第三話 神の眷属(後編)
じゃあ通れるなら――
「でも、人間は無理」
はいっ、人知を超えた存在には敵いません!
「どういうことなの?」
「理由は実に単純。神と人間だから。聖域は、人間の土地と橋渡しされてる。けど、神界には人間世界のものを、持ち込めない規則がある。当然、その逆も然り。だから先にも言ったけど、神界と聖域の境目には、人間世界もしくは神界からの、異物を弾く特殊な検問ゲートがある……名前言っておくと《神門》ってやつ。仮に神門で、神界から人間が通過したとなると、騒動に発展するのが目に見えてる」
浮遊したままで、体勢をうつ伏せに変え、箱に凭れて淡々と説明が続く。
「いや、騒動どころじゃ済まされない。確実に神の裁きを受けるだろうね。それくらい前代未聞にして、まさしく大罪。そもそも、主神と秘密裏にやっていることなんだ。公に曝されるのは避けたい」
「それで異世界から迂回して、聖域に行く……。私たち、行けるかな?」
「そうだなぁ。てか、パンテラの言う『橋』以外のルートって……」
「ない――と思う。少なくとも、私はそこしか知らない」
手段は一つときた。聖域に架かる橋を目標にすれば、明確だし行動と時間に無駄がなくなる。
ただ問題は、その橋の場所。
「ついでに、場所は?」
「ここは、冒険心掻き立てられる少年であれ!」
「えぇ……」
起き上がりながら、意地悪な返答がきた。と思いたいけど、知識程度なのか、それとも知らないのか。誤魔化された感ある言い回しだったのは、間違いない。
あるいは、人生簡単に上手くいかないというメッセージかも。どちらにしろ、何事にも苦労が付き物ってことみたいだ。
ただ、これといった知識がない以上は、漠然とした不安に襲われ、頭を悩ませた。
良くない。つい後ろ向きになる悪い癖が出ている。優花みたいに、ポジティブに過ごせるようになりたい。けど、難しい話だ。尊敬の念がじわじわと湧いてくる。
「でも、どんなに危険でも、私たちは生き返らせてもらった恩があるから。できる範囲でだけど、協力できることは頑張るね。あっ、そうだ。異世界の夜景って、星が虫の大群みたいにあったりする?」
「フフフ……。星を虫に例えるのは、初めて聞いたけど……ありがとう。ユウちゃん……」
パンテラと優花の距離は確実に縮まっている。俺はこういう実体験がないからなぁ。あぁ、悲しい学校生活だ。って振り返っちゃう。
授業以外に他生徒と関わることもなければ、放課後なんて俺は部活がないから、即座に帰宅してた人間だ。避けてると、受け取られてもおかしくない。そんな高校生いるのか。なんて疑われそうだが、それが俺だ。
それに、性格の問題もあるかもしれない。優花は外見だけ好かれる理由があるわけじゃない。内面にもある。
優花は俺の優しさを見習った、なんて言っていたが逆だと思う。見習うべきは俺だ。
「パンテラが一生懸命なのはちゃんと伝わってる。だから私は、それに応える行動をしたい」
「俺は不安ばっかで……。でも、恩知らずってのは嫌だから賛成かな」
「本当にありがとう。私もその思いに報いたいから、二人に色々と進呈するよ」
パンテラはそう言って涙ぐむ。事情は知らないが、しみじみと感じた。人知を超えた神も苦労はあるのだと。
「ところでパンテラ。今『進呈』って言ったけど、なにを?」
「え? あっ、そうだね……うん、泣いてなんかいられないぞ……私っ!」」
言葉と表情に気合いが籠る。切り替えが早い。
「君たちが異世界で死なないよう、精一杯手伝うよ。その一つとして、君たちに力を与えたい。段階を踏みたいんだ。だから、まず……私の眷属になってほしい!」
浮遊状態を解き、立って勢いよく頭を下げた。
普段あまり使わないから、知っててもその意味をつい確認したくなる。
「……は?」
「けん、ぞく……」
「その反応の薄さ、ピンときてないようだけど?」
いや、違う。意味はわかる。そして先入観だとわかっているが、どうしても離れない。
中身は大人な印象が強い。
外見年齢が小四の神様に言われるとは思わないじゃん、ね。あ、口に出してもないのに、なんか鋭い視線が飛んできてるけど。ディスってないって。世間体になっただけで、唐突だったし。
「私は問題ないよ?」
肯定の優花。なにを根拠に、そんな決断が早いのか。
「まあ、俺は。ちょっと驚いたって感じぃ、かな」
「なんか、ジンちゃんは怪しい。若干だけど目が泳いで見える。気のせいかなぁ?」
「うんうん。私にもそう見える」
まさかの敵側に回る優花。
「き、気のせいじゃないか? うん」
あからさまでも無理やり乗り切るしかない。
「「ま、いっか!」」
と、声が聞こえて安心できるかと思ったが、優花とパンテラは顔を見合あわせて不自然に笑い始めた。互いに握手までして。
深掘りされなかったのは好都合だけど、良くないことが起こった気がする。
「でも、それって人間として生活できるの?」
「大丈夫だよユウちゃん。人間としての生活に支障はない。一つ面倒だと言うなら、隠密かつ偽装だね。最初の一定期間のみだけど、眷属であることを内密にしてほしい。これから行く異世界では、神の眷属は世界へ公表し、承認を得ることが必要とされてる」
眷属の存在は周知されてるのか。
「承認されるまでは、言っても信じてはもらえないし。ペテン師だのと虐げられるだけ。私の頼みなのに申し訳ないけど、覚悟を持って私の眷属となってほしい。いや、上辺で見下す言い方は、やめます……お願いします、二人とも。改めて、私の眷属になってください」
衝撃的だった。
パンテラは威厳を捨て去り、俺たちの前で頭を深々と下げた。
神の眷属が、どういう存在か。正確にはわからない。神様に、『覚悟を持って』と言われるくらいだ。相当のことなのだろう。臆せずにはいられない。
それだけのことを必要とされるのなら、異世界は生半可な覚悟では通用しないということ。そう理解するなら選択肢は一つと考える。
拒否という選択肢は、点線によって形作られている。今はもう消した。神を前に、断る勇気が湧いてこない。
パンテラは人間のように卑怯なんだ。端から誘導していた。その気にさせる要因で溢れていた。
俺たちの前で浮かべた涙が、必ずしも演技じゃないと。否定ができるわけじゃない。
あくまで俺の判断――白黒で言えば白。たとえ、なにに利用されようが、悪事じゃないことはくらい最初の時点でわかる。今思えばそう考えられる。
主従関係に間違いない、パンテラとメイド二人の会話――笑顔で溢れていた。そして、何事にも必ず作業を怠っていない。段階を踏むって点もそうだ。
悪事が目的なら、人間性によるかもしれない。けど、性格による思考が、極端になっている可能性もあるはず。だからきっと、一定の落ち着きやゆったりとした喜怒哀楽で、俺なりに考えた。
目の前にいるパンテラからは、それが強く感じられない。
優しがあって、意志という折れない芯がある。卑怯かどうこうでも、計算高く打って出た。それだけ成し遂げたい気持ちが強いってことだと思う。
きっとこうやって考えるのも、空星の狂った姿を見たせいかもしれない。
なににしろ、結果として悪い気はない。パンテラは命の恩人。けして洗脳とかの類いじゃない。
確かな事実であり恩義。俺はすでに生き返った。借りを作って返さないわけにはいかない。命ほど大きな価値はないから。
「私は、さっきも言った通り。問題ないです。仁也はどうする?」
「俺も、お願いします」
「そうか。二人とも改めて、ありがとう。じゃあ、始めようか」
俺は覚悟を固くする。
パンテラは歩み寄り、掌を見せるように突き出してきた。流れるような動作で、ゆっくりと目を閉じ、深呼吸。続けざまに謎の言葉を詠唱する。
「【エヴァヒュルー・シャネリマン】」
風に揺らいでいるような、儚い炎がパンテラの手元に出現。
掌に乗せ、ゆったりとした動作で口元へ運ぶと、軽く口付けをした。
炎は、恥じらうように揺れ動いて、徐々に俺たちの足元へと浮遊。
着地した途端に、赤い蛍光の光線が四方八方放たれた。眩しいあまり、腕で視界を遮る。
徐々に全身が、衝撃で圧迫されていく感覚に襲われる。気になって腕を下げ、瞼を開く。
炎は目を瞑っていた間、足元で円の輪郭を描くように燃え広がる。持続的に発光しているも、眩しいほどでもなかった。
俺はホッと一息ついたが、終わらなかった。
燃え盛る炎が不思議な文字や模様、直線、曲線が使われた平面の円形を描いた。
足元と周囲には鮮やかに紅く、先が黄色がかった暖色の花が、異常な成長速度で咲き乱れる。まるで地上の花火。
さらに空中の多方向で、俺たちを取り囲むように、平面の円形が無数に出現。
瞬きと同時に視界が深紅に染まり、二度目の瞬きで平常に戻っても、体に異変があった。
全身を血流とともに、なにかが巡っていく。
鰻登りの体温に加えて、息苦しさを覚える。瞬時に視界が明暗を繰り返す。
脳内で暴れ狂う記憶は、選別が困難な勢いで、次々と残像になって浮かび上がっては、記憶全体の一部へと戻っていく。
著しい変化に、俺は一抹の不安を感じたが、ふとした瞬間から異変は徐々に消えていった。
置き土産のように汗が噴き出し、息切れが酷い。
「さて、これで終了。痛みや不可解な感覚があったかもだけど、副作用ってやつ。個人差はあるけどね」
俺の横で同じく、副作用が終わった様子の優花。徐々に平常へ戻っていく俺とは違って、けろっとしていた。これがパンテラのいう個人差か。俺と比べて大差ある。最初のときなんか、目から出血したのかと思った。
「にしても、二人ともこれといって目立った悪化はないようだね。むしろ変わりない」
「え、もっと悪化するとどうなるの?」
俺で軽い副作用という話だから、疑問が反射的に口から出た。
「んー、あくまで聞いた話だけど。流血を伴う、とか?」
「えぇ、ええぇ……」
「だいぶ、大変なんだね」
「申し訳ないけど、苦渋の決断だったんだ。と、とりあえず、まだやることが多い」
話題を逸らしたいがため、と感じさせるような動揺が垣間見える。
リスキーだったことを話さないあたり性格が出てる気がする。ちょっと大雑把っていうか。抜けてるとこがある感じ。
パンテラは動揺を引きずったまま、肘掛けの箱を開けて手を入れ、抜き取るように細長いモノを軽々と取り出した。
出方からして箱は、外見以上の深さがある。神という存在を前に、細々とした疑問を尋ねる勇気はない。きっと斜め上の発言が、口から飛び出てくるに違いない。
「で、これも――君たちに進呈する一つ。私の本当に、本当に、ほんっとうに、大事な剣三本」
わざとらしい物言いで、パンテラが手に持っているのは、鞘に納められた剣。デザイン性は物足りなさがあり、柄を見れば三本とも単色のみで輝いている。
刃は当然のように想像するなら、鋼色。だが、常識は通用しないのは基本的な考え。変な色かも。
でも剣の形状的に、俺の持つ常識が、決して通用しないわけじゃないかもしれない。
実際は五分五分かも。
それにしても、『本当に』を連呼するパンテラの言い方が気になるな。
含んだ感じ。
「なんか、プレッシャー与えてきてない?」
「当然。紛失したりしないようにね」
「パンテラのことだから、半分楽しもうとしてなかった?」
「いえいえ、ジンちゃん。そんなことはありませんよぉ。私は、ジンちゃんにプレッシャーを与えて、その反応でい・じ・り・た・い。だなんて、これぽっちも思ってませんよぉ?」
意地の悪い顔で、ニヤニヤしながら自白。隠す気もないらしい。口笛を吹いて、わざとらしさを一層に演出する。
俺はいじられキャラなのだろうか。先が思いやられる。
「そのわざとらしい反応はやめてよ。俺いじられキャラなの?」
「そう。今から、いじるから」
当然のように即答。
「宣言しなくていいって!」
「フフフッ、仁也……」
「優花まで!?」
うっそぉ。
やっぱ、握手したのはそういうことか。
ちくしょう。
「ほらね。ジンちゃんの使命なの」
「使命なわけあるか!」
「フフフッ……」
「グフフ……」
純粋な笑みと意地の悪い笑みが、再びこぼれる。場は一層に和んだ。
パンテラへの警戒心は、どこに行ったのやら。といった具合に。
そんな中、パンテラの持つ三本の剣のうち一本が、一瞬青っぽく光った気がした。どうせ、気のせいだ。見間違いのオチは、周囲から奇異の目に曝されるだけ。
「勘弁してほしい……そういう目だけは」
身に起こってもいないのに、トラウマを頭に浮かばせては、話を聞くついでに紛らわせる。
そんな中で新たにパンテラが話すのは、散りばめられた砂金のような、小さい無数の輝きを放つ三本の剣について。
瑠璃色の剣、鬱金色の剣、そして淡青色の剣。この三本の剣は、ただの剣ではないらしい。
ま、予想はできる。
剣には《能力》があり、《スキル》と呼ばれる。十人十色のように武器は同じでも、所有者によって能力は異なるらしい。
しかも剣のみならず、様々な武器に能力があり、異世界で多数出回っているというから恐怖だ。
向こうでは武器に備わった能力を《特異能力》。その所有者を《特異者》なんて呼ぶ。
パンテラは護身用として持っておいてほしいと言うが、物騒だ。情勢が不安定という話が原因なんだろう。
「で、ジンちゃんとユウちゃんに進呈したいのがそれ。特異能力を持つ両刃の片手長剣だ。もちろん説明の通り、私の権能とは別。私のとか言ったけど、実際は所有者――私に眷属ができた時点で権限は失われる。例えば二人から奪い取る、なんてことはできない。一切の干渉も許されない」
権限は絶対的なんだ。パンテラのような神様でも、無理なのか。
「それに、詳しいことがまだ解明されてなくてね。少なくとも私たち若い世代の神々は知らない。魔力が遺伝子に作用してるとか、してないとか、それくらいしか聞かない。なにせ旧世代の産物。年月が経過すれば、自ずと解明されると思う。使用するしないは自由だからね」
なるほど。一言一句すべて記憶――は、無理だけど。
とりあえず剣の実態は理解した。けど魔力とかいう聞き慣れない言葉。聞いて反射的に問い質した。
「あー、大丈夫。あとで色々と知ることになるから」
と、意味深な回答が返ってきた。
言い方が怖い。
「でもパンテラ。剣を進呈するって言っても、仁也はともかく。私、そういうのは扱えないけど……」
俺自体、大したものじゃないから言えた口じゃないけど、優花は運動部ではなく文化部だった。使われていない筋肉が多い。
剣を持続的に振る腕力はもちろん、体力や様々な箇所の筋力が必要。剣自体は大した重さじゃないけど、端的に言えば加工された鉱石の塊。振る際は遠心力でさらに重量が増す。
なんて色々と考えたりするが、大前提として、剣が常識の範囲内であるかどうかも怪しい。
「確かに、重いっちゃ重い。そもそも人間を想定してないし――」
うん。もう直接聞かなくてもわかった。
重いわ。神の感覚を当てにしたら終わりだ。絶対俺たちと大差ある。
「ま、平気へーき。さっきも言ったけど、使うのは自由。仮に使うにしても、私の眷属になった時点で解決済みだよ。主に身体能力の向上に加えて、眷属化による能力の付与。異世界ではその能力を、《潜在能力》。ジンちゃんの能力は、己のみを対象に大幅な身体強化を行う。ユウちゃんはそれとプラスして、戦闘補助の能力も追加してあるから。体が慣れないうちは使うといいよ」
パンテラの楽観視した態度に、俺は不安を募らせた。