◆第十二話『氷漣の聖女』
ルヴィエント王国領。
神聖都市ヴィフェレスにて。
リエラ・リィンズは街の見回りを行っていた。
《聖石》が置かれた都市とあって住民の数は多い。
店が多く集まる大通りはなおさらだ。
商売の声があちこちで飛び交っている。
本当に賑やかで人が生きていると強く感じられる場所だ。
「リエラ様、おはようございます!」
「今日も我々を守って下さってありがとうざいます……!」
誰かとすれ違うたびに声をかけられた。
このヴィフェレスに置かれた《聖石》。
その守護者の任に就いてから、約5年。
いまや多くの人が親しみをもって声をかけてくれる。
中には〝聖女〟なんて呼ぶ人もいた。
実のところ、配属されてから大きな功績はあげていない。
なのになぜ聖女なんて大そうな呼び方をされるのか。
まったく理解できないというのが正直な感想だ。
「リエラ様! お花を摘んできたの!」
ふいに1人の少女が駆け寄ってきた。
満面の笑みで青白い花を差し出してくる。
「わたくしにですか? ありがとうございます」
断る理由もないので花を受け取った。
少女がとても嬉しそうに笑ったのち、また元気に喋りはじめる。
「わたしね、大人になったらリエラ様のようになりたいの!」
「それは聖石の守護者になりたいということですか?」
「ううん、なりたいのはリエラ様! 強くて綺麗で、とっても素敵な女性!」
自分はそれほど立派な人間ではない。
だが、向けられた眼差しはとても純粋だ。
彼女の期待を裏切ることはできないと思った。
「そうですか。では、あなたが元気に育ってくれることをわたくしは祈っています」
屈んで目線を合わせたのち、微笑みかけた。
満足してくれたのか、少女が礼を残して去っていく。
再び立ち上がったとき、誘われるように右方の店に目を向けた。
店内が気になったわけではない。
中とを区切る窓硝子に映り込んだ自身の姿を見たのだ。
背は女の中では高いほうだと思う。
身を包むのは所属する聖騎士の正装である白基調の軽鎧。
ただ、守護者はほかと少しだけ造りが違う。
適度に金が施され、豪華な見た目となっている。
そんな衣服をまるで彩るように流れる真っ白な長い髪。
とくに意識したわけでもないが、あまり切ることなく伸ばしている。おかげでいまや腰に至るまでになった。
我ながら全体的にどこか冷たい印象を受ける。
自身を見つめる青い瞳にも、またそう強く思わせられた。
耳へと右手を近づけ、そこから垂れる葉型の飾りに触れる。
これは自身の印象を変えるためにつけたものだった。
結局、それが成功したかどうかはわからないままだ。
それでも自身が変化を求めた証として残していた。
──強くて綺麗で、とっても素敵な女性。
先の少女が口にした〝評価〟を頭で反芻する。
この硝子に映り込んだ女が、果たして本当にそう見えるのか。
自身の姿ながら疑問がついてやまなかった。
「リエラ様」
後ろから声をかけられた。
振り返った先、立っていたのは1人の女性だ。
こちらより背丈は少しばかり低い。
後ろで1つに結った短めの髪に、くりんとした目が特徴的だ。
彼女は聖騎士のクフィ・ピアード。
ヴィフェレスの守護者となってから、ずっとそばで補佐をしてくれている。
「その花、お預かりします」
荷物を預けることはよくある。
そのため、さして疑問に思うことなく渡した。
直後、流れるように道の脇に放り捨てられた。
あまりに自然だったので思わず唖然としてしまう。
「なぜ捨てるのですか?」
「なぜ、とは。リエラ様に花は不要ではありませんか」
なにもおかしいことはない。
そう言わんばかりの返答だ。
クフィは補佐役として優秀だ。
しかし、どこか人間として壊れている。
彼女のことが好きになれない理由の1つでもあった。
リエラは捨てられた花を拾いなおす。
と、クフィから歪めた顔を向けられた。
「一度落ちたものを拾うなんて……汚れますよ」
「あの子から頂いたものですから。捨てるわけにはいきません」
「リエラ様がそう仰るなら止めはしませんが……」
花を見るクフィの目は変わらず濁っている。
1度汚れたものはもう元には戻らない。
そう言っているようにも見えた。
クフィが踏ん切りをつけるように目をそらした。
視線が向けられたのは先ほどの少女が去った方向だ。
「それにしても……可哀想ですが、あの子の夢が叶うことはありませんね」
「どうしてですか?」
「だってリエラ様ですよ? 最年少で守護者に叙任された実績はもちろん。美しくてお優しくて、そして誰よりもお強い。そんな完璧なリエラ様と同じ高みに至るなんてぜっっったいに無理です」
再び向けられた彼女の目は輝いていた。
それこそ先の少女と変わらないほどだ。
しかし、だからこそ恐ろしさを感じた。
「……何度も言っていますが、あなたはわたくしを美化しすぎです」
「いいえ、そんなことはありません。リエラ様に並ぶ方はいません。それこそ騎士団長だってリエラ様の前では霞んでしまいます!」
「クフィ、あまり滅多なことを言うものでは──」
ここは往来の激しい大通りだ。
どこで誰が聞いているかわからない。
そう不安に思った矢先のことだった。
「おやおや、なにやら物騒なことを仰っていますな」
背後から声をかけられた。
振り返ると、禿頭の男と目が合った。
歳は30を過ぎた頃。
赤い布服で包まれたその身はとても小柄だ。
なで肩で丸まった背も相まって余計にそう感じられる。
彼はギハルド・ベイオーン。
迷宮攻略を専門とする爆突連兵。
その第3大隊長を務めている。
「……ベイオーン卿。この子が話したことは単なる世辞です。ですが、行き過ぎた発言だったことは否めません。今後、このようなことがないよう言って聞かせますので、どうかここは聞き逃しては頂けないでしょうか」
「そんなっ、リエラ様が頭を下げる必要はっ! 全部わたしが言ったことで──」
「クフィ、黙りなさい」
リエラは恭しく頭を下げた。
隣でぼうっとしていたクフィにも目線を送る。
と、彼女も慌てて頭を下げた。
どうしてこんな奴なんかに、と呟いていたが。
「顔を上げてください。本気で口にしたわけでないことはこちらも理解していますから。もちろん、団長殿にお話しするつもりもありませんから心配されることはありません」
「寛大な対応、感謝します」
こちらの対応に満足したのだろう。
当のベイオーンはいやらしく口元を歪めていた。
リエラは小さく息を吐いて不快感を消したのち、再び面をあげる。
「それにしても珍しいですね、ベイオーン卿。あなたがこちらにいらっしゃるのは」
「暇を頂いたのです。やはり迷宮が造られなくなって以降、我々の出番もめっきり減ってしまいましたからな」
「残念そうですね」
「そう見えますかな? いや、たしかに仰る通りなのかもしれません。なにしろ我々爆突連兵は、死して存在を証明する部隊でもありますから」
爆突連兵は自爆で敵を攻撃する。
言ってしまえば《聖石》による復活ありきの部隊だ。
先ほどからギハルドが喋るたびに口内が煌めいていた。
舌に銀色のピアスをつけているのだ。
あれを噛むことで込められた爆発魔法が発動する仕組みとなっている。つまり部隊全員が舌にピアスをつけている格好だ。
「聞けば、リィンズ卿はまだ〝神の施し〟を受けたことがないとか」
ギハルドが目を細めながら言った。
神の施しとは《聖石》による復活のことだ。
「……だとしたら、なにが問題なのでしょうか?」
「いえ、深い意味はないのですが。ただ……勿体ないと思いましてね」
ギハルドが右手を自身の胸に当てた。
その先の心臓を掴むかのように拳を作る。
「死から蘇る、あの一瞬。すべてから解放された感覚に加え、自らが生まれ変わる感覚もを体感できるのです。あれらが交わる瞬間だけはなにものにも代えがたい」
そう語るギハルドの目は異常だった。
血走るだけでなく瞳孔が開いている。
《聖石》による復活に快感を覚える者。
彼らのことを世間的に〝狂悦者〟と呼んでいるが……。
まさしくギハルドはその代表格だ。
あそこまで虜になるぐらいだ。
たしかな快楽がそこにはあるのだろう。
だが、ギハルドの狂った姿には拒否感が先行する。
絶対にあんな風にはなりたくない、と。
「申し訳ないのですが、わたくしには興味がありません」
「ふむ、そもそも機会がありませんからな。そのすべてを見通すかのような冷たき眼を以て、無敗で守護者にまで上り詰めた──《氷連の聖女》と呼ばれるあなたには」
覗き込むように見上げてくるギハルド。
その口元は相も変わらず歪んでいる。
とても称賛しているとは思えない。
「わたくしのことをそう呼ぶ者がいることは存じています。ですが、そのような大それた存在でないことはわたくし自身が1番理解しています」
「ご謙遜を。わたしはね、あなたにとても期待しているのですよ。その穢れのない姿がいつまで我々を照らしてくれるのかとね」
ギハルドはいつもそうだった。
会うたびに己の下卑た思想を垣間見せてくる。
間違いなくわざとしているのだろう。
こちらの不快感を感じ取ったか。
ギハルドがすっと身を引いた。
「さて、そろそろわたしはお暇させてもらいましょう。あなたの前にいると、体中に穴があいてしまいそうですからな」
言いながら、ベイオーンが視線をずらした。
その先にいるのは、クフィだ。
大方、ベイオーンのことをずっと睨んでいたのだろう。
その後、簡単な挨拶をしてベイオーンが去った。
クフィが途端に鼻息荒く話しはじめる。
「あの人、本当に気持ち悪くて大嫌いです。息も臭いし、眩しいですし!」
「クフィ……先ほども言ったでしょう。あまりそういうことを言うものではないと」
「だって本当に気持ち悪いんですもんっ」
屈託のない言葉とはこうまで暴力的なのか。
クフィを伴っていると、いつもそう思わせられた。
「でも、あの人じゃないですけど、わたしも気になるんです」
「神の施しについてですか?」
「はい。リエラ様は死んだらどうなるのかを考えたことはないのかなって」
「ないと言えば嘘になります。ですが、知るためにあえて死ぬ理由はありません」
「で、ですよね」
多くの人間は死を軽く見ている。
先のギハルドだけでなく、クフィもまた然り。
とはいえ、〝死んだら終わり〟という前提が《聖石》によって根底から覆ったのだ。無理もないかもしれない。
死ぬ直前、自分はなにを思うか。
死に至る痛みはいったいどんなものか。
わずかながら興味はある。
だが、知る機会は一度も訪れないだろう。
この身が負けることは絶対にないからだ。
「でも、〝神の施し〟について少しいいなって思う話があるんです。愛する2人が同時に復活すれば、神からの祝福を受けられ、今後一生離れることはない、と。素敵な話だと思いませんか?」
クフィが目を輝かせながら語ってきた。
まるで恋する乙女といった浮かれ具合だ。
「復活の恩恵は《聖石》と契約すれば誰でも等しく受けられるものであり、そこに神による選択はありません。よって先の話は、当事者の2人が祝福を受けたと勘違いしているだけだとわたくしは思います」
「か、勘違い……」
「あくまでわたくしの考えですから。そう信じる方がいてもいいと思います」
「そ、そうですよね。信じてもいいですよねっ」
不安な表情から一転。
クフィが興奮した様子で両手にぐっと拳を作った。
実際になにを信じてどう思うか。
そんなことは自由にすればいい。
ただ、クフィをどこか冷めた目で見てしまっていた。
──《聖石》による不滅の力。
この技術が編み出されたのは迷宮攻略のためだ。
もっと直接的に言えば、死にたくないからだ。
幸いにもそれは絶大な恩恵となった。
人間は魔族を圧倒し、次々に迷宮を攻略。
現在では迷宮が発見され次第、破壊される状態となった。
久しく迷宮は造られていない。
おそらくもう魔族は絶滅したか。
あるいは絶滅しかけているのだろう。
いずれにせよ、迷宮の造られない平和な時が訪れ──。
いまや不滅の力は快楽を得たり、愛をたしかめたりする道具と化している。
なんと皮肉な結末か。
そんな考えが頭に浮かんで仕方なかった。
「リィンズ様っ!」
どこからか大声で呼びかけられた。
声のほうを見ると、駆け寄ってくる1人の男が目に入った。
彼の着ている格式ばった青い布服は王国兵の制服だ。
よほど急ぎだったのだろう。
目の前で足を止めた彼は肩で息をしていた。
「何事ですか?」
そう問いかけると、彼は周囲を窺いだした。
民に聞かせられないほど重要な報告のようだ。
「こちらに」
そう促して近くの路地に移動した。
木箱が雑多に置かれた薄暗い場所だ。
兵がひと気がないことを改めて確認したのち、焦り気味に話しはじめる。
「ク、クイランが……クイランが陥落しました……っ!」
すぐには言葉を理解できなかった。
クイランは城塞都市と呼ばれるほどだ。
都市のすべてが高く分厚い壁で囲まれている。
魔族はもちろん、人の侵入も容易ではない。
守備隊も5千人以上が常駐しているはずだ。
そんな都市が簡単に落ちるはずがない。
「グラーシュダリアが攻めてきたのですか?」
「いえ、それが……」
「報告は端的にお願いします」
こちらの淡々とした言葉に兵の顔がこわばった。
彼は軽く息を整えたのち、ようやく流暢に話しはじめる。
「魔族です。魔族がクイランのそばに迷宮を造り、そこから侵攻を開始。瞬く間にクイランを攻め落としたとのことです」
もしクイランを落とせるとしたら隣国のグラーシュダリアしかない。そう勝手に思い込んでいたために、思わず言葉を失ってしまった。
落としたのは魔族。
もはや死に体と思っていた相手だけに予想外だった。
ただ、気になる点はほかにもあった。
どうやらクフィも同じように思ったらしい。
代弁するかのように彼女が先に問いかける。
「魔族が都市を攻めてくるなんて聞いたことがありません。本当なんですか?」
「現在、クイランの《聖片》が破壊されたため、ここヴィフェレスの聖庭館に多くの者たちが復活してきています」
《聖片》が破壊された場合、その元の契約主である《聖石》のそばに復活する。クイランの場合は、ここヴィフェレスだ。彼の報告も、その復活者からのものだろう。
「つきましてはリィンズ卿に騎士団長よりご命令を仰せつかっております」
その内容を予想するのは話の流れからたやすかった。
リエラは、自身の剣の柄に手を添えながら続く言葉を聞き届けた。
「──新たに現れた赤角を討伐せよ、と」