◆第四話『人間界への侵攻作戦』
「あぁ……プリグルゥ様の手がこんな汚らわしい男に触れるなど……っ」
「そんなに羨ましがらずとも望めば触らせてやるぞ、ヴィルシャよ」
「誰が好き好んで貴様の肌に触れるかっ」
「静かにしてください、ヴィルシャ。気が散ります」
「も、申し訳ございませんっ」
カオスはプリグルゥの前で上半身だけ裸になっていた。
鍛え抜いた肉体だ。
見せることになんら躊躇いはない。
むしろ世界中に見せつけたいぐらいだ。
ただ、今回に限っては自ら好んで見せたわけではなかった。
かつて魔界追放の折、《昏き闇の六門》によって施された封印。その一部をプリグルゥに解除してもらうところだった。
腹部の中心を貫くように描かれた無骨な五本の刃。
これこそが封印の証であり、1本1本が六門によって刻まれたものだ。
プリグルゥの小さな手がぺたりと腹に当てられた。
わずかな冷たさを持つそれから徐々に熱が発しはじめる。
「……《昏き闇の六門》が一、アビスの血を継ぐ者──プリグルゥ・アビス・ゲートの名のもとに、この者に課せられた制約を解き放たん」
腹部に刻まれた5本の刃。
その1本が赤く発光し、肌から浮かび上がった。
直後、まるで炎のごとく揺らめくと、ぼうと一瞬の煌めきを残して消滅した。
「これで我が祖による封印は解かれたはずです」
「ふむ、たしかに圧迫感が幾らか和らいだ」
体内で感じられるわずかな変化だ。
おそらく外からでは誰もわからないだろう。
実際、ヴィルシャは疑わしそうに目を細めている。
「……大して変わっていないように感じる」
「俺様はもとから誰よりも美しいからな」
「誰が見た目のことを言った。それより早く服を着ろっ」
「そう照れるな。その歳で男の裸を見るのが初めてというわけではないだろう」
「──っ!」
ヴィルシャがなにか言いかけて詰まった。
なにやら見てわかるほどに赤らんでいる。
なんとも予想外の反応だ。
「そうか、いまの魔界にはそういった相手がいないどころか探すこともできないのだったな……俺様が悪かった」
「憐れむなっ! そもそもわたしは男の裸なんか見たいと思っていない!」
「今後は言ってくれればいつでも俺様の体を見せてやるぞ」
「誰が頼むか!」
荒々しく顔をそらすヴィルシャ。
そんな彼女をよそに、プリグルゥが小声で話しかけてくる。
「ヴィルシャをからかうのはほどほどにお願いします。恥ずかしがり屋さんなので」
「そのようだな。ま、面白いのでやめるつもりはないが」
「だと思いました。顔から滲み出ています……」
どうやら感情が表に出ていたらしい。
カオスは綻ぶ口元を締めつつ上衣を着なおした。
戻った一部の力を確かめんと右手に拳を作る。
「ひとまず、これで人間に負けることはないだろう」
「どうだかな。長い獄中生活で腕が腐ってなければいいが」
「おい、ヴィルシャよ。もう少しこの魔王カオス様を信頼したらどうだ?」
「誰が魔王だ。その件は〝結果〟を出したらという話だったろう。つまりいまのお前はただの大罪人だ」
「なんとも頑固な奴だ」
プリグルゥに提示した条件はどちらも呑まれた。
ただ、魔王の席を譲る件は結果を出してからということになった。
なにをするにも勝利は確実。
実質的に魔王となったも同然だが……。
どうやらヴィルシャはぎりぎりまで認めたくないようだった。
「カオス様、いまの人間たちを侮らないほうがよいかと」
「お前まで言うか。ふむ……それは奴らが死んでも復活するからか?」
「ご存じでしたか」
「ちょうどヴィルシャが来る前、奴らの来訪があったからな。しかし、まだ完全には納得していない」
正確には信じたくないのが本音だ。
とはいえ、理解する努力をやめたわけではない。
「俺様の知る人間たちにそんな力はなかったし、そんな域に達する潜在的な力もなかった。それでも可能だとすれば、なんらかの外的要因が加わったとしか考えられん」
「……すでにお察しなのでは?」
「六門の始祖が殺られたと聞けばさすがにな」
1つの可能性として浮かんだ案だ。
カオスは自身の胸に手を当てながら話を続ける。
「六門の始祖は漏れなく強大な力を有している。仮に人間たちが復活能力を得られるとすれば、その力を使った可能性が高い」
そして使用したのは頭部でも手足でもない。
おそらくもっとも魔素の集まる箇所。
「……心臓だろう」
どうやら当たりのようだ。
プリグルゥが神妙な面持ちで頷いた。
「人間たちはそれらを加工し、聖石と呼んでいます」
「奴らが悪とする魔人の一部だというのに、なんとも滑稽な話ではないか」
「彼らは、彼らの信奉する神から魔人が奪ったものだと信じているようです」
「おめでたい頭としか言いようがないな」
魔人の体は魔人のものだ。
生まれたときより誰のものでもない。
「しかし、始祖の心臓を使ったのなら話は早い。なにしろ俺様たちには元から不滅を可能とする技術がある」
「はい。主の力ある限り何度でも復活できる──《刻印契約》」
「つまり、その主を人間たちは《聖石》に見立てて《刻印契約》を結び、不滅の恩恵を得た。しかも地上には魔素がたんまりだ。……なるほど、魔素のない魔界とは違って復活し放題というわけか」
仕組みとしてはなんとも単純。
だが、同胞の心臓を用いた技術だ。
とてつもない嫌悪感がある。
「さらに彼らは始祖以外……六門の血縁者の心臓も利用しています」
「《刻印契約》は始祖のみが使えるはずだが」
「仰るとおりです。ただ、血縁者の心臓は始祖との親和性が高いうえ、内包する力はほかの魔人を大きく凌ぎます」
「……なにが言いたいかわかったぞ。本来、《刻印契約》により契約者が復活する場所は契約主のそばだ。つまり《聖石》のそばのみ。だが、血縁者の心臓を間に挟んで契約することで、元の《聖石》以外の場所にも復活地点を作れる」
どうやら正解だったようだ。
プリグルゥが険しい顔で頷いた。
「人間たちは血縁者の心臓を聖石の欠片……《聖片》と呼び、主要な都市のほぼすべてに配置しています」
「《聖片》を壊せば復活地点は潰せる。だが、大元の《聖石》を破壊しなければ完全に人間を殺すことはできないということか。……こうも魔人の心臓を余すことなく利用するとはな」
人間には寛容なほうだと自負している。
しかし、現状にはさすがに苛立つものがある。
ヴィルシャもそう感じているようだ。
体を震わせ、みちみちと音がするほど両手に拳を作っている。
「いずれにせよ人間たちは不滅の体を手に入れた。多くはゴミのような力しかないが、奴らは数が多い。あちこちにあった迷宮は次々に押しつぶされ……ついには迷宮を造った矢先に潰されるまでになってしまった……!」
「どうりで魔人があれほどバカにされるわけだ」
魔人の多くは戦闘能力で人間のそれを上回る。
にもかかわらず、先の夜盗たちがなぜ強気でいられたのか。
答えは簡単。
もはや人間たちにとって魔人は〝強者〟でなくなっただけのことだった。
「そうした点も踏まえ、最初に生成する迷宮の場所は慎重に選ぶべきでしょう」
プリグルゥが執務机の引き出しを開けた。
中から取り出したのは随分と厚い巻物。
彼女はそれを机の上に広げはじめる。
が、低身長もあって端まで伸ばすのに苦労していた。
つま先立ちをしながら、「んぅっ」と呻いている。
ヴィルシャが慌てて駆け寄るも、「1人でできます」と制してしまった。どうやら幼き魔王は文字通り背伸びをしたい年頃らしい。
カオスは机に広げられる紙を見つつ、いまもうずうず中のヴィルシャへと問いかける。
「それはなんだ?」
「人間界の地図だ。もっとも、これが描かれたのは約10年前だが」
「もはや探ることすらもできなくなったか」
「……ああ、だから正確ではない場所も多い」
迷宮が出来るなり攻められる状況だ。
地上を探れなくなるのも無理はない。
とはいえ、戦争において情報はとても重要だ。
それがほぼないのはかなり不利と言える。
状況は思っている以上に深刻なようだ。
プリグルゥによって広げられた地図を改めて見る。
「……俺様の頃から大きく様変わりしたな」
「現在、人間界は大まかに見れば2つの勢力にわかれています。1つは北側の多くを領土とするルヴィエント王国。そしてもう1つは南側の多くを領土とするグラーシュダリア王国です」
どちらも多くの都市や街を有している。
領土はややルヴィエント側のほうが広いか。
いずれにせよ、わかりやすく二分されていた。
「ルヴィエントは俺様のいた頃からあったな。だが、たしかあそこはさほど大きくなかったはずだ」
小さな都市国家といった感じだ。
ただ、ほかの王国もそう大きくはなかった。
全体で6つほどの勢力にわかれていたと記憶している。
「──それがいまや世界の覇者とも言える国となった」
「つまり六門の始祖を初めて倒し、《聖石》を作ったのがルヴィエントということか」
どうやら当たりのようだ。
ヴィルシャがわずかな間の沈黙で肯定する。
「……現在、ルヴィエント王国は《聖石》を3つ保有している」
「グラーシュダリアとかいうほうは幾つだ?」
「2つだ」
「ふむ、《聖石》の保有数が領土差に影響していそうだな」
《聖石》の力を考えれば、もたらす威光もあるだろう。
単純に戦力の大幅な増強としても計算できる。
領土に影響するのは容易に考えられることだ。
「とはいえ、ほぼ均衡か。だが、2国だけとは対立を生みやすい構図だな」
「それが不滅という力が抑止力となっているようです。これまで両国で大きな争いに発展したことは1度もありません」
「俺様のいた頃とは大違いだな。人間同士で争ってばかりだった」
……宗教、資源、純粋な金儲け。
様々な欲望により大地を血で染めていた。
「あの頃と比べれば、多くの人間にとっていまは平和なときなのかもしれないが……それも新たに《聖石》を得られる機会があるとわかれば大きく変わりそうだな」
カオスは自身の胸に手を当て口元を歪めた。
この心臓を求め、変貌する人間たち。
想像するだけで笑いが止まらない。
ヴィルシャが引き気味な目を向けてきつつ、「と、ともかく!」と話を戻した。
「いまの人間どもは《聖石》の力を得たことにより、死んでも死んでも復活しては襲ってくる。プリグルゥ様が仰ったとおり最初に造る迷宮の場所は慎重に選ぶべきだ」
「ふむ、ではここにしよう」
カオスは地図の1か所を指し示した。
ルヴィエント王国領のクイランと呼ばれる都市の近くだ。
プリグルゥとヴィルシャが揃って驚愕していた。
次の瞬間には険しい顔を見せたことから、いかにいま選んだ場所が常識外れなのかが理解できる。
「どうやら俺様は大当たりを引いたようだな」
「逆だ! 近くの都市クイランはグラーシュダリア王国との国境に近いことから城塞化している。当然、《聖片》も置かれている。それになにより神聖都市に近すぎる……っ!」
「なんだ、その神聖都市とは?」
「……《聖石》が置かれた都市のことだ」
つまりルヴィエント王国が保有する3つの《聖石》。
そのうちの1つが置かれた場所ということか。
「《聖石》がある限り人間どもは幾度も蘇る。ならば早めに潰すに越したことはないだろう」
「だから、そうするだけの戦力がいまはないと言っている! まずは僻地に迷宮を生成し、魔素を収集。眠っている仲間を起こしてから挑むべきだ!」
「お前も知らぬわけではないだろう。魔素が人間の集まる場所に多く存在することをな」
これは偶然でも願望でもない。
過去、正式に調査し、判明した事実だ。
「僻地に出したところで大して魔素は集まらん。仮に集まるとしても長い年月を要するだろう。そうして悠長にしている間にも人間たちに見つかり、迷宮を潰される未来が容易に想像できる」
悔し気に押し黙るヴィルシャ。
大方、同じようにして幾度か迷宮を潰されたのだろう。
劣勢なときほど慎重になるのはよくあることだ。
だが、重要なのは設定した勝利に到達すること。
それに向けて着実に進める1歩を踏み出さなければならない。
「いずれ見つかるのであれば、その機会を強襲に使って奴らを潰せばいい。クイランの《聖片》を破壊し、大元の《聖石》へと死に戻らせてやれば物理的にも人間たちを遠ざけられ、当分は安全も確保できる」
「大規模な討伐隊を編成されるのがオチだ」
「それまでに体制を整えればいい」
この身は最後の《聖石》となる材料だ。
人間たちがこぞって襲ってくることは目に見えている。
ゆえに最速で戦力を整える。
どんな戦略でもこれは変わらない。
だからこそ、もっとも早くそれを実現できる道を選んだ。
「プリグルゥ様からもなにかっ」
「……悪くないかもしれません」
プリグルゥが思案顔でそう呟いた。
唖然とするヴィルシャをよそに、プリグルゥが地図を見ながら話を継ぐ。
「最前線とはいきませんが、ここはグラーシュダリア王国とも近い。刺激しないためにも、また《聖石》を得るという目的に気づかれないためにも、ルヴィエント王国側は大規模な兵を出すことは難しい」
「ほう、よくわかっているではないか。褒めてやろう、プリグルゥよ」
幼いわりに大人びているとは思っていたが……。
なかなかどうして頭も回るらしい。
優秀な魔人が出てくることは喜ばしい限りだ。
カオスは嬉しさを隠さずにプリグルゥの頭をわしゃわしゃと撫でる。と、恥ずかしそうにプリグルゥが身を縮め、頬を赤らめる。
「あ、ありがとうございます……っ」
「なっ、その汚らわしい手でプリグルゥ様に触るなっ」
「なんだ、ヴィルシャ。お前もしてほしいのか?」
「誰もそんなことは言ってない!」
ヴィルシャをからかうのは面白い。
おかげで廃れた魔界でも大いに楽しませてもらっている。
「あ、あのカオス様。そんなにされては髪がぐしゃぐしゃになってしまいます」
「おぉ、すまないな」
慌てて手をどかした。
しっくりくる高さで余計に長く撫でてしまったのが本音だ。
プリグルゥが髪を少し整えたのち、問いかけてくる。
「カオス様は、この場所で上手くいく自信がおありなのでしょう?」
「むしろ自信しかないな」
こちらが思いきり胸を張って応じたからか。
プリグルゥがいっさいの不安を消して頷いた。
「わかりました。では、カオス様の思うままに」
「もとより俺様は好きにやるつもりだったがな。さて、このクイランを陥落させるのはわかりやすい〝結果〟だと思うが……どうだ?」
──クイラン陥落で魔王の席を譲れ。
そう目で訴えかけると、プリグルゥから首肯が返された。
「はい。勝利を収めて凱旋された際には、この魔王の座をあなた様に」
「いいだろう。盛大な迎えを期待しているぞ」
「たった2人なので限界はありますが」
「それもそうだった。ともかく作戦会議は終わりだ。これより俺様は迷宮生成に向かう」
言って、その場を収めんとしたとき。
視界の端でふくれっ面のヴィルシャが映り込んだ。
「なにか言いたげだな、ヴィルシャよ」
「……言いたいことだらけだ」
どうやら思った以上に頑固なようだ。
面倒ではあるが、こういう魔人は嫌いではない。
カオスはふっと笑みをこぼした。
その後、ヴィルシャの頬を両手でバチンと挟む。
「ひゃっ、ひゃひをふぅっ!?」
不格好な口で抗議をしてくるヴィルシャ。
そんな彼女へと、カオスは自信たっぷりに告げる。
「安心しろ、俺様は史上最強の魔人。そしてカッコイイ。絶対に……勝ぁぁああつッ!」
◆◇◆◇◆
「本当になんなんだ、あいつは…っ」
ヴィルシャ・ギズスは頬をさすりながら悪態をついた。
いましがたカオスによって閉められた部屋の扉を睨みつける。
「プリグルゥ様、あんな男に頼って大丈夫なのでしょうか。いくら始祖唯一の生き残りとはいえ、思っていた以上に危険な気がします……」
「そうですか? たしかに想像からはかけ離れていましたが、わたしは親しみを感じました。とても面白い方だ、と」
そう語るプリグルゥからは警戒心を感じない。
いくら主君とはいえ、同意できなかった。
あれはただの狂人だ。
六門の威厳も欠片すら感じない。
ただ、同意できる部分はある。
怖さをまるで感じなかった点だ。
正確には危害を加えてくるような怖さか。
ゆえに疑問に思うことがあった。
「あの男はなにをしたのですか?」
過去にカオスほど危険視された魔人はいない。
しかしながら、その犯した罪は一般には知らされていなかった。知ること自体が禁忌とされていたのだ。
この質問も罪に問われかねない。
ただ、カオスは獄から出された。
いまなら教えてもらえるかもしれない。
いや、知らなければならなかった。
カオスが成功すれば新たな魔王となり主君となる。
最悪な状況だが、プリグルゥが認めたことだ。受け入れるしかないが、心構えのためにも知っておきたかった。
ゼスティアル・カオス・ゲートがどんな魔人なのかを。
プリグルゥが考える素振りを見せた。
窓に向かったのち、その先に映る魔界を眺める。
「本来、これは六門の血縁にのみ明かされてきたことですが……そう、ですね。もはや隠す理由はなくなるでしょう。あの方が昔と同じ理想を追い求めているのであれば」
「……理想ですか。絶対にろくでもないことですね」
「どうでしょうか。正直に言えば、わたしは少しだけ興味があります」
プリグルゥが振り向いて目を合わせてくる。
彼女の深紅色の美しい瞳を見るのは好きだった。
ただ、そのたびに寂しさを感じていた。
魔界の未来を憂えてか、いつも不安で揺れていたからだ。
しかし、いまははっきりと違っていた。
まるで何度も磨かれた宝石のように輝いている。
否が応でもわかってしまう。
そこに込められた想いはきっと〝期待〟だ。
「あの方は望んでいるのです。魔人の誰もが考えなかったことを。いえ、おそらく魔人だけでなく、この世の誰もが想像しなかったことを──」
あまりに漠然とした言い回しだ。
言わんとしていることがまるでわからない。
できることは主君の言葉をしかと聞くことのみ。
そう思っていたのだが……。
主君より紡がれた言葉を理解することを頭が拒んだ。
「──人間との共存を」