◆第三話『紫煙街②』
殺し合いではなく話し合いをしにきたのだ。
そのためにも実力を見せつけ、魔王として認めさせる必要がある。
「ミーレスなしで勝てると思ってるのか?」
片角の男が嘲笑気味に訊いてきた。
カオスはふんっと鼻を鳴らしつつ、胸を張る。
「逆に問おう。この程度の数で俺様に勝てると思っているのか?」
「──ッ! やるぞ、お前ら!」
片角の男が荒々しく声をあげる。
と、紫煙街の者たちが一斉に襲いかかってきた。
四方八方。果ては建物の屋上から飛び下りての波状攻撃だ。
得物は誰も持っていない。
だが、全員が躊躇なく拳を振るってきている。
ぶんっ、と拳が通り過ぎるたびに空気を叩く音が聞こえてくる。
「ほう、なかなか身軽な者が多いではないか」
どれだけ多人数でも同時に攻撃参加できるのはわずかだ。
しかし、彼らは上手く連携して隙を埋め、また多彩な攻撃を仕掛けてきている。
昔の紫煙街は群れをなすものが少なかった。
だが、どうやら現在は状況が違うようだ。
粗さはあるものの統率がとれている。
「くそ、余裕ぶっこいてんじゃねえぞ!」
1人の男が突っ込んできた。
冷静さを欠いた攻撃とあってなんとも読みやすい。
限界まで待ったのち、ひらりと側面に回避。
相手の顔間近で「んばぁっ」と声をあげた。
驚いてびくっと体をこわばらせる男。
その隙をついて頭突きをかました。
ごっ、と響く鈍い音。
男は頭を押さえながら倒れ込んだ。
「子どもの頃は石頭のカオスちゃんと言われていてな。頭突き大会で100人抜きを果たしたこともある」
「こいつ、よくもっ!」
仲間をやられてか、また1人飛び出してきた。
今回も冷静さのない攻撃とあって躱すのはたやすかった。
相手の拳を躱したのち、背面に回り込んだ。
そのまま左腕で相手の体をがっちりと固めたのち、右掌を相手の顔面に押しつける。
「ほれ、先ほど死体を触った手だ。いい匂いがするだろう」
「うぷっ……く、くそっ! 放せ!」
「では望み通り放してやろう」
右手のみで顔面を掴んで振り回し、勢いよく放り投げた。その先に立っていた3人ほどを巻き込んで男が壁に激突。どさりとまとめて倒れ込んだ。
2度続けて仲間が倒されたからだろう。
紫煙街の者たちはむやみに飛び込んでこなくなった。
「くそっ、ふざけた戦い方しやがって……!」
「でも、強いぞこいつ。まさか本当に──」
「こんなバカそうな奴が始祖とか魔王とか、あるわけないだろっ。俺たちが寝てたからって適当なこと言って騙そうとしてるだけだ!」
これまでの魔界への遺恨ゆえか。
あるいはまだ実力差がわからないのか。
いまだに信じるつもりはないらしい。
「言われているぞ。バカそうな男」
背後からヴィルシャの声が聞こえてきた。
見なくとも笑いを堪えているのがわかる。
「……ここまで実力の差を見せつけても信じないとはな。仕方ない。次は特別な攻撃を見舞ってやろうではないか」
「どうせでまかせだ! 構う必要はねえ! 一斉にかかって今度こそ仕留めるぞ!」
同士討ちも辞さない全方位からの突撃だ。
封印が完全な状態なら間違いなくやられていただろう。だが──。
にたぁ、とカオスは口元を歪ませながら右手を払った。
直後、自身から同心円状に影が蠢き、広がった。
それらは美しき花となって地面から飛び出しはじめる。
と、紫煙街の者たちへと猛獣のごとく襲いかかり、絡みついた。
「な、なんだこれ! うぁっ!」
「逃げろ! どう見てもやば──あがっ……!」
「が……がっ、ぐ……っ! あぁああああっ!」
触れた者から発狂したように呻きはじめた。
つい先ほどまで息まいていた者たちとは思えない状態だ。
勢いを失ってあちこちでうずくまっている。
ただ、たった1人だけ意識を保っている者がいた。
よく代表して喋っていた片角の男だ。
うつ伏せに倒れたままこちらを見上げていた。
涎を垂らしながら、震える口で話しはじめる。
「な、なにを……したっ?」
「《混沌花》。世界の狂気を垣間見ることのできるものだ。お前たちが言う始祖の1人──アビスの名を持つ者もこれでよくゲロを吐いていたぞ。ま、お前たちには少し弱いものを見せてやっているがな」
「こ、これで弱め、だと……っ!?」
男の目に絶望の色がにじみだした。
もはや折れるのも時間の問題だろう。
そう踏んでいたが、降参する気配がない。
これは本来の《混沌花》を味わわせるべきか。
そんなことを考えていると、ヴィルシャのため息が後ろから聞こえてきた。
「悪いことは言わない。諦めて降参したほうが身のためだ。こいつはクズだからな。このままだと貴様らが朽ち果てるまで嫌がらせを続けるぞ」
「おい、ヴィルシャ。俺様はなにもそこまで──」
「み、認めるっ! あんたがカオスッ、ゲート……だっ、て……! だから……ッ!」
思いのほかヴィルシャの脅しが効いたようだ。
片角の男があっけなく負けを認めた。
振り返った先、ヴィルシャが勝ち誇った顔をしていたのは言うまでもない。
なにはともあれ、手間が省けた。
これから行うのは平和的な話し合いだ。
カオスは早速とばかりに片角の男の前に屈みこむ。
「俺様を魔王であると信じるか?」
「し、信じるっ、信じやす……っ!」
「ではカオス様はとっても格好よくて最強の魔人だと褒め称えてみよ」
「……………………カ、カオスっ、さまは……と、とっても──」
「いや、やめだ。言わなくていい。どうも強要は性に合わんらしい」
途中で気が変わったのでやめさせた。
あっけにとられる片角の男。
ただ、すぐに苦しみでそれどころではなくなっていた。彼の目は、なんでもいいから早く《混沌花》をどうにかしてくれと言いたげだ。
「ふむ、まあいいだろう」
再び右手を払って《混沌花》を解除した。
辺りで蠢いていた影がふっと消え去る。
同時に騒々しかった呻き声もなくなった。
カオスは立ち上がって紫煙街の者たちを見回した。
気を失ったままだったり、吐いていたりと様々だ。
ただ、飛び掛かってきそうな者は1人としていない。
「ようやく俺様を敬う目になったな」
「どう見ても怖がっているだけだ」
ヴィルシャが隣に並びながら言った。
たしかにそう見えなくもないが、きっと気のせいだ。
「ほ、本当に魔王なのか……なのですか?」
片角の男が恐る恐る訊いてきた。
「何度も言っているだろう。魔界を救う代わりに俺様が魔王となった」
紫煙街の者たちはまだ信じられない様子だ。
ただ、〝真実かもしれない〟とは思ったらしい。
確認するようにヴィルシャへと目線を向けていた。
「……そういうことになっている。認めたくはないが」
「一言余計だ」
「ふんっ」
相変わらずヴィルシャは本心を隠すのが苦手なようだ。
とはいえ、それが真実味を帯びさせたらしい。
紫煙街の者たちが目から疑念を解きだした。
「俺たちになにを求めるつもりですか?」
「俺様の配下となれ」
こちらの言葉にひどく驚いたらしい。
彼らは揃って目を丸くしていた。
「あいにくと俺様は魔王になったばかりで忠実な配下がいなくてな。いまはまだこのヴィルシャと──」
「いつわたしが貴様の配下となった?」
「前魔王のプリグルゥだけだ」
「その事実もない」
合いの手のごとく入るヴィルシャの声。
わずかな静寂の間を経て、片角の男が口を開く。
「つまり、まだいないと?」
「そういうことになる」
ついには勝手に返答するヴィルシャ。
おかげで紫煙街の者たちの不安が増していた。
カオスはおかしな空気を一掃せんと咳払いをする。
「いやなら構わんぞ。俺様は強要するつもりはない」
「いや、というわけでは……ただ、本当に俺たちでいいのか、と。俺たちがどういう扱いを受けているかは知ってるはずっす。そんな俺たちを配下にいれるってことは……」
「ほかの魔人から強い反発を生むだろうな」
紫煙街は長らく存在しないものとして扱われてきた。
そんな場所に住む彼らを魔王の配下として正式に加える。
この意味は言葉以上に大きい。
今後、復活する魔人は増えてくる。
そんな中、〝紫煙街の魔人を配下に引き入れた魔王〟として認めない者も出てくるだろう。ヴィルシャが紫煙街の復活に渋っていたのもこれが理由だ。
「だったら、どうして……」
「お前たちが魔界における罪を犯していないからだ。これだけの迫害を受ける罪を、な」
「……いえ、俺たちは」
「実際に罪を犯したのは血縁者であってお前たちではない。そうだろう?」
多くの者が目をそらしたり俯いた。
魔界は罪への対応は徹底している。
では、なぜ彼らが生きているのか。
なぜ獄にも入れられていないのか。
それらから答えを導き出すのは容易だった。
「であればお前たちが気にすることはなにもない」
「……ですが」
「俺様は魔界を変革する。そのためにお前たちを最初に選んだ」
魔王としてどのように魔界を治めるのか。
その方針を、今後復活してくる魔人に手っ取り早く理解させたかった。
もちろん強い反発を生むだろう。
だが、それはいずれ生じること。
そのたびに力で屈服させ──。
平和的に話し合いで解決していくつもりだ。
「今後、俺様は魔界復興のため、幾度も人間界に出向く。そのたびにお前たちには働いてもらうが……争いだ。少なからず死人は出るだろう。だが、いずれ至る史上最高の魔界を、ほかの魔人と同様にお前たちも謳歌できると約束する」
「カオス様……」
「もう一度言う。俺様の配下となれ」
紫煙街の者たちが揃って片角の男に頷いた。
すでに答えは決まっているようだ。
彼らは揃って片膝をついた。
代表して片角欠けの男が口を開く。
「ただ一瞬を生きることしかできなかった。そんな俺たちに未来を下さるってんなら……あなた様の手となり足となり戦うことを誓いやす」
「うむ」
これで彼らとの誓いはなった。
ただ、途中からすんなり事が進んだことに違和感を覚えた。
というのもヴィルシャが邪魔をしてくると思っていたのだ。
終わってみれば彼女は近くでじっと見守るのみだった。
普段が普段なだけになんとも調子が狂う。
彼女がいったいなにを考えているのか。
いまだに掴み切れていないことが癪だ。
「さて──」
カオスは片角の男に近づいた。
面を上げろ、と指示を出して話しかける。
「お前がここの奴らの頭で間違いないな?」
「こんなでも、ここじゃ一番の腕っぷしだったもんで」
「名はなんと言う?」
「グウェルっす」
「では、グウェル。そしてその仲間たちよ。お前たちは今日より紫煙衆と名乗れ」
「……紫煙衆」
街の名前からとったものでひねりはない。
そのままだな、とヴィルシャが呟いていたが、気にしないことにした。
「お前たちの身のこなしはなかなかのものであった。その力を振るってもらう機会を与えるつもりだ。期待しているぞ」
「は、はいっ」
威勢のいい返事だ。
ほかの者たちも生気の感じられる目をしている。
まさかこれほど変わるとは思いもしなかった。
役割を与える側は存外に楽しい仕事のようだ。
「して、生きているのはお前たちだけか?」
「いえ、戦えない女子供も。あとは……」
「なんだ、なにかあるのか?」
なにやら歯切れが悪かった。
ほかの者も示し合わせたように困った顔を見せている。
「カオス様の実力を疑ってるわけじゃないんす。むしろ、カオス様なら勝てる、と思いやす。ですが、あいつはやめたほうがいい、と」
「そんな言い方をしたらこいつは絶対に行くぞ」
ヴィルシャがすかさず割り込んできた。
短い付き合いながらよく理解してくれているらしい。
「面白そうではないか。案内しろ」
「……やっぱりな」