◆第七話『人間襲来』
「なにがすぐには見つからないだ! 貴様のせいだぞ! 人間なんかにあんな姿を見られて……最大の屈辱だ……ッ!」
「落ちつけ、ヴィルシャ」
「これが落ちついていられるか!」
カオスは鬼気迫る形相のヴィルシャに詰め寄られていた。
おまけに両肩を掴まれてぐわんぐわんと揺らされている。
人間に日光浴を見られてからずっとこの調子だ。
平時なら好きなだけ付き合っても問題ない。
だが、いまはそうではない。
「いや、人間たちに見つかったのだからすぐにでも討伐隊が来るだろう。早く迎撃の準備をせねばならん。そして服を着たい」
「そ、それを早く言え!」
言わせなかったのは誰だと問いたい。
しかも、こちらが全裸であることを忘れていたらしい。
直視した途端に彼女の顔が真っ赤だ。
やはり男の裸に対して免疫がないらしい。
このまま彼女をからかうのも面白いが……。
さすがにいまは優先すべきことがある。
「さて、日光浴で充分に魔素を取り込めたことだし、ここを迷宮として確立させるぞ」
脱ぎ捨てた服を着なおしたのち、玉座のある段上へと向かった。
目的は玉座ではなくその裏側──最奥の壁面だ。
不規則かつ流線的なレリーフが施されている。
特定のものを描いたわけではない。
だが、まさに業火と呼ぶに相応しい迫力を誇っていた。
その業火の源と呼べる場所に埋め込まれた透明な水晶。
カオスはそこへ右手をそっと置いた。
途端、透明だった水晶が紫色の光を宿した。
まるで芽吹くかのように業火全体にも光が伝わっていく。
ついには胎動するかのごとくゆるやかに明滅しはじめた。
ここが迷宮として確立した瞬間だ。
カオスは水晶に右手を当てたまま振り返った。
懐かしい感触を味わいながら、ヴィルシャに問いかける。
「お前も《支配者の間》を何度も訪れているのなら、これがなにかわかるな?」
「もちろんだ。《迷宮核》だろう」
「そう、この迷宮核を通して魔界に魔素が送り込まれる。お前も知っているだろうが、迷宮核が破壊されれば魔界との繋がりが途切れる。つまり魔界への即時帰還もできなくなるということだ」
自力で道を繋ぎなおすことも可能だが、それには時間がかかる。しかも迷宮核が破壊されるような状況だ。時間をかけた時点で死は確実と言えるだろう。
「だからこそ、迷宮核をなんとしても死守しなければならない」
ヴィルシャが険しい顔で言った。
剣の柄をぐっと握るさまは言葉以上に力がこもっている。
「そう硬い顔をするな。言っただろう。俺様がいれば勝利は確実だと」
「わたしには相変わらず勝算が見えないままだ」
「それでも手を貸すあたりお前も俺様に期待しているのだろう?」
「勘違いするな。すべてはプリグルゥ様のためだ」
向けられる強い意志を宿した目。
あれは生半可な想いではできないものだ。
ヴィルシャ・ギズスという魔人に少し興味が湧いてきた。
カオスは《迷宮核》から離れて玉座に座った。
足を組んで頬杖をつきながら、ヴィルシャを見やる。
「ずっと気になっていたが、お前のプリグルゥへの忠義はただ魔王だからという域を越えているように感じる。なにか特別な理由があるのか?」
「……仮にあったとしてもお前に話すつもりはない」
「まったくお前という奴はブレんな。俺様は次期魔王なのだから少しぐらい心を開いてもいいだろうに」
「万が一、その次期が外れたとしても話すつもりは──」
突然、ヴィルシャが言葉を切った。
洗練された動きで2本の剣を抜いたのち、鋭い目を上空へと向ける。
「来たぞ」
「そのようだな」
いつの間にやら大穴の縁に人間が立っていた。
しかも1人や2人ではなくぐるりと囲うほどだ。
総勢200人程度といったところか。
それら全員が無造作に揃って両手を突き出した。
直後、各々の手から人の頭部ほどある火球が出現。
一斉にこちらへ向けて放出しはじめた。
「随分と騒がしい挨拶ではないか」
人間たちが放ったのは〝魔法〟だ。
体に取り込んだ魔素を魔力へと変換。
それをもとに使われた力が魔法と呼ばれている。
魔法には攻撃や補助、治癒と多様な用途が存在する。
人間の間では、それを扱う者を魔術師と呼んでいる。
いまも向かってくるのは《火炎球》。
低級の魔法だが、放った人数が人数だ。
あわさることで威力は増大している。
炎の雨と化したそれらは、もはやべつの魔法といっても過言ではない。
「くそっ、いきなりか……!」
舌打ちし、迎撃に向かわんとするヴィルシャ。
彼女の戦闘能力は、おそらくミーレスにおいてもとくに秀でている。だが、さすがにあの数の魔法を剣で防ぐには限界がある。
「俺様に任せろ、ヴィルシャ。どこまで力が戻ったかを確認したい」
カオスは玉座に座ったまま右掌を上向けた。
途端、掌の先──大穴の中層で黒煙が出現。
ぼうっと火のごとく勢いを増すや膨張した。
瞬く間に頭上の大半を覆ったそれは、接触した《火炎球》のすべてを呑み込んでいく。抜けた《火炎球》はひとつして存在せず、完全に相殺した形だ。
「ふむ、この程度の低級魔法であればなんの障害にもならんな」
魔法は人間だけの技術ではない。
魔人にも扱えるうえ、独自の技術形態が存在する。
いましがた《火炎球》を呑み込んだものも魔法だ。
とはいえ、名前をつけるほどのものではない。
ただ、より強い魔法の塊を放出して消失させただけだ。
とくに大したことではない。
ただ、視界の端ではヴィルシャが信じられないとばかりに唖然としていた。
「ばかな……これで制限された状態だと……?」
「ようやく俺様の凄さがわかったか。いまから崇めても遅くはないぞ」
「その調子のよさが余計だといつ気づくんだ」
話している間にも次なる攻撃が襲ってきていた。
床に描かれた点の形をした無数の影。
見上げると、落ちてくる矢の数々が映り込んだ。
魔法がダメなら物理でということか。
だが──。
カオスは同様に右手を払った。
放たれた衝撃波がすべての矢を弾き飛ばした。
「矢を放ったところで同じだ。……これが見えんのか、人間たちよ。俺様はお前たちが言うところの赤角という奴だ。そう、特別に強くてカッコイイ存在というわけだ!」
我ながら決まったと思った。
だが、思いのほかウケがよくなかったようだ。
人間たちは誰一人として反応してくれなかった。
唯一、反応してくれたのはヴィルシャのみだ。
もっとも、細めた目を向けられただけだったが。
「……自分で言っていて恥ずかしくないのか?」
「本当なのだからなにも問題ないだろう」
なにも間違ってはいない。
そう自信満々に言い切ったときだった。
「報告を聞いてからどんな魔人かと思ってたが……なるほど、これまでに見たどの魔人とも違うみてぇだな」
この玉座から大穴の縁まで相当な距離がある。
にもかかわらず、その声ははっきりと届いた。
声の主は縁に立っていた。
遠くからでもわかるほどの巨体だ。
鍛え抜かれたとわかるほど隆々とした筋肉。
幾つもの死線を潜り抜けたとわかる数々の傷跡。
なにより特徴的なのは髪型だ。
後ろで2房にわけた髪を両肩に縛りつけている。
動きにくくはないのか。
格好いいと思っているのか。
見た瞬間から気になって仕方なくなってしまった。
ただ、そんな愉快な恰好とは裏腹に空気感は独特だ。
ほかの兵たちとはまるで違う圧を感じる。
「……お前が指揮官か」
「いかにも! 俺はディガロ・レイグ! 城塞都市クイランの領主だ!」
「ほう、まさか領主自ら出向いてくるとはな」
クイランは国境近くの都市だ。
領主に武人が配されるのはおかしくない。
外見的にも間違いないだろう。
気になるのは奴がどんな人間かだ。
隣国に《聖石》の素材を奪われることを防がんとする愛国主義者か。はたまたコレを手にのし上がらんとする野心家か。
……おそらく後者だろう。
ディガロの目からそう確信できる。
「ここでお前たちが懸命に下りてくるのを眺めるのもいいが……いいだろう。お前のその雄姿を称え、特別に道を造ってやる」
下がらせていた蛇竜虫たちを再び呼び出した。
食らわせる先は玉座の対面となる壁だ。
蛇竜虫たちがその荒々しい食いっぷりで壁を削りはじめた。
周辺の縁に立つ人間たちが落下しないよう慌てて避難していく。
そんなさまをヴィルシャが呆けながら見ていた。
だが、なにを思ったか、はっとなって詰め寄ってくる。
「な、なにをするつもりだ!」
「見ていればわかる」
まもなく蛇竜虫たちの仕事は終わった。
出来上がったのは緩やかな坂。
最短かつ安全に《支配者の間》まで到達できる道だ。
カオスは自身の胸を指し示しながら、人間たちへと笑いかけた。
「お前たちの欲するものはここにあるぞ。さあ、〝死に物狂い〟で取りにくるがいい」