◆第六話『大穴迷宮』
多くの迷宮は幾つもの階層。
複雑な通路によって構成されてきた。
しかし、前例に従う決まりはいっさいない。
重要なのはゲートの名を冠するものが造ったか。
つまり、この簡素な構造でも迷宮たりえるのだ。
そばでヴィルシャがいまだ唖然としていた。
この革新的な迷宮によほど感銘を受けたのだろう。
「どうだ、俺様の迷宮は?」
「……貴様はバカなのか? これのどこが迷宮だ!」
どうやら感銘を受けていたわけではないらしい。
ヴィルシャが眉根を寄せながら、ビシッと頭上を指さす。
「大体、こんな大穴を造ったらすぐに見つかるだろう!」
「言っただろう。時間をかけず一気に魔素を取り込むと」
「だからといってこんな方法を選ぶなんて……ああ、もう本当にありえない! これなら真っ直ぐな通路でも階層を造ったほうがよっぽどマシだ──ってなにをしてる!?」
「ん、日光浴だが?」
「それもだがっ、なぜ服を脱いでると訊いてるんだ!」
たしかに脱いでいる。
上も下もすべての肌をあらわにしている。
ついでに言えば両手を広げ、空に向けた格好だ。
なぜヴィルシャがこれほど狼狽するのか。
冷静になって考えた結果、答えに辿りついた。
これがとくにおかしくない行為であることを知らないのだ。
「人間たちは日頃こうして全裸で陽光を浴びているそうだぞ」
「そんな話は聞いたことがない! 仮にしていたとしても我々魔人が人間なんかの真似をする必要はないだろう!」
「いや、これがなかなかどうして魔素を効率よく吸収できるのだ」
魔素が全身の肌を介して入り込んでくる。
可能な限り魔素の濃い場所を選んだからか。
その勢いはまるで衰える気配がない。
「……絶対に嘘だ。そもそも陽光は魔族にとって害あるものと言われている」
片腕で陽光から顔を隠すヴィルシャ。
陰の下でうっすら映るその目は空を睨んでいる。
「誰が言ったかは知らんがそれは嘘だ。……まあ、耐性の問題で肌への負担は多少なりともあるかもしれんが」
「それ見たことか。いま貴様の口で害があると言ったではないか」
「だが、魔素の少ない現状ではそれを補って余りあるほどの恩恵が得られるぞ」
魔界の現状から察するに、ヴィルシャの体内には魔素がほとんど残っていない。好まない手段であったとしても、ここはなんとしても魔素を取り込ませたいところだ。
「ほら、お前もやってみてはどうだ」
「誰が脱ぐか」
「べつに脱ぐ必要はないが」
「だったらなぜ脱いだ!」
「解放感を求めただけだ」
残念ながら納得させるには至らなかった。
ただ、どうにも気になるらしい。
ちらちらと様子を窺ってきている。
と、ついに好奇心に抗えなくなったようだ。
くそっ、とヴィルシャが悔し気に悪態をついた。
「……確かめるだけだ。もし本当に効率よく魔素を吸収できるのなら、それに越したことはないからな」
疑念を打ち消さんとずんずんと歩み寄ってきた。
隣に立ったのち、ぎこちない動きで両手を上げはじめる。
「こ、こうか?」
「足も軽く開け。そして両手はもっとだ。もっと広げろ。すべての空を掴むように。そうだ、その格好だ!」
完璧に同じ恰好となった。
違うのは服を着ているかどうかだけだ。
と、なにやらヴィルシャが思いきり顔を歪めた。
「くぅ、なんなんだこれは……っ」
「ん、あまりよくなかったか?」
「……逆だ。体内に魔素が入ってくるのを感じる。それに陽光の刺激も……これはこれで……っ」
いまの彼女の体内には魔素がほとんどない。
つまり、からからの喉に飲み物を注ぐようなもの。
きっととてつもない満足感を覚えていることだろう。
「お前も日光浴の良さがわかってきたか」
「だが、こんな間抜けな格好を誰かに見られたら屈辱以外のなにものでもない……っ」
「先ほど開けたばかりだ。さすがに見つかるまでまだ多少の時間はあるだろう」
そう言い終えたときだった。
地上の縁から2つの頭が飛び出した。
どちらにも角はない。
間違いなく人間のものだ。
じっとこちらを見つめる2組の双眸。
どれくらい互いに硬直していただろうか。
まもなくして人間たちが動き出した。
弾かれたように立ち上がり、背を向ける。
「魔人……魔人を発見ッ! すぐに領主様に報告だッ!」
◆◇◆◇◆
ディガロ・レイグはベッドに腰かけた。
昂ぶった気持ちを強引に静めんと息を吐く。
「ディガロ様、わたしはまだ……」
後ろから聞こえてきたか細い声。
振り向いた先、女がうつ伏せで寝ていた。
彼女は妾の1人だ。
つい先ほどまで情事に励んでいた。
当然ながら互いに生まれたままの姿だ。
「寝てろ。そんな状態じゃ俺を受け止められん」
「ですが」
「二度は言わねえぞ」
語気を強めたかいがあったようだ。
彼女は戸惑いながらも目を閉じた。
ディガロは正面に視線を戻した。
しんと静まり返った室内を茫然と見回す。
ゆったりとした部屋だ。
金の意匠が施された調度品で飾られている。
一見、眩しいと感じるほどにひどく煌びやかだ。
ただ、ここもクイランの領主邸──。
その中に数ある寝室の1つでしかない。
気づけばクイランの領主にまで上り詰めた。
自身がどこまでの男なのか。
証明するために走り続けた。
その結果、行きついた地位だった。
クイランは対立するグラーシュダリア王国との国境付近に造られた城塞都市だ。その領主となることは武人において名誉であることは間違いない。
だが──。
いまだに気持ちは満たされていない。
もっと上にいけた。
そんな想いがあるからだ。
しかし、もはや武力でのし上がることは難しい。
迷宮が生成されなくなったからだ。
迷宮がなければ、そこに現れる魔人もいない。
《聖石》や《聖片》を得る手段がない。
ディガロは自分の体を見下ろした。
人の中でもとくに大きいと言われている。
そしてそのすべてがはちきれんばかりの肉で覆われている。
身長ばかりは血統だ。
しかし、この肉だけは努力した結果だ。
なんの訓練もしていない人間を殴れば骨まで粉砕できるほどにまで至った。ただ、人間を殴ったところで意味はない。
この拳が捉えるのはただ1つ。
迷宮の最奥で待つ魔人だけだ。
「なぜだ……なぜ姿を現さねえ」
口惜しさからぐっと右手に拳を作った。
直後、廊下から騒がしい足音が響いてきた。
次いで扉が3度小突かれた。
緊急時の用件である合図だ。
入るよう促すと、1人の兵が入ってきた。
ただ、情事後の光景とあってか。
気まずそうに硬直していた。
「で、出直したほうがよろしいでしょうか」
「男の裸を見た程度で動揺すんな。急ぎならすぐに話せ」
兵がなにか言いたそうに視線を漂わせていた。
だが、ぐっと堪えたようでようやく話しはじめる。
「報告します! 国境付近にて見たこともない規模の大穴を発見! 底に全裸の魔人も確認したとの情報が入りました!」
覇気のあるいい声だ。
まさに伝令の鏡とも言える。
だが、驚くほど頭に入ってこなかった。
「……お前はなにを言ってる?」
「で、ですから大穴が──」
「そこじゃねえ。なんで魔人が全裸なんだって訊いてんだ」
報告が頭に入ってこなかった原因だ。
兵が返答に窮したのち、絞り出すように答える。
「へ、変態なのでは……と」
「つまりお前は俺も変態だと言いたいわけか」
「断じてそのようなことはっ」
「ひとまず全裸の件は置いておく。いいな?」
「……は、はい」
またもや兵がなにか言いたげだった。
気持ちはわかるが、こちらも混乱しているのだ。
「しかし、大穴か……そんな話は聞いたことがねえな。迷宮ならすぐにでも赤角の存在を確定できるが……」
「その……魔人は2体いたとのことです。うち、1体が赤角だとも」
「なぜそれを早く言わねえ! 全裸よりも重要なことだろうが!」
「も、申し訳ありません!」
兵が改めてびしっと直立して謝罪した。
たしかに殴りたくなるほどの怒りは湧いた。
だが、自らも〝全裸〟に意識を奪われたのも事実。
長く細く息を吐いてなんとか拳から力を抜いた。
「にしても国境付近か……厄介な場所に造りやがったな」
報告にあった赤い角の魔人。
その心臓が《聖石》となりえるものか。
あるいは欠片にしかなりえぬものか。
いずれにせよ、大きな戦力となることに変わりない。
国境の向こう側──グラーシュダリア王国は、こちら側であるルヴィエント王国に戦力で遅れをとっている。そんな状況を覆すため、魔人の存在に気づけばその心臓獲得に乗りだしてくる可能性は高い。
ゆえに気取られないよう兵は厳選する必要がある。
だが、それでも相手は魔人であり赤角。
討伐には相当数が必要だ。
「いますぐ兵たちに伝えろ。魔人狩りの時間だ、とな」
ディガロはベッドから立ち上がった。
後ろに流した腰まである長い髪がふわりと舞う。
男なのに長い髪と嘲笑されたことは少なくない。
だが、一度も切ろうと思わなかった。
もとより個々の価値観を押しつけてくる奴らはクソだ。
そんな奴らの意見を聞き入れるほどこの身は柔軟ではない。
2つに分けた後髪を1房ずつ両肩に縛りつけた。
曾祖父の代から続くレイグ家伝統の戦闘態勢だ。
実際、肩の圧迫から祖先の力が加わっているように感じられた。
ディガロは昂ぶる感情を全身に漲らせた。
まるで歓喜するかのごとく筋肉が膨れる中、国境へと目を向ける。
「待ってろ、魔人。俺の滾りに滾った体のすべてをぶつけてやるぞ……ッ!」