◆第五話『屹立する象徴』
「これで3つ目か。ふははっ、順調ではないか」
カオスは支配者の間で高笑いをあげた。
紫煙街を配下に置いてから3日後。
新たに2つの迷宮自立化に成功していた。
場所はどちらも最初に築いた迷宮の東側だ。
どの迷宮も人間の足で半日かかる程度の距離を置いている。これは近すぎると魔素を取り込む際に食いあってしまうためだ。
「さすがに【クイラン第一迷宮】のときのような抵抗はなかったな」
冠に、もっとも近い都市名を。
続けて生成した順に数字をつけて迷宮を呼称していた。
区別することで迅速に指示を出せるようにするためだ。
よって今回生成した迷宮の名は【クイラン第三迷宮】となる。
「今回、近くには小さな村しかなかったからな。《聖片》すら置かれていなかったし、こんなものだろう」
そう言ったのはそばに控えるヴィルシャだ。
彼女は人間殺したい欲が高いせいか、どこか物足りなさそうだ。
「とはいえ、今回はこちらの戦力増強も大きな要因だろう」
言って、カオスは視線を横にずらす。
と、脇で待機している紫煙衆の数人が映った。
彼らには斥候として様々な場所を駆け回ってもらっている。迷宮内はもちろんのこと、迷宮の入口を造った地上近辺もだ。
「紫煙衆の働き、今回も見事だったぞ」
「これもカオス様の指示があればこそです」
「いかに万能な俺様でもすべてを見ることはできん。お前たちのような目があるのは俺様にとって最大の武器となる。今後も期待しているぞ」
「は、はいっ!」
紫煙衆から返ってくる威勢のいい声。
そこには心からの恭順を感じられた。
実は配下らしい配下を得たのは初めてだった。
昔はとくに必要ないと思っていたが……。
悪くない、と。
頭を垂れる紫煙衆を見て、思わず口元を歪めてしまった。
「ねえ、あたしは!? あたしも結構頑張ったと思うんだけど!」
支配者の間に高い声が響き渡った。
見れば、入口からドレス姿の魔人が入ってきていた。
彼女はエルリード。
先日、紫煙衆とともに配下となった者だ。
ちなみに彼女が着ているドレスは魔王城にあったものだ。
出会った際の服装があまりに見すぼらしかったため、プリグルゥに相談したところ、給仕服やドレスを提示された。そしてエルリードは気位だけは高いこともあってか、迷わずドレスを手に取ったというわけだ。
「うぐ、うぁ……」
「こ、殺してくれ……っ」
入口側から苦悶に満ちた声が聞こえてくる。
エルリードが幻影鎖術で人間の兵士2人を繋いで引きずっていた。
ただ、拘束が強すぎたらしい。
まもなくして、ぶちゃっと破裂してしまう。
エルリードが「あ、潰れちゃった」と淡泊な声をもらす中、死んだ人間たちが燐光となって消滅していく。
「もちろん、お前も名家リストレインの名に恥じぬ戦いぶりだった。ただ……」
「ただ? え、なに? はっきり言ってよ」
そばまで来て訝るような目を向けてくるエルリード。
口を尖らせるさまは愛らしいことこのうえないが……。
彼女の頭頂部を見た瞬間に思わず顔をしかめてしまう。
「その巻きグソみたいな髪型はなんだ?」
「ま、巻きグソっ!?」
エルリードが引きつった声をあげた。
周囲の配下たちに至っては驚愕に目を見開いている。
間違いなく全員が思っていたに違いない。
だが、空気を呼んで誰も口にしていなかった。
ゆえに、「ついに言ってしまった」という感じだ。
「その言い方ひどくない!?」
「いや、どう見ても巻きグソだろう」
「これはリストレイン家に伝わる由緒正しい髪型なの! そんな汚いものと一緒にしないで!」
庇うように自身の髪を両手で触るエルリード。
誇りを持つことは悪いことではない。
ただ、前提が崩れている場合はべつだ。
「俺が知るリストレインの中に、そんな髪型の奴は誰一人としていなかったぞ」
「…………え。うそでしょ」
エルリードが立ったまま放心した。
まるで精神が崩壊したように目がうつろだ。
とても信じられないが……どうやら〝巻きグソ〟は彼女の精神的な支えとして大きな役割を持っていたらしい。
その落ち込みようにさすがのヴィルシャも戸惑っていた。
そばまで来て、ひそめた声で話しかけてくる。
「お、おい、ほかに言いようがあったんじゃないのか?」
「しかしどう見ても巻きグソだしな」
「たしかに巻きグソだが……エルリードは貴重な戦力だ。あのままにしておくのは今後の魔界にとって大きな損害となるのは間違いない」
たしかにヴィルシャの言う通りだ。
いや、そもそもここまで落ち込むとは思っていなかっただけなのだが。いずれにせよ、ここは主として責任を持つしかない。
「こほん。あ~、俺様の勘違いだったかもしれん。そう言えば、そんな髪をしていた奴が1人2人いたような、いなかったような……」
「ほらやっぱり! お母様が嘘を伝えるわけないもの!」
まさしく嘘を伝えられたのだが……。
真実を伝えられる雰囲気ではなかった。
いや、実際には彼女の母親も嘘を教えられていたのかもしれない。となれば、いったい誰が嘘の伝統を教えたのか。……遡るだけで容易に答えが出そうだ。
「もうっ、カオス様ってばそんな大事なことを忘れちゃうなんて。やっぱり500年経ってると、少しぐらいボケてくるわよね」
「ふ、ふはは……そうだな。500年も経っているからな」
あいにくとボケることはない。
この〝身体〟はそういうものだからだ。
ただ、この場はエルリードの体裁を保つため、合わせることにした。
「あたし、もう1度地上に戻って残党がいないか見てくるわ! 待っててね、カオス様。1人も逃がさずに縛りつけてくるから! くひ、くひひひひ……っ」
落ち込んだ反動からか、とても上機嫌な様子だ。
ガシャンガシャンと鎖が騒がしく地面を叩いている。
エルリードが支配者の間から消えたのを確認後、カオスは口を開く。
「……グウェルよ、全員に通達だ。エルリードの前では巻きグソ発言禁止とな」
「か、かしこまりやした!」
現状、エルリードの実力は魔界上位に入る。
ヴィルシャなら問題ないが、紫煙衆なら殺されかねない。それを紫煙衆も充分に理解しているのだろう。ひどく怯え気味な返事だった。
「しかし、ここまで派手に動くとさすがにルヴィエント王国も黙っていないだろうな」
そう言ったのはヴィルシャだ。
脅威が近づいていることを感じてか、その顔はいつも以上に険しい。
「守護者とやらが来るか」
「おそらくは」
「いつでもかかってこい、と言いたいところだが……ほかの六門がやられるほどの実力となれば侮れんか」
「貴様にしては珍しく慎重だな」
「元から俺様ほど慎重な者はいないだろう」
「過去の自分を思い出してから言え」
相手の力量次第で遊んでいるのは否めない。
ただ、六門に匹敵する相手となれば話は別だ。
カオスは懐から親指大の水晶を取り出した。
角ばったそれは仄かに赤く染まり輝いている。
「それはなんだ?」
「ん、これか? クイランにあった《聖片》だ。まあ、正確にはその中身だが」
「なっ、破壊したんじゃなかったのか!?」
「そんなことするわけないだろう。我が同胞の形見ともいうべきものだぞ」
外道とよく言われる側の魔人だが……。
勇敢に戦った同胞の亡骸を無下にするほど落ちぶれてはいない。
「そ、それはそうかもしれないが、もはや人間の手によって加工されてしまったものだ。そこに魂が残っているとはとても思えない」
「実際にその通りだ。だからこそ、せめて肉体だけでも復活させ、我がシモベとして迎えてやろうと思ったのだが……それも難しそうでな。どう扱ったものかと考えていたところだ」
指で摘みながら水晶の中を覗き込む。
表面的には美術品としての価値しか見いだせない。
だが、実際には凄まじい力が秘められている。
さすがは六門の血を持つ魔人の心臓から造り出したものといったところか。
「仮にわたしが同じ立場にあったなら、すぐにでも破壊してほしいところだ。人間の手に落ちるなど屈辱以外のなにものでもないからな」
「そんなもったいないこと絶対にするものか。破壊するぐらいなら俺様がいっそ──」
ふいに隅の床の一部が円形に光を発しはじめた。
あれは紫煙衆に周辺を偵察してもらうため、地上と行き来できるよう繋いだ転移用の魔法陣だ。
現れた紫煙衆の男が即座に片膝をついた。
なにやら切羽詰まった様子で話しはじめる。
「カオス様、ご報告です! 【クイラン第三迷宮】より東に位置する商業都市クアルデン。そこに大規模な兵を確認しました」
「数は?」
「都市外に少なくとも5千の兵が野営していました。都市内に関しては……とても近寄れず確認できませんでした。正確な数字をお伝えできず申し訳ございません」
「構わん。それほどの数となれば警戒も相当なものだろう。よくぞ情報を持ち帰った」
「恐縮です」
「今後はクアルデンの監視を最優先にするようほかの者にも伝えよ。あ~、無理をして中を探る必要はないぞ。野営中の兵たちの動きさえ捉えればいい」
「承知しました」
報告に来た紫煙衆の男が再び地上へと転移した。
カオスは玉座に深くもたれかかったのち、顎に手を当てる。
「たしかクアルデンはあまり大きな都市ではないと聞いていたが」
「過去の情報ではクイランの半分にも満たない大きさだったはずだ」
そう応じたヴィルシャの顔はいつも以上に険しかった。
おそらく想定外の事態であることを認識しているのだろう。
人間界の情報は多くが途絶えてしまっている。
その間に発展し、兵力を強化した可能性もある。
だが、確認できた兵は都市外で野営中だ。
駐在兵ではない可能性が非常に高い。
「ヴィルシャ、どう思う?」
「間違いなく我々を意識した戦力だろう」
「いると思うか?」
「断定はできないが、可能性は高いだろう」
「そうか。では、ついに対面できるというわけか」
カオスは思わず口の端を吊りあげてしまった。
その存在を知ったときから待ち望んでいたのだ。
我が同胞である《昏き闇の六門》を殺した人間。
──守護者とやらに会えるそのときを。