第十五話 死守
「そんな……なんで……?」
優花の心、思考、行動、そのすべてが恐怖に侵食されたように、言動となって彼女に表れた。
口は小さく開き、声を断続的に発する。瞳は幌馬車のあった一方向のみに集中して離さない。手足は小刻みに震え感情の影響は心身ともにあったものの、その震えた手に持つ魔装神剣を強く握り締める。
立ち尽くす彼女の目前にはあたかも、醜怪なゴブリンが彼女の正面に向く。
優花は「ゴブリンが仕掛けた」と、確信したのか。
剣を構えて対峙する。
加えて、戦場を駆ける魔獣のウルフ、巨大化したゴブリンとウルフも接近して事態は最悪となった。
独擅場にあるエルッジの攻撃も、いつしか嘘ように止んだようで。衝撃音や地響きはなく、聴覚にその存在を示すのは強風のみだった。
「生きた心地、しないよ……」
剣を構える彼女だが、半ば絶望に浸っているような光の消えた瞳をして戦況に嘆いた。
挙句、全身が脱力したのか。足元から体勢は崩れ、膝を地面に突いて、手元から剣がこぼれ落ちる。
その様子に、好機と言わんばかりにゴブリンとウルフは、進行を開始。
優花一人の元へ、地響きとともに魔獣・魔物が詰め寄る。
が、
「おーい。ゆうーかさぁん! こっちぃぃ!」
響き渡る。
上空から聞き覚えのある張り上げた女声が、優花の耳に届いた。
小さく呟くように「え?」と言い漏らしながら、声の主がいる上空を見上げた。
視線の先には雲行きの怪しい空模様を背景に、【獣化】によって人型を維持した兎の姿へと変貌していたフルト。
驚異的な身体能力により、上空を飛躍。すでに落下し始めている状態にあった。
そして彼の両腕には、空中で半円を描くように腕を振って、笑顔で自身の存在を優花に知らせるジークとクラリシアの姿があり、担がれていた。
「ふ……フルト? それに、ジークにクラリ……。みんな生きてる……。よかったよぉ」
生存の安否に声を震わせ、涙目になりながら安堵の息をつく。
だが、戦況に安息の時間などないことを実感している彼女は、目を擦って気合の籠った一言を張り上げた声で発すると、手からこぼれ落ちていた剣を拾い上げて再び構え直す。
その刹那――。
背後から中年の男を彷彿とさせる呻き声が、彼女の耳へと微かに届くと、反射的に振り返った。
「え……?」
一瞬、彼女の身体は銅像のように硬直した。
そこには、右の脇腹に風穴の開いたエルッジが、流血して草花のカーペットに倒れ込んでいた。
一方、響き渡ったクラリの第一声によって、ゴブリンやウルフの進行は停止。
上空を降下する三人は、大群の注意を一気に引き付けていた。
だが、彼らは動じずに余裕を持っていた。
「さて、そろそろ見せ場がほしいところ……二人はどう?」
「『どう?』って、準備はできてるけど……。幌馬車の荷台で、あれだけ怖がってた人とは思えないんだがなあ」
「でも、より頼もしいですよね。お兄様」
「まあ、そうだけど」
「そうそう。あまり細かいことは気にしない。今はこの高揚感を楽しまなきゃ。暴れ足りなくて仕方がないッ!」
「やっぱ、別人格じゃんか。二重人格だよ!」
「だからぁ、細かいことは気にしないッ。恐怖に怯えない!」
好戦的な言動を他所に、フルトの足元には草花のカーペットとなった地上がやってくる。
それに対し、クラリシアが右手をかざす。純白の魔法陣は、地上の落下地点だと見込まれる真下へ瞬く間に展開。魔法が発動する。
「【風魔法・発動 ヒューズファン】」
「【操作魔法・発動 インベーション】」
「【操作魔法・発動 フォーストリリース】」
空色に煌めく魔法陣が、突発的に地上から天へ昇るように旋風を起こすした。
目前から巨人が大口を開けたような巨大な旋風が、フルトたちを呑み込む。
その間、風魔法と同時並行で淡灰色の魔法陣、すなわち無属性魔法が発動する。
淡灰色の魔法陣は光輝。周囲のすべてを呑み込む勢いだった旋風は、わずか数秒間で魔法陣へと吸い込まれるように、その規模を徐々に縮小されていく。
伴って、空中で旋風に囚われている彼らは、降下していく。
さらに、無属性魔法によって前触れもなく風魔法の効力を消失し、クラリシアが展開させた三つの魔法陣すべては純白に染まっていった。
それを予兆に、魔法陣は真っ二つにひび割れて、断面を発端に光の粒子となると、すべてが完全に空気中へ飛散。
風魔法による旋風は、空中でフルトたちを残したまま完全に消滅した。
着地に至っていない彼らは、成木を三本足したほどの高さから垂直落下。
魔法による身体強化に加えて、【獣化】による身体能力の向上で得た肉体で、ジークとクラリシアを担ぐフルトは、その高さから難なく着地。事なきを得た。
彼らの着地地点は、元より幌馬車があった地点になるため、その周囲には優花の姿があった。
だが、様子が変だった。
優花は地面へ向かって必死になって、張り上げた声を発しているからだ。
なぜなら、彼女の目下には重傷を負って倒れるエルッジの姿もあったからだ。
その光景にフルトは目を丸くして驚愕、ジークは一言「そんな……」と、小声で絶望を言い漏らして、クラリシアは一瞬だけ足を止めて動揺するが、率先して行動に移す。
透かさずクラリが残りの二人を呼び、簡潔に会話を交わして分担。
最も戦闘状態に近いフルトに、正面のゴブリンやウルフの集団の警戒を任せ、ジークとクラリがその間に駆けつける。
「優花さん! エルッジさん! 大丈夫ですか?」
「どうしたんだ。その傷は、脇腹が……」
「私は大丈夫。それよりも、エルッジさんが重傷だよ!」
満身創痍。細々とした目は覇気がなく、脱力感に満ちた状態に陥っていた。
たまに咳き込んで吐血もしてしまう。
彼のゆったりとした呼吸音に痛々しい姿は、死の瀬戸際という名の恐怖を感じさせるようで見るに堪えない。
優花とエルッジの元へ到着した直後、クラリは真っ先に傷の具合を確認し始めた。
周囲の地面には大きな血溜まりができて、事態は一刻を争う。
「すま……ん。油断、した。巨大な、ゴブリンと……ウルフ。気を付けろ……」
「大丈夫です。だから、喋らずにじっとしてください」
クラリシアは容体を確認しながら、冷静に言葉を交わして対処する。エルッジはその言葉で、身を任せるように口を閉じて喋る労力を削減する。
「よし。強化魔法と治癒魔法を組み合わせて、精度を上げた状態でなんとかしてみます。教会の治癒魔法師ほどの実力はないけど、できる限りはなんとかできので。それに、この地点で待ってれば、メスクの町へ向かったサリスさんが転移してすぐ、容易に合流できると思うので。そうすれば、エルッジさんも教会に運べます。その間、サリスさんのよく指示する分担でこの場を死守したいです」
「となると、ジークとクラリがこの場で周囲の警戒とエルッジさんの治療、私とフルトで正面のゴブリンとウルフを近付けないように、倒す……うん。わかった私とフルトに任せて治療に専念して。クラリ。ジークもクラリのこと守ってよ?」
「もちろん、クラリシアは絶対に守る」
「お兄様。お願いします!」
「あぁ。いつも王城で手助けてしてくれた。だから、これから少しでもその恩を返したい……。優花、頼んだ。フルトにも伝えてくれ」
「うん。じゃあ、行くね」
剣を手に持ち、優花はその場をあとにして駆け足でフルトの元へ向かう。
フルトは警戒を怠らず、恐怖を感じてはいないようで、動じる様子は一切ない。
「フルト。どう?」
「あぁ、優花。見た感じ、かなり厄介。ただえさえ、魔獣とか魔物との戦闘は初めてなのに。この大群相手に戦うのは気が引ける。だって、ここから直線状の景色なんも見えない」
「うん。それに大群の背後に控えてる巨大化したゴブリンとウルフも気になるね。ゴブリンは通常の木属性で武器も錆びついた剣や斧ばかり。ウルフは一見して属性の判別が難しいけど、たてがみが火のように赤いから火属性。巨大化した二体も同じ。ただ、巨大化するなんて知らないから。一番警戒したほうがいいね」
「ふーん、なるほど。じゃあ、いっちょ暴れるかな」
フルトの威勢のいい発言に、優花は違和感を覚えたようで、「あれ?」と呟いた。
「ん?」
「いや、馬車で魔獣・魔物を知らなくて怖がってたフルトとは思えなくて……」
「それ、優花も言うの? まあ、こっちの事情だから気にしなくていい。ただ、《強くなったフルト》って思ってくれればいいんだ」
「そっか。頼もしいのはとっても安心するしね」
「でしょ? で、ゴブリンとかウルフとかいうヤツを相手するのはこの二人でいいの?」
「うん。後ろで二人はエルッジさんを守ってる。『頼んだ』だってよ」
「そうか。じゃあ、後ろの二人も安心できるようにしないと」
「そうだね。私もフルトのように、暴れてくる!」
「そうこなっくちゃ!」
二人は構え直して、改めてゴブリンやウルフたちと対峙する。
互いに視線を合わせて小さく頷くと、同時に地面を蹴って唸り声とともに距離を詰める。
「うおおおぉぉぉッ!」
「はあああぁぁぁッ!」
その動きに対応して、ゴブリンとウルフも壮絶な数で一斉に距離を詰める。
数の優劣では圧倒的だった。
が、それでも優花とフルトは、それぞれ剣と拳を振るって先手を仕掛けた――。
「【星屑】」
「くらえよ、僕の拳ッ!」




