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   第十話  ラクハト


     ◇


 蒸気を噴出し、光源の如く淡黄色に満ち光り、高熱を帯びる大剣。刺殺される成熟もしていない一人の少年。血の筋を大小複数垂らし、血みどろ。

 幼児のように石肌が研磨された石床は、溜まる紅い液によって鈍重に侵されていく。


 世界は色彩の大半を消失、時間の経過は息を殺すように沈黙して活動を停止されていた。

 その間、重篤な状態に陥った少年は、虚無と同等の世界から消失していくかのように透過の一途を辿る。


「仁也……仁也……死なないで……」


 ただ一人、時間を超越する目撃者はいた。目尻から光輝する涙が、銀河を描いて流れる。


「私はなにも返せてない。してあげられてない。仁也だけから、色をもらったのに……」


 唯一、その躰に自由がある辻島優花が――叫ぶ。


「無機質に振る舞う両親、外観の印象に憑りつかれた人の感性と目、格好だけの他人。嫌な言葉の音色に、犯され続ける悪行、人のエゴ。星のように光がない社会という現実。目の前にだけ囚われた人々、激痛が唸る心の傷……私が仁也に生きてほしいのは! 小学校の頃、悲観的で無色な世界が辛くて、公園でうずくまっていた私に、私に!」



 それは、断片的な回想――。

 昼下がり、青々とした芝生のある公園。群生する木々の中、木陰でうずくまる少女に、一人の少年が手を差し伸べる。

『だいじょうぶ? 悲しいの?』



「――女友達にいじめられて、だれにも気付いてもらえなくて……絶望して怖かった私は、その手で色付けてもらった! たとえ同じ目に遭っても――」



 別日――同所の夕刻。

 罵詈雑言を吐き捨てる複数の男女が、嘲笑してこの場をあとにする。

 顔面の瞼や頬は腫れ、露出した肌の所々は擦り取られ、少量の流血を伴う負傷。


 群れを成す集団の背後が遠目になるまで、しばらくは少女の身を背後に置く少年は、頃合いを見て笑顔で振り返る。

『これで同じだね。いっしょに遊べるのは、優花だけだよ』



「――そう言って優しい色で溢れてた。私は今でも忘れない! あのときの、色鮮やかな笑顔を! エゴと思われてしまってもいい、私はただ――あなたに生きてもらいたい!」


 号哭の言葉は星々となって具現化し、煌めきながら飛翔。

 優花は床を蹴り、一指の末端でも届かんと、その手を伸ばして駆け寄る。

 だが、少年――仁也は濃霧と白のベールに包容され、純白の世界へ跡形もなく消失する。


「仁也……ごめん。空星から、助けてあげられなくて……ごめん」


     ◇


 大らかな佇まいに、浮かぶ笑顔。遺影となんら変わらない女性――本当の肉親を前に、思考を停止させた。

 俺はその事実にただ唖然としていると、母さんは近寄って俺を抱き締めた。慎重にも、優しくも思える。でも、衣服を握る手は力強かった。負の意識はなく、俺も赴くままに抱き返した。


 その瞬間、首にぶら下がり揺れるペンダントから、大河のような魔力の流れを感じた。ペンダントが黄緑に点滅を始めた。憶えのない光景が映し出された。


『うわぁ、かわいいでちゅねぇ。じんやくぅん――』


 見慣れた我が家のリビング。

 肌着に身を包む赤ん坊と、愛情表現真っ只中の母親。どうも俺の顔とは似つかない父親。


日女(ひめ)。仁也に夢中だな』

『えぇ、当然よ。私たちの大事な子ですから』


 赤ん坊を仰向けに抱えながら二度頷き、しなやかに弾ませるように、頭を撫でる。


『そうだな……あっ日女。そろそろだ。車に乗ろうか。俺の弟のところへ行こう』

『うん。でも、あと少しだけ、もうちょっとだけ、仁也に愛を注ぎたいっ!』

『はいはい、その代わり……俺もなっ!』

『じんやぁ、お父さんもきたよー!』


 満面の笑みと幸せな音色で溢れる光景は、俺の視界から薄々と消えていった。


『仁也、ごめんね。あなたを今まで騙して』


 気付けば謝罪の言葉が聞こえてきた。


「……全部。なにもかも、本当なんだ……」

『うん。紛れもない事実』


 乳幼児の記憶はなく、そもそも視点が違う。信じる時間が少しでも欲しいのが本音だ。

 レアスの話した真実――あのときは安易にすべてを言われそうで、俺は気が動転していた。

 改めて確かめたい。俺は腕の中で母さんを見上げ、視線を合わせる。


「あのさ……母さんは交通事故で死んだの?」


 俺の質問に、母さんは目を見開いて驚くも、澄んだ瞳で小さく頷いた。

 そして、声に乗せてその旨を話し始めた。


 父さんと交通事故で誰かに刺されて死んだこと。その前、実の妹に預けてもらえるよう頼んだこと。自分が本当の母親であり、交通事故や遺影のあるリビングを夢として見せたこと。

 そして、愛していると。瞳を潤わせて、涙を流していた。


『本当にごめんね。辛かったでしょ』

「だい、じょうぶだよ……」

『だったら嬉しい。でも、自分を労って』

「そうだね……ありがとう……」


 強張った心が溶けていくようで、身も心も確かな温もりを感じ、記憶が蘇る。地獄の日々で、苦しいばかりで、散々だった。


 目頭が沸き立っていくように熱く、視界は一瞬で歪み、腹底から声を出して泣き叫んだ。

 俺に母親がいなかったわけじゃない。でも、誰かが自分のために泣いてくれる。これが、なによりも嬉しかった。


 育ての親――丹生母さんは、あまり感情の気配は見せなかったけど。きっと、俺への配慮だ。

 あの日の朝、俺が交通事故の話をして暗い表情で俯いたのも、そういうことなんだろう。

 俺はしばらく、溜まっていたものを吐き出し、収まって涙を拭く頃。


『ねえ、仁也。優花ちゃんとは仲良くしてる?』


 質問を投げ掛けられた。それも予想外の。


「え、知ってる?」

『知ってるもなにも、私の同僚の奥さんなのよ? 私の妻ですって紹介されて、仲良くさせてもらって……だからちょっと、気になってね』

「そうなんだ。優花とは、仲良くやってる――っていうか、高校じゃあ近くて遠い存在だった。でも今は、小学生の頃をちょっと思い出す。ただ必死だった、あの頃……――を」

『そう、高校生ね……ホント、大きくなった……』


 そう言って抱き締めてくれる。その途端、未だ途切れない水流が逆流を始め、水鏡の澄んだ水も引き潮のように吸い寄せされ、母さんは浮遊。俺から離れて姿を小さくしていく。


「え? ちょっと待って……まだ話足りない!」

『ごめんね。あなたを助けたいのは山々だけど、私はなにもできない。時折しか許されない。でも、意識の中であなたを支えるし、見守る』

「母さん!」


 返答はない。着々と母さんは視界の先へと小さくなっていく。温もりを欲していた俺は、正気を失ったようだった。瞬間的に引き留める必要を感じなくなった。


 育ての親として、丹生さんは人生の十数年を俺に費やしてくれた。本当なら、俺の家族構成は孤独そのもの。施設にいることだって考えられた。そんな俺は今、なにを得たか。


 決意、友人、新たな人生――ここで甘えて立ち止まるなら、俺はその程度だったって話。

 そんな軽いモノじゃない。自我の世界で気を引き締める中、母さんは先で止まっていた。


「仁也。そのペンダントの名前、知ってる?」

 突然の質問に、ただ必死に頷く。

「《ラクハト》っていうの。強くペンダントに言い聞かせて、時々お母さんを思い出して」

「『ラクハト』……わかった!」


 そう叫んで言い返す。きっと、俺にとっては忘れられない特別な言葉だと、そう思える。

 俺もなにか、せめて言葉を残さないと。


「母さん! 無理しなくていいよ! 俺に会ってくれて、ありがとう!! 俺を生んでくれて、ありがとう!」


 感謝しか、俺に引き出せる言葉がなかった。特別な言葉はない。日常的な言葉だけど、今の俺にとっては――最高の言葉だ。

 母さんは嬉しそうに微笑み、再び遡る水流とともに奥へ。周囲を見渡せば、世界が剝がれていく。色が塗られていく。


 謁見の間、優花とサリス、目の前にレアスの姿、差し込める月の光。時間を刻み始め、世界が動く――そのときにはもう、母さんの姿はない。

 俺の体は傷の一つも残らず、体力や気力が湧き上がってくるようだった。


「仁也!」


 背後から優花の声が聞こえて振り返ってみれば、目元を何度も擦って涙ぐむ姿があった。

 そして必死に拭う中、俺と視線が合うと途端に走り始めて、力強く腹に抱き付かれた。


「よかったよぉ、よかった。ちゃんと、ちゃんと息してる。死んでない……」


 ほのかに光を反射する両目の涙が、俺の涙腺を決壊させるよう誘われ、耐え切れなかった。

 二人でしゃがみ込み、俺は優花の背中を右手で摩り、視界は洪水状態。


 そうだ、俺は一度死にかけた。優花はその一部始終まで見ていたんだから、悲しませるのも当然だった。優花にはまた、思い出させてしまったのかもしれない。なにも抗えなかった、あのときを。


 ごめん、ごめん、ごめん。もう俺は、負けたりできないんだ。父さんや母さん、丹生母さんのためにも、この国や世界のため――そして、優花のためにも。俺はきっと、何度だってそう思うんだろうな。その度に、自分を律して戦っていける。挫折せずに立ち向かえるんだ。


「優花、一ついい?」

「ごめん……――だ、大丈夫だよ。なに?」


 俺は涙の気配を無くし、問い掛けで優花も慌ただしく目元を拭き取った。


「絶対に……負けない」


 右手を軽く頭に乗せた。再び瞳が潤い始めるも、目元を隠すように拭いながら、頷く。

 そこから付け加えて、謁見の間の扉付近に戻るように伝えると、首を縦に振ったまま戻っていく。

 その先で待つサリスは合流する優花と抱き合って、無事を確認し始めた。


「これはどうなって……神の眷属。なにをしたというのですか!」


 水を差すような怒鳴り声。レアスは謁見の間の壁際にいた。距離が確保されている。

 あいつの言葉はもう無視だ。事実、あいつは俺たち家族を引き裂いた一人。どうにかしても戻るものじゃない。取り返しがつかない。反省の色もなければ、後悔もない。


 まるで、自然の摂理とでも考えているかのようで腹が立つ。この男を野放しになんてできない。当然、ソドラやニタン、バファナも同類だ。俺が思うことはなんら変わらない。


「俺はまた、決意の一歩を踏み出すだけだ!」


 想いを乗せて。


「【ラクハト】」

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