にこられたら対処できない。だから新型戦艦は数も揃える必要があります。それも可及的速やかに」
「建造期間を短縮するには、設計を簡略化して工数を削減する必要もありますが?」
スケッチの手を止めて福田が確認するように尋ねた。ちゃんと話は聞いていたらしい。
「多少、不格好になっても構いません。戦いは数ですよ。必要な時に必要なものがある、それが一番重要です」
こうした関係者へのヒアリングを経て、新型戦艦の仕様が決定されていった。
まず建造期間を短縮するため、設計が大幅に簡略化された。船体各所のデザインは直線が多くなり艦尾も優雅なクルーザー・スタンから四角いトランサム・スタンとなっている。艦橋も簡略化され、上部は懐かしい六脚楼となっている。艦尾の航空艤装も全て省略された。重量と工数削減のため溶接も大幅に採用された。
武装は18インチ砲3連装3基9門のままであったが(さすがに連装3基6門案は見送られた)、砲塔の装甲が減厚された事により旋回速度が向上している。そして三川の提案どおり主砲以外の武装は一切廃止された(もちろん後で追加は可能だが)。
転舵時の反応を良くするため、艦首下部に格納式の舵が新たに装備される事となった。あわせて主舵と副舵の面積も若干増積される。これにより改大和型は長門型どころか重巡に匹敵する回頭性能、旋回半径をもつ見込みである。
浮いた重量は全て機関と復原性向上に回されている。機関は17万馬力に強化され、これにより29ノットの発揮が見込まれていた。バラストは艦内でなく艦底外側にバラストキールとして設置することで可能な限り重心を下げる努力が行われている。
この仕様は110号艦(信濃:横須賀造船所)、111号艦(紀伊:呉海軍工廠)より反映される事となった。設計の大幅な簡略化により工数は半減し、驚くことに昭和18年末(1943年)の完成を見込んでいた。以後、この型は信濃型または改大和型と呼ばれることとなる。
なお、大和と武蔵は長期間ドックを占有する事を避けるため大改装は行われない事となった。改装は艤装岸壁でできる範囲に限定され、武装と航空艤装の撤去と相当重量分のバラストを艦底に設置するに留まった。
また、建設中だった大神工廠の完成も急がれる事となった。米国から建設機械を大量購入した事も功を奏し、翌年の6月には大型ドック2基が完成する。そこでは改大和型2隻(797号艦、798号艦)の建造がすぐに開始された。
こうして昭和20年の段階で、日本は大和型・改大和型6隻を保有する目途が立ったのであった。
七話でようやく大和の量産(準備)に漕ぎつけました……
ちょっと皆さんの期待と違う形かもしれません(確信犯)
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