第十一話 怪獣の来る処
■昭和十八年(1943年)1月 PDO本部
ニューヨークに本部を置くPDO(太平洋防衛機構)の大会議室には、怪獣対策を研究する加盟各国の学者が一堂に会していた。
当初は太平洋の中心であるハワイに本部を置くことも検討されたが、便が悪すぎる事とハワイも怪獣襲撃地点の一つであることから、この地に決まった経緯がある。このPDOの誕生により国際連盟は更に影が薄い組織となっていた。
壇上には米国の海洋学者が立っていた。カーテンが引かれ照明の落とされた会議室にスライド映写機の切り替え音が響く。そこだけまばゆく光るスクリーンにマリアナ海溝周辺の海図が映し出される。
「……以上から、過去の怪獣の出現地点と日時、海底地形、そして海流を考慮すると、すべての怪獣は同じ場所、マリアナ海溝のこの付近から発生していると思われます」
彼女はスクリーンの一点を指し示した。その場所は、日本の南およそ2500km、フィリピンの東2000km、マリアナ海溝で最も深いと思われる地点であった。
「我が国は以前にその海域の水深調査を行った事がある。たしか水深は1万メートル近くあったはずだ。そんな深度では大型生物など生息できるはずがない」
英国の学者が常識的な意見を述べた。水深1万メートルの世界では1平方センチメートルあたり1トンもの水圧が加わる。地上の生物、まして大型の生物が生息できる環境ではない。
「あの怪獣らを常識で考えてはいけない。そのことは皆さん既によくご存じのはずだが」
日本の学者が反論した。
「たしかにその通りだ。あれは我々の常識で測ってよい生物ではない。データを見る限り彼女の推論は間違っていないだろう」
議長が同意する。そして女性科学者に頷いた。
「はい、議長、ありがとうございます。怪獣を根絶するためにも、私はこの場所を調査することを強く進言します」
それを機に会議室はあちこちで議論が巻き起こった。
「そんな深海をどうやって調査する?」
「海軍の潜水艦ではどうだ?」
「いや、潜水艦でもそこまでは潜れないはずだ」
「海軍の知り合いに聞いた話では200mでも危険だそうだ」
「では1万メートルの深海調査なんて無理じゃないか!」
「ではどうする?海面監視を強化するか?」
「それではいつまでも怪獣の脅威におびえる事になるぞ」
「そうだ、何とかして元を絶たなければ……」
「そういえば……」
インドシナに植民地をもつフランスの科学者がつぶやいた。ちょうど議論に空白ができた瞬間だったせいか、小さな声だったにも関わらず、その声に科学者らは注目した。
「なにか思い当たる事が?」
議長が期待に満ちた目で尋ねる。
「いまは米国に世話になっている身だが……母国にいた頃だがね、隣国のドイツで成層圏を目指していた科学者がいたんだ」
「ああ、確かスイス人の科学者だったかな?」
同じく米国に身を寄せているオランダの科学者が相槌をうつ。
そのスイス人の科学者というのは、オーギュスト・ピカールの事であった。ピカールは高高度用の気球の研究をしており、1931年には世界で最初に成層圏に到達した実績をもっていた。
「そう、そのスイス人だ。たしか彼はその後、深海に潜る研究をしていたはずだ。気球の原理を利用して水深1万メートルでも潜水可能な機械を考案したらしい。記憶では戦争直前にはベルギーに居て、その機械の製造にとりかかっていたと思うが……」
「なに!」
「本当か!」
「いま、彼はどこにいる!」
会議室が再び騒然となった。
残念ながらベルギー、スイスはPDOに加盟していない。そこでピカールについての調査は英国秘密情報部(MI6)の手で行われた、その結果、確かにピカールは戦争直前に『バチスカーフ』と呼ばれる革新的な深海潜水艇を開発していた事が確認された。
彼の潜水艇は気球の逆で、バラストを抱いて沈降、そのバラストを捨てて浮上する仕組みであった。潜水艦の様に浮力体に空気は使用していない。代わりに水より比重が軽く、圧力による体積変化の小さいガソリンを使用している。
このため浮力部分の耐圧性は不要であり、人が入る部分のみが高圧に耐える分厚い鋼鉄の球となっている。まさに彼の高高度気球の経験が生かされていた。
またピカールは現在、ドイツ占領下のベルギーに居ることもわかった。
接触した諜報部員によれば、ピカールは特にドイツに忠誠を誓っていない。このため、戦争で中断している研究を再開できるならばと国外に脱出することに喜んで同意したという。その際に彼から出された条件は、家族も一緒に脱出することだった。
■昭和十八年(1943年)3月 ベルギー ブルージュ郊外
「中佐、この先2kmに検問です」
先行していたバイクが戻ってきて報告した。
「わかった。ノイマン中尉はこのまま車列に残れ」
「了解」
中尉はバイクを翻すと車列の先頭につけた。車列は2台のオペルトラックと1台のシュビムワーゲンで編成されている。いずれもドイツ軍のマークを付け、ドイツ軍の軍服を着た兵士に護衛され、ブリュッセルから北の海岸に向けて進んでいた。
「シュタイナー中佐、大丈夫なのか?」
トラックの幌から男が不安そうに顔を出す。彼は軍服を着ていない。民間人だった。
「ピカール教授、これまで通りにやれば大丈夫です。そうご家族にもお伝えください」
振り向いた中佐は、男の不安に笑顔で答えた。そして顔を戻すと隣の軍曹に小声で話しかける。
「ヴァルター、回収部隊との会合地点まで、あとどのくらいだ?」
「あと5kmってとこですかね。しかし私の勘ではそろそろヤバイですな。好みじゃないですがBプランを検討した方が良さそうです。いやー楽しくなってまいりました」
さっそく武器の手入れをしながら軍曹が笑顔で答える。
「そうだな。俺も楽しくなってきた。さて軍曹、仕事の時間だ。皆に戦闘の用意をさせろ。ピクニックはここまでだ」
しばらくして車列は検問所に到着した。指揮官らしき中尉がシュタイナーの乗るシュビムワーゲンに歩み寄る。彼はシュタイナーに敬礼すると質問した。
「中佐、この部隊の目的は?失礼ですがこちらでは報告を受けておりません」
「ご苦労、中尉。なに、このご時世だ。連絡が届かないなんて良くある話さ」
シュタイナーは笑顔で懐から命令書を出して中尉に渡す。中尉はそれを念入りにチェックする。
「中佐、ついでに休憩と点検をしても宜しいでしょうか?」
ヴァルターがシュタイナーにだけ分かるようにウィンクして尋ねた。
「ああ、許可する。中尉の方も構わないな?小便は手早く済ませろよ」
「了解です。総員下車!点検と小休止!」
ヴァルターが後方に怒鳴り、2台のトラックから兵士がぞろぞろと降りてくる。彼らは皆、小休止にも関わらず銃を手にしていた。そして自然な風を装って周囲に散開する。
「中佐、ありがとうございました。書類には問題ないようです……しかし、どうして本国への機材移送にわざわざ船を使うのですか?トラック2台程度なら、鉄道か直接トラックで運ぶ方が手間がかからないと思うのですが」
書類を返しながら検問の中尉が尋ねる。
「さあな。上の人間の考えてる事は分からんよ。俺は命じられた通りに運んでいるだけさ」
シュタイナーは肩をすくめる。
「何かの手違いかもしれませんね。少し本部に確認させてもらえませんか?お時間は取らせません。それと荷台の確認も」
「ああ、構わんよ。仕事熱心なのは結構な事だ」
シュタイナーは書類を懐にしまう。そして溜息をつくと、スッと片手をあげた。
それを合図に銃声が鳴り響く。隣のヴァルターが背を向けた中尉の背中を撃っていた。同時に周囲に散開していた兵士らが検問所の兵士らを制圧する。戦闘はものの数秒で終わった。シュタイナーらの部隊に被害はない。
「死体は隠せ!検問には二人残せ!日が暮れたら部隊に合流させろ」
シュタイナーが指示を出していると、ようやくピカール教授が恐る恐る顔をだした。
「ど、どうした!何があった!」
「すいません教授、問題が発生しましたが解決しました。しかし、ちょっと予定は変更になります」
シュタイナーはにこやかに答えると右手に見える森を指さす。
「皆さんには申し訳ありませんが、ここから徒歩で移動して頂きます。2時間ほどで別の部隊があなたたちを保護しますのでご安心ください」
「き、機材はどうする?」
ピカールはトラックの荷台を指さす。
「トラックは我々と一緒に進みます。なに、どうせ脱出先では予算をふんだんに使って、もっと良いものが作れますよ」
「き、君たちは一緒に来ないのか?」
「申し訳ありません。こちらは野暮用がありまして。教授、時間が惜しいのですぐに出発してください。ノイマン!リーアム!ハーヴィ!お前ら三人は教授とご家族についていけ!絶対に無事に送り届けるんだぞ!」
指名された兵士らは、さっと敬礼すると教授らを連れて森に向け歩き出した。
「教授」
森に進みだした教授をシュタイナーが呼び止めた。今までのおどけた様子と打って変わった、真剣な眼差しで教授の目を真っすぐ見つめる。
「教授の研究に人類の未来が掛かっています。どうか人類を救ってください。よろしくお願いします」
シュタイナーが敬礼した。他の残る兵士たちも一斉に敬礼する。驚いた教授だったが、深く頷くと再び森に向かって歩き出した。その足取りからは、これまでのオドオドした様子は消え、しっかりしたものに変わっていた。
ピカール家族を見送った後、シュタイナーはヴァルターに向き直った。
「さてヴァルター、悪いな。Bプランだ。どこか目立って時間が稼ぎやすい所はあるか?」
「なに、これまでが順調過ぎただけですよ。場所は見繕ってあります。この先に3年前の撤退戦で廃村になった村があります。そこそこ立派な教会があるので、立て籠もるにはちょうど良いかと」
「よし、そこでいい。せいぜい派手に暴れてやろう。全員!ドイツ軍の軍服を脱げ!いいか、我々はスパイではない!栄光ある王国陸軍部隊の精鋭だ!それをドイツ野郎共に教えてやるぞ!」
この後、シュタイナーらドイツ系兵士で構成された英国特殊部隊(British Commandos)の13人は廃村の教会に立てこもり、ドイツ軍と派手に交戦した。最後まで勇敢に戦った彼らの墓は、今でもその教会の横にあるという。
ピカール家族は、シュタイナーらの陽動のおかげで無事に回収部隊と合流を果たした。そして夜間に海岸からゴムボートで脱出し、潜水艦に乗り換えて英国に辿り着いた。
こうしてピカール家族救出作戦「梟」は、一部の犠牲はあったものの成功した。ピカールはその後さらに米国へと渡り、そこでバチスカーフの開発を再開することとなる。
これでバチスカーフは史実より数年早く生まれる事になります。
次回、大和が再び登場します!
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