第七話 血迷う
加筆修正による文字数増加のため、分割。サブタイトルを変更しました。
◇
塀内にて木々や群生する草花が暗闇に支配される中、数々のさんざめく光源が、付近に朧げな光を格子窓から漏洩させている。
それは外套に頭巾で潜伏する男性声の一人にとって、苦痛この上なく一時も心許すことはなかった。
「おい、お前。なに見惚れてるんだ。俺らの任務を忘れるんじゃねぇ。じっと待て。大人しくしろ」
「ご、ごめんなちい」
最小限の声量に維持された会話。その相手は女性声で同様の格好。
「なんだよその謝り方……任務といい、明かりの世界といい――」
陰と影、闇が織りなす樹冠で、彼らは対照的な世界への監視に注力していた。
男性声の人物は、厭悪を込めた声で侮蔑を吐き、吐息を漏らす。女性声の人物は、明暗と格子窓を越えた先にある煌々とした照明に冷静さを欠いている。
両者の価値観は発言により相違していると判るが、一時も任務から離脱する気配はない。
「はあ……早くあの輝きに触れたいなぁ」
「お前うっさい!」
◇
俺は悩んだ末、考えるのをやめた。いつかわかると、そう未来の自分に丸投げ。
国王陛下との談話後、執事のゼルさんから屋敷の説明を受けて指定された部屋に向かった。
俺が最初目覚めた部屋と似ていたが、気品溢れる部屋はいつ見ても圧倒されてしまう。だが、いつかなるであろう目の肥えた自分を想像すると、悲しくなり今のうちにと新鮮な感情を大事に仕舞って、羽織物をベッドに脱ぎ捨てる。
「ろうそく……」
最初の部屋と違って、明かりはシャンデリアではなく、ろうそく一本だった。元々どういう部屋だったかはわからないが、大して気にすることでもない。むしろ新鮮だ。
そう感じながらもすぐに部屋を出て男風呂へ向かった。
魔法がある中で、ライフラインは水道が一番発達していた。特に風呂に関しては一際拘り強いのがこの国。
屋内外に展開していて、馴染みがあるといえば風呂より温泉かもしれない。種類が豊富だ。
過去には敷地の問題で屋外風呂が叶わずにいた人物が、屋内風呂なのに自然溢れる浴室に改築したそうで、草花や木々を植え、湿気の中でも魔法による維持を施して楽しんだという記録があった。
それも文体から自慢げなのが伝わってきた。字が力強く頻繁に強調されていたのを覚えている。
そして風景を描写する文字の羅列を読んだときも振り返るが、やはり今でも言葉を失う。
ほかにも、自分の娯楽を風呂に持ち込み優雅に楽しむ文化的行動の記録が多くあったのを思い出す。
一瞬、俺はなにを読んでいるのだろうと思った自分も思い出すが、それがこの国の拘る風呂文化と思うと、妙なカルチャーショックを受ける。いや、妙でもない。日本ではそんな風呂を一般の人は使わない。
そんな異文化についてあれこれと考え、寝室や個室が主な二階から、一階にある風呂の扉に到着した。
扉は二つ、男神と女神の横顔が彫られた小さな石の彫刻で区別されている。
位置は屋敷の入口から見てちょうど反対側。裏庭が窓から確認でき、正確な時刻はわからないが、見上げれば満天の星空を望める。
残念ながらこの世界に月のように目立つものはない。ただ、それっぽいもので小さく丸々とした衛星のようなものが見えるが、俺としては月と呼べるのか判断しかねる。
もし月の神のような存在がいればだが、その神はどう思うのか。神界にはあるかもしれないけど。
「あの夜空は見れないのか……」
何度決意をしても、まだ過去にいた地に残った未練は消えない。いや、消えるはずがない。たとえ、頭で理解していようとも。
「あー、また考えるなよ……」
相変わらずの沈みゆく気持ちを立て直し、扉を開ける。
その先に広がっていたのは小部屋になった脱衣所。見回せば幾つかの棚や、魔力による解錠が必要な蓋だけの蛇口がある、足洗い場のような洗面所。
さらに木製の洗濯機のようなものがあり、魔力で服を洗うこともできるみたいだった。自然に湧く魔力とは違う、他者の魔力が感じ取れる。
とりあえず、着ていた服は全部洗濯機なるものに入れ、靴を脱ぐ。
収納魔法の収納空間にあるパンテラからもらったバッグへ手を伸ばし、タオルを取り出し腰に巻いていく。
普段はこんなことしないが、気分がそれを欲していた。
「よし、タレント気分で準備オーケー」
パンテラ的には汗を拭うための用意だろうけど、残念ながら使う機会がなく、今に至る。
申し訳なさを感じつつ、洗濯機なるものに指で触れると、魔力による起動ついでに性能設定の文字が脳内で浮かび、乾燥もできることがわかった。
魔力がなければ自動的に止まるから、気にせずある程度洗濯機に魔力を流して、俺はさらに待ち構える扉に手を掛け、手前に引いて一歩下がる。
――と、見えてきたのは屋外の風呂。
それも開放的で、右側は手前に洗い場と奥は裏庭と一体化。中央には主役の浴槽、湯気が極楽を誘っている。
左側には塀まで続く石製の仕切りがあり、その向こう側は――考えないようにしよう。
「おー、これが屋外風呂かぁ!」
と思っていたが、仕切り越しに声が聞こえてきた。それも何年も聞き慣れた声。
静寂が一瞬で破られ、サリスや王女様の声が聞こえてくる。今さらではあるが、確か名前はクラリシアさん。
もう一人、明日一緒に行く王子様はジークと言っていたはず。
「すごい広いね」
「姉さんが小父様の親しい補佐官とあって、よく私もクラリと小母様とで一緒に入らせてもらってたわ」
「へえー、そうなんだ」
なんということか。裏庭で夜、しかも開放的だから聞こえてしまう。秘境の温泉にいるような感覚と例えるべきかもしれない。
こちらの風呂とは対なる場所から気を逸らすべく、洗い場に座って洗面所同様の蛇口に魔力を流そうとしたが――
「てか、優花」
聞こえてくる。
「ん?」
「随分とまあ、私たちに見せつけてるくれるじゃない? 優花」
「え、いや二人だって結構あ――」
「失礼っ!」
「え、ちょ、サリス!」
「私も少し、失礼しますっ」
あちらの世界がどうなっているのか――やめておこう。残念男呼ばわりの人に殴られそうだし、こういうのはよくない。
その一方で、思春期ゆえの正直なところは勘弁願いたい。これも不可抗力だ。
「いかんいかん……」
俺は首を左右に激しく振って、止まっていた手元を再開。魔力の操作を行う。
途中、性能設定のような文字が浮かんだが、気を逸らそうとするばかり、いち早く水が出るように操作したので時すでに遅し。
「つめったああ」
悲鳴を上げられずにはいられない、夜の野外、それも裸体で頭から浴びる冷水。
反射的に息を殺しながら、両肩を突き上げた猫背で身に染みる冷温に耐え凌ぐ。
「男風呂のほうにだれかいない?」
優花の声。別に隠す理由なんてありはしないが、なんとなくサリスからの攻撃が想像できる。魔力で仕切りを越えて、なんてこの世界特有の可能性。
「え、仁也さんの魔力を感じ――」
「ちょ――」
クラリシアさんとサリスの声が途切れたのを最後に、女子たちは夜の静寂に身を潜めた。
なにを考えているのか、ため息をつかずにはいられない。
「おかげで体感温度は極寒だって」
というのは盛り過ぎた。
ルーメン王国は温暖で日本に近い四季がある。文化が違えど地理上そこら辺は似たり寄ったりなのはありがたい。融通の利くうえ環境が似ている。パンテラの世話焼きがここでも垣間見えるとは思わなかった。
だが季節関わらず、夜に屋外の浴場で冷水浴びて裸のままは、体温が下がるし風邪を引く。
「はあ、こんな調子じゃ鼻詰まり抱えたまま寝ることになる……明日に響くから早く体洗うか……」
一難というべきか、なんというべきか。この状況下での足止めは痛い。鼻水垂らした夜など真っ平御免。聖地での眠りを邪魔されては適わない。睡眠こそ命だ。
俺は改めてため息を漏らし、蛇口の解錠前に性能設定を済ませて、温水を被る。
洗い場の真横には石の台に置かれた木の水切りに、石鹸が幾つか置かれていて、前の世界とは違いシャンプーはない。
が、風呂文化もあってか、石鹸量産。加えてその拘りには圧倒される。
優しくも癖になる香りだったり、爽やかな香りだったり。前の世界の石鹸と遜色ないどころか泡立ちや使い心地は、それこそ世界が違って見える。
すっかり異文化に埋もれ、満喫して全身についた泡を洗い流し、湯船に浸かった。なんとか一息つけた感じだ。そう思っていたが、仕切り越しに魔法の発動を感じ取った。
「なにしようっていうんだよ……」
小声ながら思わず一言こぼし、身構える。
――と。
桃色の髪と不満げな表情の顔が、仕切りより高く飛び出る。
「じ、仁也! せ、背中流していいわよ!」
魅力的な肌艶の体に、胸元が危うい位置までこちらに見せてくる。だが、なによりも発言が血迷っていた。
「あ……?」
「……っ! やっ、やっぱこうじゃない。違う! どうすれば……って、見ないでよ変態!」
まさかの水魔法による噴射攻撃。しかも容赦ないことに冷水。
「見せてきたのはそっち、そっちだから!」
どういう意思が働いたのか、俺にはわかりかねるが、とにかく入浴時間が被ったことが不運だったというべきか。
「仁也、なんか変な妄想でもしてるでしょ?」
「そんなことっ……って優花まで、見てないで止めてくれって」
「さすがにね。ほら、サリス。落ち着いて戻るよ」
そう言ってサリスの暴走を止めて女風呂へと戻っていく優花だが、引き返してきたようでまた顔を出す。
「なんでまた……」
「ねえ仁也」
ここまでくると申し訳ないけど厄介に思ってしまうが、優花の一段階下がった声のトーンは俺を離さなかった。
「なんかあった?」
「内戦のあと私、仁也が目を覚ますまで色々と考えた。ここまでの全部をひっくるめて、思うことは多いんだけど……私は、やっぱり仁也が一緒でよかったって思うんだ。ありがとね」
微笑みに迷いのない優しい言葉。だが、その裏にはこれまで起こった深刻な事態への苦を物語る声に聞こえてならない。
今までを振り返ったのであれば、そこに残酷の文字が影を落とす。避けては通れない。未練かなにか、それとも元空星のソドラか。優花にとって重荷になっているのかもしれない。
忘れたくても、こういうときは眷属になったことを後悔する。妙に記憶の定着がいい。
「それはこちらこそ。俺も一緒でよかったと思ってる。きっとこの先も、最後までそう言いたい」
友達かなんとか、そんな問題は捨て去った。今や、生きているだけがすべてだ。
「そっか。そう言ってもらえて嬉しい。騒いじゃってごめん」
「ううん、大丈夫。こっちも静かにしてるよ」
左右に揺れて踊る掌を最後に、サリスの悲鳴と慌ただしいクラリシアさんと優花の声が遠ざかっていった。
「凄い声量だったな……」
嵐のあとの静けさ、夜風すらない。
湯舟に肩まで浸かり、暇を持て余して視線を泳がせていると、左の脇腹に止まった。
レアスの魔法による大剣で貫かれた腹は綺麗だった。
母さんと逢ってすぐの戦闘で負ったはずの傷もない。きっとだれかが治癒魔法を施してくれた証。感謝しないといけない。
そう思いながらも、俺は待っている聖地に想いを馳せながら入浴時間を過ごした。




