◆第八話『商業都市クアルデン②』
背後から女の声が聞こえてきた。
とても澄んだ声だったからだろう。
込められた険をありありと感じられた。
振り返って路地の入口へと目を向ける。
と、剣を佩いた軽鎧姿の女が立っていた。
「……ほう」
カオスは思わず感嘆の声をもらしてしまった。
これまでに見た人間の女の中でも、とくに美しいと感じたからだ。
なにより目についたのはその長い髪だ。
腰まで真っ直ぐに伸びたそれは、いっさいの穢れを感じさせないほど白い。また射し込む陽光もあってか、輝いているようにも見えた。
歳の頃は20を少し過ぎたぐらいか。
人間の女にしては背が高いようだ。
ヴィルシャとほとんど変わらない。
豊満な胸も、すらりと長い手足も。
すべてが男の目を集めるに充分な魅力を持っている。
ただ、個人的に気になったのは瞳だ。
怒っているのか、あるいは元々か。
氷を思わせるほど冷たい印象を受ける。
──ほかの人間とは違う。
とても面白そうな人間だ。
「リ、リィンズ卿……!?」
動揺をあらわにする兵士2人。
どうやら女はリィンズという名らしい。
そして彼らよりも身分が高いようだ。
「どうしてここに……」
「みなが路地を覗いていたら気にもするでしょう」
どうやら知らずうちに騒ぎになっていたらしい。
路地を覗き込むように幾人かの民が集まっていた。
「それよりわたくしはなにをしているのかと訊いているのですが」
「いや、これは……」
「そこの奴らが女を強姦しようとしていた」
言い淀む兵士をよそに、カオスは遠慮なく伝えた。
当然、兵士から思いきり睨まれたが、それもすぐに収まった。兵士たちが急にびくっとなって硬直したのだ。
「本当なのですか?」
淡々と兵士たちに問いかけるリィンズ。
その目は刃物のごとく鋭い。
それがまた兵士たちの恐怖を煽っていた。
「い、いえ、違います! こいつが嘘を言ってごまかしてるだけです! 俺たちはただ美味い店でもないか訊いていただけで──」
「わたくしの目を見て言いなさい」
すでにリィンズは答えに行きついているのだろう。
兵士側もそれを悟ってか、新たな言い訳をしなくなった。
訪れた沈黙。
たったわずかな間だが、兵士たちにはとても長く感じられたことだろう。それほどまでに張り詰めた空気だった。
「いずれにせよ、あなたたちが騒ぎを起こし、また守るべき民を相手に刃を向けたことには変わりありません。処分は追って言い渡します。それまでは都市外の駐屯地にて謹慎を」
いつの間にか路地にはほかの兵士も集まっていた。
彼らに向かって「この2人を連れていきなさい」とリィンズが命令する。と、騒ぎを起こした2人がほかの兵士に取り囲まれ、あっという間に拘束された。
騒ぎを起こした2人が路地から連れ出されていく。
最中、「くそっ、小娘風情がっ……」とぼそりと呟いていた。
間違いなくリィンズにも聞こえていただろう。
だが、彼女はとくに顔を歪めることをしなかった。
それどころか、何事もなかったかのような顔をこちらへと向けてきた。
「あなたが彼女を守って下さった、ということで間違いないでしょうか?」
「ま、そういうことになるな。実際は突っ立っていただけだが」
「このたびは我が軍の兵がご迷惑をおかけしました」
「お前があいつらの上官なのか?」
カオスは気になることを早々に問うた。
直後、そばで控える店主が「お、おい兄ちゃん! そのお方はっ」と焦りだした。
リィンズの身分が人間の中で高いことは得られた情報から容易に想像できる。ゆえに店主は態度を改めるよう忠告したいのだろう。
だが、こちらは魔王。
相手を気にする必要はない。
リィンズのほうもとくに気にした様子はなかった。
「直接というわけではないのですが、そういうことになります」
「ではお前の責任というわけか」
「その通りです。すべてはわたくしの責任です。改めて、このたびの非礼をお詫びいたします」
「うむ、いいだろう。許す! 店主と、その娘もいいか?」
そう確認をすると、親子揃って高速の首肯を返してきた。
「ということだ」
「感謝します」
わずかに伏していた面を上げるリィンズ。
身分が高くなれば尊大になりがちなものだが……。
リィンズからはそういったものが感じられない。
「街の空気からさぞかし腐った奴が頭なのだろうと思っていたが、お前はなかなか話のわかる奴だな」
「そう……なのでしょうか」
こちらの言葉に目を瞬かせてぽかんとするリィンズ。
店主とその娘に至ってはなぜか怯えに怯えていた。
「リエラ様!」
路地に新たな女が駆け込んできた。
彼女を見て、「クフィ」と口にするリィンズ。
どうやら現れた女はクフィと言うらしい。
リィンズと似た白基調の軽鎧を身につけている。
大方、同じ所属の部隊なのだろう。
クフィはリィンズに駆け寄るなり、不安そうな顔で話しはじめる。
「騒ぎがあったと聞いてきたのですが……」
「すでに収拾がついたので問題ありません」
説明を受けて辺りを見回しはじめるクフィ。
と、こちらと目が合った瞬間、思いきり顔を歪めた。
「なんですか、この男は」
「彼は……そうですね。私の体裁を守ってくださった方です」
「つまり俺様はこの女の恩人ということだ」
カオスは胸を張りながら付け足した。
途端、クフィが目を見開いてまなじりを吊り上げる。
「この女って……あなた、リエラ様になんて口の利き方を!」
「構いません、クフィ」
「ですがっ!」
怒り心頭なクフィを制して、リィンズが1歩前に出た。
自身の胸元に手を当てながら、落ちついた声で話しはじめる。
「そう言えばまだ名乗っていませんでしたね。わたくしはリエラ・リィンズ。ルヴィエント王国の聖騎士として、神聖都市ヴィフェレスを守護しています」
「しかもリエラ様はただの聖騎士じゃなくて王国に10人しかいない《守護者》なの! だから、あなたみたいな下民が話していい相手ではないのよ! わかった!?」
リィンズの自己紹介に補足してくるクフィ。
なんとも騒がしいが、役に立つ情報ではあった。
──リィンズが《守護者》。
やはりという思いが先だった。
なにしろ初めて見た瞬間から、ずっと感じていたのだ。
溢れんばかりの神聖な力を。
「あなたのお名前を伺ってもよろしいですか?」
リィンズ──リエラが訊いてきた。
あまり他人に興味がなさそうな印象を受けたが……。
こちらを見る彼女の目はひどく真剣だ。
「俺はゼスト。ただの旅商人だ」
偽りの姿に本来の名で応じたくはなかった。
リエラの目が真剣だからこそ余計にそう感じた。
「ただの旅商人……ですか」
どこか引っかかりを感じているのか。
彼女はその綺麗な眉をわずかに歪める。
ただ、問い詰める気はないらしい。
待ってもあとに続く言葉はなかった。
「ま、そんな身とあって実はこれから商談があってな」
「お時間を頂いてしまいましたね」
「俺様としてはなかなかに有意義な時間だったが」
これ以上ないほどの収穫だ。
そして、もはや得るものはない。
カオスは通りへ向かいながら告げる。
「では……またどこかでな、守護者のリエラ・リィンズよ」
「はい。またどこかで」