10.想いは掬われたのか
「……久我。1つ聞いていいか?」
千葉は苦しげな、どこか寂しそうな視線を向けながら久我に聞いた。久我は答えないが一瞥をくれたため、それを了承の意ととり、彼は言葉を続ける。
「お前は、何を想ったんだ? アイツとは、最後に何を話したんだ?」
彼の手が震える。
ふぅ、と息を吐くと顔を上げて弱々しく笑いながら答えた。
「……僕にとって、酒門さんと寿さんは失い難い友人だよ。あの出血量を前にして、冷静じゃいられなかった。自分の端末に【外傷治療薬】がなくて、寿さんのを使おうとしたんだ。でも端末に電源が入らなくて……、誰かを呼びに行こうと思った。
でも、彼女に引き止められたんだ。」
まだその時の感触を忘れられないのか。
久我はそれを振り切れないのか、悲しげに手を握ったり開いたりしていた。
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「寿さん、良かった! まだ意識があるんだね。人を呼んでくるから離しーーーー。」
「私を消して、」
久我は固まる。
彼女がぼうっと遠くを見つめながら言う。
「あなたがいなくなったら私は自決するよ、早く。お願い、お願い……。」
頭部から流れる血は止まらない。目元から流れる水滴は決して血でないだろう。
「……分かった。」
久我が端末を出して操作し始めると、彼女は首元のコードが見えるようにそっぽを向く。
「……ごめんね、ありがとう。」
「……僕こそ、ごめん。ありがとう。」
彼女が消えるのは一瞬だった。
あんなにもあっけなく、消えてしまうのか。
久我は下唇を強く噛み、己の弱さを呪う。
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「振り切ろうと思えば、振りほどけたんだ。でも、僕にはできなかった。だんだん、怖くなってきて、血で汚れた服を捨てて部屋に戻ったら、須賀さんとも会わなくて。
そうしたら、情けないことに、ね。僕は罪を誤魔化そうとしてしまったんだ。」
彼は自嘲した。
「謝っても許されないと思うし、このことを伝えたからと言って同情してほしいとも思わないよ。」
彼は力なく、立ち上がる。
そして、ログインルームの装置、ログアウトの装置に手をかける。
「僕が、ログアウトすればこれ以上の犠牲者は出ないし、次の世界に行ける。独りにしてほしいな。」
「……チッ、わかったよ。」
「嫌っすよ!」
千葉が出ようとすると、梶谷が久我に飛びついたものだから久我は目を丸くした。
そうだよな、温室で久我が言ったように。梶谷だって久我のことを想っていたんだ。
「アンタらみんなお人好しすぎっすよ! アンタも、寿さんも、酒門さんも! 1人で背負いすぎなんすよ!」
「……梶谷くん。」
彼はどこか嬉しそうに微笑むと千葉に目配せした。
彼は頷くと小柄な梶谷を羽交い締めにして部屋から出る。
それに倣って他の者も外に出て行く。
オレも最後になるであろう、久我の背中を目に焼きつける。気づけば最後になっていたからつい笑ってしまう。どれだけ久我のことを信頼していたんだと。
でもまぁ、本当の最後は、酒門だよな。
オレは動かない彼女に気付かないふりをしつつ、扉を閉めた。
カフェテリアに出ると、矢代が背伸びをしながらつぶやいた。
「なんか、パッとしない事件だったねー。」
何となく、全員カフェテリアで留まっていた。
お互いを警戒しているが、1人にもなりたくない気分の者がほとんどなんだろう。
「……アイツら、マジで仲よかったからな。」
「うぬ、そうだな。久我も、酒門も、勿論寿も苦しかっただろうよ。」
風磨と須賀が同情的な意見を言う一方で、武島は険しい表情のままであった。
「でも、結局のところ、寿さんは酒門さんを助けたいあまり暴走して、止めようとした久我さんが不可抗力とはいえ、寿さんを消した……。頭おかしいんじゃないの。」
「アンタに3人の何が分かるんすか!」
梶谷が怒鳴る。
武島は彼の怒鳴り声に肩を震わせた。
「修輔は怒らないのー。莉音も言い過ぎだよー。こういう時こそ、お互いを信じて疑わないことが大事だよ〜。今は怖いけど、きっと信じれば争いは生まれないよ〜。」
矢代は2人を宥めつつ、そのように告げる。
武島は明らかに安心したように微笑み、彼女の背後に回る。本当に大丈夫かな、この子達は。
梶谷は呆れたように溜息を吐き、貧乏ゆすりを続けていた。
「そういえば、酒門どこいった?」
ふと、加藤があたりを見渡す。
意外と周りを見てるんだよな。
「まだ、ログインルーム。」
「なんだよイチャこいてんのかよ!」
オレが答えると、嬉しそうな加藤が覗こうとしたため本山が溜息を吐きながら襟首を掴む。
「加藤さんの言うことに同意するわけではありませんが……。」
木下がポツリと言う。
少しばかり落ち着いた梶谷がん? と彼女を見やると、どこか寂しそうな、泣きそうな様子でログインルームを見つめていた。
「もう、あの3人が並んでいる姿を見られないと思うと寂しいですね。」
「……言うなよ。」
千葉も、己の酒門への態度を省みているらしく、どこか覇気がない。
「ごめんなさい、梶谷くんが1番思っていますものね。」
「……っ。」
梶谷が目元を拭いながら頷いた。
少しずつ、少しずつであったがみな疎らに解散して行った。
「遼馬も部屋戻るか?」
「ん……。」
千葉と梶谷はおそらく酒門が出てくるまで動かないだろう。
「……ごめん、ちょっと1人になりたい。」
「そっか。遼馬も久我と仲良かったもんな。あんまり遅くなるなよ。」
それだけを言うと風磨は先に部屋に戻って行った。
そっか、オレも久我と仲が良かったのか。
それから、オレは久我と話した温室に向かった。最後、彼と話した時に頼まれたこと。
『なら、困っていたら彼のこと、助けてあげてくださいね。』
ああ言ったときにはすでに寿と話す決意はできていて。もしかしたら自分が被害者または加害者になることを予見していたのか。
あのときオレが手伝っていれば結果は変わったのか。
もし仮にを想像するといくらでも後悔は浮かぶ。
温室のベンチで横になっていると涙が滲んでくる。
そのままどれくらい横になっていたんだろう。
『ーーぇ、』
少しうたた寝してしまったのかもしれない。
不意に体が揺さぶられ、目を開けようとする。しかし、寝ぼけているのか視界がぼんやりする。
目の前にはツインテールの可愛らしい少女のシルエットが見えた。やばい、極限状態にオレも参ってるのかな。
『目を、覚まして。』
はっきりと、聞いたことのあるようなないような声が届く。答えようとしてもオレの身体は言うことを聞かない。
『次の世界で探して、あなたにしかできないの。』
そこではじめて目が覚める。
全身から汗が噴き出ており、まるで発熱した時のような状態。オレは夢中で身体を起こした。
でも、オレは何を探せばいいんだ。
もしかしたら、【スズキ】の差金か。でも、何でか信じられると思った。
「……とりあえず寝よう。」
オレは誰もいなくなったカフェテリアを抜けて、すぐにシャワーを浴び、3人の眠る部屋に戻った。
まさかこの時からオレがゲームの行く末の一端を握っていたなんて思いもしなかった。




