第五話 懸念と転生
◇
一本の大木が立つ中庭を囲む、白妙の二階建て集合住宅。外廊下の中庭側に、一定間隔で石柱が立ち、平行して一方位ずつ、数枚の玄関扉が並ぶ。
甲高い足音が静寂を破り、存在を色濃くしていく。
音の主は、容姿の幼い女神のハイヒール。大海のような静穏の碧落を、柱に凭れて一度見上げる。
幾分かは眺めるも、しかめ面で歩き出す。延々と独り言を吐き、唸り声を上げる。一時だけ深呼吸を挟むも、再び口先が多忙を極める。
そこへ二種目の足音が接近し、女神の前で途絶えた。
「おや。こんなところでなにを? パンテラ」
「ん? あっ、あぁ……アレアドス」
「大丈夫かい?」
「うん。平気」
破裂音ながら、複雑な発音の言語が飛び交う。
パンテラの記憶の中で、最も印象深い文芸の神、アレアドス。群青色の長髪で、髪を後ろで結んでいる。
至って控えめな態度であり、冷静沈着な佇まいが、彼の性格を表しているようであった。
彼女の記憶では、自分が度々助けを求めると、救いの手を差し伸べる親しい神だった。
「そうか。では、私は用事があるから。これで……」
様子に対する一切の詮索もせず、パンテラを避けて通過する――寸前で、服の袖をパンテラが引っ張った。
「なんだい?」
勘づいたアレアドスは抵抗せず、その場で静止する。
「アレアドス。少し、私の相談に付き合ってくれないか?」
パンテラの質問に、アレアドスの表情が弛緩する。
「そうか、やはりね。君の『大丈夫』には、毎回のように心配させられるよ。思い悩んでいるのなら、包み隠さず言えばいいのに。遠慮は時に、自分を苦しめるよ」
「ご、ごめん……。私の悪いところだ」
「察せない私にも問題はあるし、構わないさ。特に今回は、すぐ打ち明けようとしてくれたからね。さあ、悩みとやらを話してごらん」
「ありがとう。頭が下がるよ」
パンテラは、彼への揺るぎない信頼があり、促されるがまま従った。
「その……前に話した、私の眷属のことなんだけど。一応、今日来たんだけどさ。気掛かりなことがあって……」
「ほう……、というと?」
アレアドスは眉根を顰め、顎を触る。
「今は私の部屋にいて、男女二人なんだけど……」
「そうか。それだけ聞いても、一気に二人だから。十分恵まれていると思うけど……」
「それは、そうなんだけど。男の子のほうが、なんか気掛かりで……。人間以外の気配を、うっすら感じる。感覚的にいえば、今まで感じたことのない気配。しかも複数」
「えっ。気配、複数……」
「いや。今思えば女の子にも少し、違和感があった気がする……ほんとに微細な程度だけど……」
「なっ、なるほど……」
アレアドスは驚愕の二文字を、表情に浮かばせる。
「気掛かりなのはまだある。男の子が持っていたペンダントもなんだ。使用されている鉱石がどうも、うちの世界のものっぽくて……」
「うーん……正直、パンテラの言う気配というのはわからない。ただペンダントに関しては別だ。詳しく解析する必要がある。盗品の可能性が高い。今すぐにでもと言いたいが、盗品が史実を語る代物なら、独占と見做される可能性もある。今は慎重に機会を見定めよう。目を付けられるのは面倒だからね」
「そうだよね。今、持ちきりな話題と言えば……」
パンテラは記憶の土壌で、要所を掘り返す。
必ず知り得る歴史――神界や異世界含め、その天地を誕生させたのは、創造神などの神々。しかし、実在したという事実の痕跡は、発見されていない。
神と人間の世界を作ったとされるが、正確にはわかっていない説話でもある。
創造神が健在だったとされている世代は、《第一世代》並びに《第一・五世代》。現世代は次世代となる《第二世代》と、すべて訳されたうえで世代ごとに呼称されている。
第一世代は世界創生のため、力の行使で半数以上が消滅し、この世界から消えた。生き残った少数の神全員が記憶喪失。初期化されたような状態となった。
そして一年の時も刻まないうちに同じく消滅。
神界に第一世代は所在なし、第一・五世代は退身。今や若き第二世代に託されている。創造神の存在に至っては、存在の有無が神々の間で論争状態にある。
「――っていうけど、果たしてどうなのかなぁ」
「まあ、時が過ぎるのを待つしかない。その間に彼は成長するだろうから、自ずと判明するかもしれない」
憶測の域を破った真相解明は、アレアドスがいてもなお叶わなかった。パンテラにとっては、仕方ないと割り切る以外なかった。
「アレアドス、聞いてくれてありがとう」
「いや、こちらこそ。こんな悩みを一人で抱え込むのは良くないからね。この世界のためにも。情報は共有するものだ」
「そうだね」
「うん。では――」
一貫して沈着なアレアドスは、立ち去り際、鼻息じみた笑みを置いていく。勇気づけられたパンテラは、聞き逃さずに小首を傾げた。
「珍しいな……」
彼女としては、珍貴な一面だった。だが、パンテラにとっては、眷属二人が最重要だった。
彼らの歩む未来が曇らないことを切願していた。
彼女は仁也や優花に起きた過去のすべてを知らない。だが、彼らが死に至った経緯だけを知っている。
彼女の思考は不安と心配に駆られて支配されていた。
だが、覚悟の表れた二人の姿を脳裏に浮かばせた。
そして彼女は、己の愚かさと矛盾に苛んだ。
「ジンちゃん……ユウちゃん……」
項垂れ、握り拳を作り、下唇を噛んだ。
彼女ただ独りの外廊下は、静寂が息を吹き返していた。
◇
「――……できた!」
「わ、私も!」
「おお。ホントだ! すごっ」
優花の掌に、紅色の平面図形――いや、魔法陣が展開される。小さな火の玉が幾つか出現し、観覧車のように器用に回る。
パンテラが去ったあと、情勢関係の書物を読破。合間を縫って体を動かし、貰った剣の感触を確かめていた。
段階が早いことに、途中で記憶に刻まれた詳細が、少し開示された。技の習得にも努めて、時間の感覚はとうに失っている。
ひたすら読み続けていく中で、魔法習得のための魔法書も発掘した。これに興味が湧かないわけない。感動的で、便利って点でも強い印象があって、手を付けていた。
最初見た「収納魔法」を含め、夢中になって様々な魔法を覚えた。サナさんとナナさん曰く、すべて初歩的な魔法。
基礎的な知識として真っ先に叩き込まれたのは、魔法属性八つ。火、水、木、土、風、光、闇、無。
魔法名は異世界言語の一つらしく、言葉が理解できない。今は文字を記号、発音は単なる音という認識でしか、頭に刻まれない。しかも違和感が残って、若干気持ち悪い。
この言語に関しては、いつか覚えることになるかもしれない。
そしてなにより、魔法の種類が多すぎる。世間一般に公開されたのもあれば、個人のみ使用する魔法もあり、種類は無限大。
魔法の発動条件は魔力だけでなく、発動者の体力や想像力も必要になると。
それに加えて、発想を魔法に組み込むことで、新たな魔法を生み出せる。画期的に思ったけど、効果の内容だったり、一から創るうえでは、代償が支払われる。うまい話はないということか。
まさしく、欲と恐怖の競り合い。
「さーて。そろそろ終わりにしよ」
とりあえず様々な本を読破し、魔法も身に付けることができた。
俺たちは散らかった場を片付け、ようやく終わったころで、空間が歪み出す。
「どうだい? 進捗のほうは」
そう言って、軽やかにパンテラが現れた。優花は真っ先に、パンテラの元へ駆けつける。
「私は完璧だよ、パンテラ。あとは異世界に行くだけ」
「そうか、真面目だねぇ。可愛いいぃぃ」
興奮して愛でるパンテラは、優花の両手を握って、高速で上下に振る。続けて優花もパンテラの容姿を可愛らしいと、褒めて感情を共有していた。
後光が差している、なんて神聖的な感じよりか、親しみが第一にある。そういう意味では、光り輝いている。っていったほうが当てはまる。
現にそれが、性格やら様子やらで、よくわかる。
「よっし。ユウちゃんがいいなら、きっとジンちゃんもオッケーだね」
「その考え方、そのうち悪用されそうで心配だけど……、俺も問題ないよ」
「『悪用』ってのいうのは、心外だなぁ。有効活用だよ」
「ええぇぇ」
ホント勘弁してくれえぇ。
「冗談だって。そんなことはしないよ。それじゃあ、さてさて。話を移しましてとっ。とりあえず、二人が終わったなら、次で最後だ。服装、変えるよっと」
指を高らかに弾いた途端、頭上から大量の白い煙が落ちてきた。一瞬で俺たちを呑み込んで、立ち籠めた数秒後には視界が晴れた。
返せていなかった手鏡が、すでに手元に用意され、覗き込んで服装を確認する。
「お、おぉ!」
「す、すごい……」
制服だった格好は白い長袖のシャツに、淡い茶色のズボン。影付きの、細く短い曲線を描いた、黄緑の羽織物に着せ替えられていた。靴は灰色で、履き心地から底のクッションがわかる。
羽織物に関しては、胸の位置に輪っか型の金具と、フックのある短い鎖が片側ずつある。繋ぐことができて、肩掛けするときに安心。
それもこれも、戦うことを視野に入れているみたいで、全体的に衣服の伸縮性が抜群。かなり動きやすい。
優花の服装は俺と同じように、デザインは控えめながら可愛いらしい。
膝上の見える短い焦げ茶ズボン、長袖の白シャツ。羽織物の背景は藍色で、青白い星が描かれている。
「おー、ジンちゃん意外に似合うねえ」
冷やかしのような言い方で意地悪くも、可愛げがあった。
こういうときは、小さい子を相手しているように思える。
「『意外に』とは?」
「さーてね」
上機嫌で笑みを隠し切れていない。いじる頻度は、隙あらばって感じだ。
「これで服装もオッケー、だね」
もらって置いたままの小型リュックは、覚えたての収納魔法へ。優花はすでに、仕舞ってあり抜かりない。
必要最低限は、収納空間に入れておいたから問題ない。初歩魔法の中でも、使う頻度が多そうな優れた魔法だ。
「パンテラ。じゃあ、これで全部――ってことだよね?」
「まあ、そうだね。で、それと――……」
なにを言うのかと思えば、膝を突くように言われた。
突然のことで不思議に思いつつ、従った。すると、俺たちの頬に手を当てて、満面の笑みを見せた。
「頑張れっ」
そうだ。これからは生まれ変わった自分で、生きていくことになる。
苦難ばかりかもしれない。頑張ろう。
「ありがとう、パンテラ」
「頑張ってくるね。パンテラ」
「あぁ、頼んだ。二人の健闘を、期待しているよ!」
俺たちの肩を軽く叩き、パンテラは指を弾いた。
その瞬間、強烈な睡魔に襲われ、誘われるように床へ倒れた。
瞼はそっと降りていき――。