第六話 総力戦研究所
■昭和十六年(1941年)12月 総力戦研究所
『大怪獣、米国を襲う!』
『英米艦隊壊滅!大怪獣恐るべし』
『怪獣の再来に備えよ!』
『一致団結し怪獣軍団に対抗すべし!』
「どこもかしこも怪獣一色ですね……随分と憶測も混じっていますが、概ね事実のようです。我が軍の本当の被害を除けば」
会議の開始にはまだ時間があった。松田少将は珈琲を飲みながら机に広げられた各社の新聞を一つ一つ丹念に読んでいた。
松田も参加していた総力戦研究所は、7月に行った対米戦の机上演習以来、実質的に開店休業状態だった。それが今月より新体制で再起動することになったのである。その目的は当然ながら怪獣対策と今後の世界情勢、日本の対応についての研究であった。
「しかし『怪獣』か……言いえて妙だな。たしかに訳の分からん怪しい獣だった」
松田の隣には三川中将が座っていた。巨大生物と直接戦った経験者として、彼も今回から総力戦研究所に参加を命じられていた。
「江戸時代の古文書から取った言葉だそうです。新聞屋ってのは、やはりインテリですね。政府も軍も今後は怪獣という名称を公式にも使うそうです」
「直接戦ってみて判ったが、あれは実に恐ろしい存在だ。現状では戦艦以外では太刀打ちできん。正直、もう対米戦なんて考えてる場合じゃない。俺はそう思う」
あの時の恐怖がぶり返したのか、三川は内心を吐露した。
「はい。確かに小官もそう感じます。まあ海軍の上層部も一新されましたから、今後は方針も大きく変わる事でしょう」
松田の言う通り、先の怪獣事件を受け、軍令部と連合艦隊司令部の人事は一新されていた。
海軍は怪獣を撃退するという功績は挙げたものの、初動の恣意的な遅れから被害を拡大させてしまった事を糾弾されたのである。このため軍令部や司令部の面々は多くが更迭に等しい扱いを受けていた。
また、今回は航空機がなんら成果を出せず戦艦だけが活躍したことから、いわゆる「航空屋」が大きく勢力を落とし「大砲屋」が息を吹き返している。
一方、陸軍の方では、怪獣になんら対抗できなかったにも関わらず、そのような更迭人事は行われていない。誰がやっても結果は同じだったという面もあるが、沿岸部の住民避難を積極的に行った事が評価されたのである。
実は戦場確保が目的ではあったのだが、臣民を積極的に救ったとして陛下からも感謝のお言葉を受けていた。明らかに海軍に対する当てつけである。
「確かに。だが松田君、今後英米はどう出るかな?我々が言うのもなんだが、先日までは戦争一歩手前の関係だった訳だが」
三川の問いに松田は少し考えると、大丈夫でしょうと答えた。
「英米ともに我が国と同様に怪獣で甚大な被害が出ています。つまり我々は今や共通の敵を持ったことになります。ならば協力できる道はあるでしょう」
「だが英国は独伊と戦争中だ。その英国は米国と、そして我が国は独伊と同盟を結んでいる」
日本は昨年、独伊と軍事同盟を締結していた。この条文によれば、もし何れかの国が攻撃を受けた場合は、他の同盟国は軍事援助を行う、つまり参戦することを求められていた。三川の懸念はもっともな事であった。
「はい。確かに昨年我が国は独伊と同盟を結びましたが……残念ながら怪獣は交戦国ではありません。つまり軍事援助の対象外です。むしろ今現在、我が国が協力を求める相手は英米でしょう」
「つまり我が国が同盟相手を鞍替えする可能性があると?」
「はい。その可能性が高い、小官はそう思います」
「面白そうな話なので一緒に聞かせてもらってよいかな?」
気が付くと三川と松田の前に陸軍の制服を着た男が立っていた。それが誰なのか気づき二人ともすぐに立ち上がる。松田の方は続けて慌てて敬礼した。
「邪魔して申し訳ないね」
そう言って飯村陸軍中将、総力戦研究所所長は二人に敬礼した。三川も敬礼を返す。
「いきなり状況が変わったのでね、とにかく色々と意見を聞かせてもらいたいんだ」
席に着くと飯村は松田に微笑んだ。
「恥ずかしながら、素人の床屋談義のようなものですが……」
「構いませんよ。今は皆同じ条件ですから。確か英米とは協力した方が良いという話でしたね」
笑って飯村は松田に話を促す。ならばと松田は居住まいを正して話を続けることにした。
「はい、それでは遠慮なく。現在、英米は我が国と同じ敵を持つことになりました。そしてこの敵には三国同盟は何の役にもたちません」
黙って飯村は頷く。
「それは英米も承知しているでしょうが、交戦国の同盟相手と手を結ぶのはさすがに無理でしょう。ですから英米は三国同盟の破棄、それと日ソ不可侵条約の制限廃止を求めてくると愚考します」
「なるほど。だがそれで済むなら我が国は対米開戦寸前まで進まなかったが?」
「はい。問題は中国と満州ですが……陸軍の閣下には申し上げにくいのですが……中国から撤兵し、満州は当面は棚上げという事で協力の話は進められるかもしれません。なにしろ大陸の方は怪獣となんの関係もありませんし、喫緊の問題はどちらか明らかですから」
「ふむ。一考の価値はあるかもしれないね。もし友好関係が築ければ、経済封鎖も解かれて、いずれ満州問題も何らかの合意ができるかもしれない」
飯村はニコニコと嬉しそうに頷いた。実際、松田は知らない事だが怪獣来襲の前に日本はこのような案で米国と交渉することも検討していた。そして今では。陛下にお褒め頂いた事もあり復旧と沿岸防衛のため実際に大陸から部隊を戻すことが陸軍内部で検討されている。だから米国さえ認めれば実現する可能性が高かった。
「では話を変えて。この後、英米と欧州はどうなると思います?」
「うーん、これからですか……」
松田はしばらく俯いて考えをまとめると顔をあげた。
「欧州の戦争は継続するでしょう。しかし米国が直接参戦することは有りません」
「その理由は?」
「まず、怪獣は今の所、大西洋には姿を現していません。つまり独伊は怪獣の影響を受けていない事になります。むしろ英米が怪獣被害を受けた事を好機と捉え喜んで戦争を拡大するでしょう」
「それでも米国が参戦しないと?」
「はい。今までも米国は、特に国民は参戦に消極的だったと聞いています。今や西海岸が怪獣の危機に晒されるようになりました。向こうの政治は我が国以上に国民感情に左右されます。この状況では米国が欧州に参戦する事を国民は認めないでしょう」
「なるほど確かに。だがそれだと英国とソ連の危機は増すことになりますが?」
「はい。ですから米国は英ソへの支援を一層強力に行うはずです。米国はそれと怪獣支援を同時にこなす国力がありますから。ただそれでは足りない。国内や英ソへアピールするために、我が国にも相応の支援を求めてくる事が予想されます」
「相応の支援とは?」
「物資よりも人でしょう。日本に参戦か最低でも義勇兵の参加を求めてくると思います。なにしろ米国は物は大量に作れても人は作れない。無いなら有るところ、取りやすい所から取るのが道理というものです」
「いや、大変勉強になりました。ありがとう」
その後しばらく飯村は松田の話を聞いた後、礼を述べて去っていった。それから1週間にわたって集中的に行われた検討会で、ほぼ松田の予想に準じた内容の報告がまとめられ、内閣に報告されることとなった。
総力戦研究所が検討結果を内閣に報告して間もなく、翌年1月に米国の呼びかけで日米英の首脳会談がアンカレッジで開催された。米国はフランクリン・ルーズベルト大統領、英国はウィンストン・チャーチル首相、そして日本からは東条英機首相が参加している。
その会談で、日本は中国から撤退し三国同盟を破棄することを同意した。その見返りとして米英も中国支援から手を退くとともに、怪獣対策で日本に支援と緊密な協力体制をとることと、経済封鎖の解除が約束された。
この内容はアンカレッジ宣言として公開され、これを聞いたスターリンは手を叩いて喜び、ヒトラーは周囲に当たり散らして怒り狂い、蒋介石は泣き叫んで酒を痛飲したという。
山本くん、アウトー。
松田少将、超有能。
次話から怪獣対策の兵器開発話です。ついに大和が登場します!
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