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◆第六話『工房区画』

 そこには半球状の石造建築物が整然と並んでいた。


 律動的に響く甲高い金属音。

 もうもうと漂う真っ白な煙。

 むせかえるような酸っぱい汗のニオイ。


 漏れ出るそれらが混ざりあい、辺りには独特の熱気が立ち込めている。


 ここは工房。

 新たに浮上させた魔界の区画だ。


「あんたがあのカオス・ゲートか」


 工房区画のもっとも大きな建物内にて。

 カオスは不愛想な面に迎えられていた。


 ずんぐりむっくりな体つきの男だ。

 蓄えた髭は長く、顎がまったく見えない。


 彼は魔人ではない。

 大昔に地上から移住したドゥーブと呼ばれる種族だ。


 彼らは手先が器用であらゆる物を造る。

 その特徴から、いまや魔界では欠かせない存在となっている。


 いまも周辺ではほかのドゥーブたちが黙々と仕事中だ。大量の汗を流しながら熱した鉄に槌を打ちつけている。目覚めたばかりとはとても思えない働きぶりだ。


「ほう、俺様のことを知っていても怖がらないのか」

「ワシらは魔界に住んじゃいるが、元は外から来た身だ。あんたら魔人の問題に深く突っ込むつもりはないし興味もない」


 彼の名はモリス。

 工房の長を務めているらしい。

 職人気質なようで会話がとても淡泊だ。


「興味があるのはどれだけ良質な物を造れるかどうか、か」

「わかってるじゃねえか」


 モリスが垂れ気味なまぶたをわずかに持ち上げた。

 覗く色素の薄い瞳がまるで刃のごとく鋭くなる。


「ワシらはただ工房で自由にさせてもらえるだけでいい。そうすりゃ、あんたが要求する装備も提供する」


 彼は戦闘で敵わないことを理解している。

 だからこそ精一杯の牽制のつもりなのだろう。


 元より力づくで支配する気はなかったが……。

 彼の職人としての矜持に思わず感心してしまった。


「話が早くて助かる。では魔界の王としてお前たちの自由を約束しよう」

「……あんた、ほかの魔人とはなんか違うな」


 なにやらモリスが呆然としていた。

 こちらがあっさり応じたのがよほど意外だったようだ。


「当然だ。なにしろ史上最強かつ天才だからな」

「いや、そういう意味で言ったわけじゃ──」

「変人と言われてるんだ。察しろ。くくっ」


 後ろから聞こえてくる堪えた笑い声。

 今回もヴィルシャがついてきていた。

 いつものごとく護衛という名の賑やかしだ。


「つまり特別ということか」

「どう聞いたらそう解釈できるんだ」

「俺様の忠実な配下であるお前の言葉だからな、当然だろう?」

「どうしてわたしの言葉なら良く解釈されるんだ……っ! というかわたしはお前に忠実でもないし、配下になった覚えもないと何度言ったら──」

「みなまで言うな。人前だからと照れているだけなのだろう。大丈夫だ、俺様はわかっている」

「こ、この……っ」


 青筋を立てて、剣の柄を握るヴィルシャ。

 いつもながら彼女をからかうのは面白い。

 いつか本気で後ろから斬られそうだが、そんなリスクもまた一興だ。


 なんてことを思っていたときだった。

 突然、モリスが「はっはっは」と腹を抱えて哄笑しだした。


「大罪人なんて言われていたからどんなクソ野郎かと思ったが……なんだ、ただの愉快な魔人じゃねえか」


 そこにはもう先ほどまでの頑固な印象がない。

 酒場にいそうなノリの軽いジジイといった感じだ。


「そっちがお前の本性か」

「長として工房を守る義務があるからな。舐められねえようにしねえとって、ちょっと気を張ってたんだ」

「俺様は堅苦しいのは嫌いだ。今後はそっちで対応しろ」

「そうさせてもらうぜ、カオスの旦那」


 昔から恐れられることが多かったからか。

 あけすけな態度でくる相手が大好きだった。

 どうやらこの男もその類のようだ。


「モリスよ。必要なものがあればなんでも言うがいい。可能な限り応えよう」

「そいつはありがてぇ。けどよ、旦那。あんたを頼るのは本当に困ったときだけだ」


 モリスが右手に持った槌を肩に乗せると、体を横に開いた。

 奥で仕事中のドゥーブたちへと視線を促しながら、にかっと笑う。


「欲しいものがあれば自分で造る。それがワシら職人だからな」



     ◆◆◆◆◆


 カオスは執務室の椅子にどかっと座った。

 部屋にはヴィルシャだけでなくプリグルゥもいる。


 1人で待つのがよほど寂しいのか。

 魔王城に戻るたびに出迎えてくれている。


「造ること以外は気にしない、ですか。彼ららしいと言えばらしいですね」


 言って、くすりと笑うプリグルゥ。

 ドゥーブたちとのやり取りについてはすでに話していた。


「ま、おかげですんなりと話がついたわけだ」

「実際に話してみてわかったのだと思いますよ。カオス様は怖くないって」

「うーむ、魔王として畏れられないのもどうかと思うが」

「親しまれる魔王様、良いと思います」

「たしかに愛され体質ではあるが……」


 言った直後に違和感を覚えた。

 いつもなら瞬時に飛んでくる声がなかったのだ。


「おい、ヴィルシャどうした? 体調でも悪いのか?」

「ん、いきなりなにを言っている?」


 あまり話を聞いていなかったのか。

 ヴィルシャが困惑気味に顔を歪めた。

 その隣ではプリグルゥが神妙な面持ちで「たしかに」と頷いている。


「いつものヴィルシャなら、〝貴様が愛され体質だと? ふっ、笑えない冗談だな〟なんて言っていたはずです」

「あ、あの……プリグルゥ様? わたしはそんな意地の悪そうな顔をしたことは──」

「いや、そっくりだ。というより似すぎてて少し驚いたぞ」

「本当ですか? やったっ」


 両手に拳を作って無邪気に喜ぶプリグルゥ。

 相手が相手とあってヴィルシャも怒れず悶々としていた。


「で、どうしたのだ? ヴィルシャ?」

「いや、ドゥーブを起こすぐらいならほかの魔人を起こしたほうがよかったのではと考えていただけだ」

「ドゥーブの造る装備は上質だ。戦闘能力を飛躍的に向上させてくれる」

「たしかにそうかもしれないが、魔人のほうが個としてより優れている。どうせ起こすなら最後でも良かったんじゃないか?」


 ヴィルシャには悪びれた様子がなかった。

 以前から感じていたが、彼女は純血主義者らしい。

 しかも自覚がなさそうなあたり相当に根深いようだ。


 プリグルゥのほうを見れば困った顔で出迎えれられた。

 どうやら彼女もヴィルシャの抱える問題を理解しているようだ。


「なるべく被害を減らしたいという考えからですよね、カオス様」

「当然だ。魔界に生きる者すべてが替えの利かない俺様の大切な配下だからな」


 プリグルゥの機転を利かせた言葉に、カオスはふんぞり返りながら応じる。

 少しわざとらしかったせいか、一瞬だけヴィルシャが怪訝な顔をしていた。


「……理解はした。だが、その言い方だとわたしも配下みたいになるからやめろ」

「安心しろ。お前はもっとも忠実な配下として数えているからな」

「誰が忠実だっ!」

「よかったですね、ヴィルシャ。1番ですって」

「プリグルゥ様!? あの、それは全然嬉しくないことで! その……っ」


 どう反応したものかとあたふたするヴィルシャ。

 相変わらずプリグルゥの笑顔には弱いらしい。

 すっかりいつもの空気に戻ったところで、プリグルゥが「そう言えば」と話しはじめた。


「もう1区画だけなら浮上させる余裕はありますが、どうなさいますか?」

「必要ない。今回の浮上は工房区画だけで充分だ」

「蓄積させることでより強力な者たちを起こすおつもりですか?」

「いや、そういうわけではない。少し考えていることがあってな」


 そう遠くないうちに戦うことになるだろう守護者。

 奴らは、ほかの六門やその血縁者を倒した相手だ。


 まともにぶつかっても勝てる自信はあるが……。

 万が一のことを考え、幾つか策を用意するつもりだ。


「……思案中の貴様は悪巧みをしているようにしか見えん」

「そうか。怜悧過ぎる顔も罪なものだな」

「バカ面の間違いだろう」


 飛んでくる刃のごとく鋭い言葉。

 遠慮のないその態度は出会ったときから変わらない。


 きっとヴィルシャなりの愛情表現なのだろう。

 間違いない。


 その証拠に傍から見守るプリグルゥも微笑んでいる。

 ただ、そんな彼女の顔にふっと影が差した。


「それにしても守護者……ですか。厳しい戦いになりそうですね」

「だが、報告を聞く限り奴らはかなりの大所帯だ。動きも鈍いだろうし、すぐに攻め込んでくる可能性は低いだろう」

「こちらから打って出るのか?」


 ヴィルシャが訊きながら剣の柄を握った。

 目もぎらつかせて戦う気満々といった様子だ。


「いや、今回は敵も多い。まともに地上でぶつかればタダではすまんだろう」

「ではやはり迷宮で迎撃し、奴らの数を減らしたところで反撃か」

「大まかに言えばそんなところだ」


 迷宮内の通路は狭く、一度に対峙する数も減る。

 ゆえに、その局面だけを見れば人数差の不利はない。


 ただ、相手には六門をも屠れる実力者──守護者がいる。

 個の力でも押し切られるとなれば時間稼ぎにしかならない。

 やはりべつの策は用意しなければならないだろう。


「ひとまず準備ついでにクアルデン内を探るとするか」

「おい、紫煙衆に近寄るなと言ったばかりじゃないのか?」

「ん、奴らに行かせるとは一言も言っていないぞ」

「では誰が行く?」

「俺様だが?」


 あっけらかんと答えた。

 直後、ヴィルシャが口を開けたまま固まってしまった。

 その隣ではプリグルゥがくりんとした目を開けたまま動かない。


 室内を沈黙が支配してからまもなく──。

 ヴィルシャが目を瞬かせながら、ようやく動き出した。 


「バカなのか? 人間の中に魔人がいたらすぐにバレるだろう!」

「外見のことならば問題ない」


 カオスは思いきり背もたれに身を預けた。

 そのまま上向きながら両手を左右に広げる。


「──移ろいし影の子らよ。我が深層に映りし像を汲み模り、まやかしとなりてこの身を覆い尽くせ」


 頭上に現れた紫色の魔法陣から降り注ぐ同色の燐光。

 それらが身体に付着した瞬間、影が渦巻いた。

 全身を覆いつくしたそれはすぐさま収まり、魔法陣ごと消え去る。


「……どう、なっているのですか?」

「こんなことがありえるのか……?」


 揃って目を見開くプリグルゥとヴィルシャ。


 無理もない。

 なにしろ、いま彼女らにはこの身体が人間に見えているからだ。


 耳も尖ってなければ角も生えていない。

 年頃はおおよそ青年といったところだ。

 服装も人間の平民を装ったものとなっている。


 ヴィルシャがはっとなって剣に手を当てる。


「貴様、本当は魔人ではなく人間──」

「そうであったら面白かったかもしれんが……正真正銘、俺様は魔人だ。これは《幻想鏡》と言ってな。まあ、端的に言えば他者に幻を見せる魔法だ」

「そんな魔法があるなんて信じられると思うか?」

「ふむ、疑うのなら触ってみればいい。実際には魔人のままだ」


 カオスは自身の角を触るよう指差して促した。


 初めこそためらっていたヴィルシャだが、覚悟を決めたらしい。警戒しながら近寄ってくると、恐る恐る人差し指を伸ばしてきた。


「……た、たしかに角だ。目には映っていないのに、どうして」

「だから言っただろう。幻影を見せているだけだと」

「それにしても、これが六門の角か。初めて触ったが……これは……」


 いつの間にか両手でぺたぺたと触られていた。

 すでに角の存在は確認できているはずだ。

 だが、ヴィルシャの手は一向に離れそうにない。


「おい、俺様の角が格好良すぎるのはわかるが、いつまで触っているつもりだ。少しくすぐったいぞ」

「ばっ、わっ、わたしはただ本物かどうかたしかめていただけでっ」


 上擦った声をあげながら離れるヴィルシャ。

 その顔は見るからに真っ赤に染まっている。


「本当か?」

「ほ、本当だっ」


 ヴィルシャが答えるや、ふんっと顔をそらした。

 ただ、その目線はちらちらとこちらの角に向けられている。


「本当だと思いますよ、カオス様。だってヴィルシャの目、とても真剣でしたから」


 言って、温かい笑みを浮かべるプリグルゥ。

 あの顔は間違いなくわかっている。

 ヴィルシャが〝この角に興味津々だ〟と。


「ま、そういうことにしておいてやろう」


 ようやく追及から逃れられたからか。

 ヴィルシャが面白いほどに安堵していた。


 その顔を見ると、思わずぞくぞくしてしまう。

 いまは見逃したが、いずれ思う存分いじりたいところだ。


 ヴィルシャがわざとらしく咳払いをした。

 頬にほんのり赤味を残したまま話しはじめる。


「し、しかし! その姿形、驚くほど特徴がないな」

「当然だ。目立っては元も子もないからな」

「貴様らしからぬ言葉だ」

「勘違いしているようだが、普段の俺様は目立とうとしているわけではない。歩いているだけでも注目を集めてしまう特別なオーラがあるだけだ」

「まず全裸になるのをやめてから言え」


 早くも調子を取り戻すヴィルシャ。

 そんな中、プリグルゥが自身の顎に指を当てていた。


「あの、それは他人にもかけられるのですか?」

「出来るが」

「では護衛にヴィルシャを連れていってください」


 向けられた顔はとても真剣なものだった。

 ただ、当のヴィルシャは見るからにうろたえている。


「プリグルゥ様? な、なにを仰って──」

「カオス様の身になにかあれば、この魔界は終わってしまうのですよ。ですから……ヴィルシャ、お願いできませんか?」

「で、ですが……人間の格好などっ」


 ヴィルシャは人間が大嫌いだからか。

 プリグルゥの頼みであっても簡単には頷けない様子だ。


 べつに庇うつもりではないが……。

 カオスは「必要ない」と言い切った。


「というよりヴィルシャを連れていくと逆に危険だ。いきなり暴れそうだからな」

「貴様、わたしをなんだと思っている?」

「人間を殺したくて仕方ない魔人だ」

「ぐっ」


 実際に自らもその未来を想像できたのだろう。

 ヴィルシャが悔し気に顔を歪めて黙り込んだ。


「まあ、今回はただの偵察だ。ことを構えるつもりはない」


 カオスは立ち上がったのち、入口へと向かった。

 傍を通り過ぎがてら、プリグルゥから不安げな声をかけられる。


「……ですが」

「心配する必要はない」


 その小さな頭をわしゃわしゃと撫でた。

 わっ、と愛らしく呻きながら、彼女は少し困った顔で抗議をしてくる。


 本来ならば安心させるために温かな笑みで応じるべきなのだろう。だが、あいにくとそんな表情は持ち合わせていない。


 カオスは人間の顔で思いきり口の端を吊り上げた。


「なにしろ、人間の都市に潜入するのは初めてではないからな」



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