第二話 恐怖
青白い光弾が刃から無数に放たれ、反乱軍兵士の足元に着弾すると、連鎖的な爆発が襲った。
巻き込まれた兵士たちは、たちまち後方へ吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
一瞬見えた。爆発で飛散した無数の瓦礫が、兵士の体に突き刺っている。
「ゆ、優花……」
「サリス。大丈夫?」
神速の行動力を見せたのは、優花だった。
神界では互いに習得で忙しく、情報を共有することはなかった。だから優花の能力は一切わからなかった。
「い、今のはなんだ……」
一瞬の出来事に動揺する中年男は、口を開けて唖然としている。わかりやすい反応だけど、実のところ俺も同感だった。
「うっ……」
そう思っていた矢先、優花のうずくまる姿が目に入った。収納魔法を発動させ、魔装神剣が魔法陣へと消えていく。
優花がサリスの元へ身を投じたとき、代わりに俺が――。
確かな後悔が、胸の中で渦を巻く。
パンテラからの恩恵で、体全体が筋肉痛だったはず。それを無理して動かした結果が、悲鳴となって表れた。
「あれあれ? もしかしてお嬢さん方――動けないご様子で?」
中年男の気味悪い粘着質な笑み。危機感が芽生える。でも、体は融通が利かなかった。
まるで床と一体化しているようだった。こんなときまで、行動できないなんて。
「――動かない……」
「アハハハハ――小僧! オメェの体は実に素直だ。恐怖で怯えてる! 見事に染まってる!」
そう言って腹を抱えながら嘲笑い、反乱軍の少ない軍勢も同調する始末。
どこか憶えのある光景だった。覚えのある苦痛が、全身を包んだ。
学校で優花に話しかけていた、怖れ知らずの俺と変わらない。自分という人間が、本当に酷くて憎い。
元の世界で生きてたときも、死ぬ瞬間まで馬鹿で、酷かった。友達に言われたから悲しいとか。そんなことは塵のように些細、だったはずなんだ。
人の妬み嫉み、悪口を言われた事実はともかく――。自分勝手に、自己満足のためだけの行動しかせず、周囲の状況という現実を見て見ぬふりして、目を背けていた自分が憎い。
今振り返れば、そう思える。
一方的にただ笑われる。この状況でふと、そう思ってしまった。
そしてどこか、憶えがあった。でも、頭痛と眩暈がした。まるで開かずの扉に触れ、呪われた気分だった。
感情が行動を決めることはわかってる。だれしもどこかで人は、自分勝手で自己満足になるってわかってる。
わかりきっている。だからこそ、制する意識を持ちたい。どんなときでも。
利益なんて必要ない。ただ命が失われないよう、自分をだれかのために奮闘させたい。表裏なくそれだけだった。
でも、なに一つとして達成できていない。恐怖の壁をただ見上げ、無力に浸る。
どうしても絶望に恐怖し、無様に立ち尽くす自分を、再認識せざるを得ない。心が弱いから、事実でもあるから――。
「キャッ、離して!」
「やめて! 私はまだしも、優花を引っ張んないでよ!」
「あぁ? 黙ってろ!」
結んだ髪を引っ張られる優花。
サリスは右腕を掴まれ抵抗するも、引きずられていく。
気付いたときには、もう遅い。
手慣れた手つきで縄が巻かれ拘束状態。同じ状況下にある王族や貴族らの元へと移動させられ、人質になった。
未だに優花とサリスは必死に抵抗し、縄を解こうとしている。
それでも俺は、恐怖に未だ打ち勝つことができない。焦りも募る。
「おい、小僧! お前、そこでボッーと突っ立ってる場合か? 目の前で殺されちゃうぞぉー。来ないのかぁ? ひっでえもんだなあ、腑抜けが。嬢ちゃん二人と違って随分弱っちいのな。なにもできねえ雑魚が! ハハハハッ……まるで動物に集る虫じゃねえか。ちっこくて、よわっちくて、邪魔臭くて鬱陶しい――虫だな。しかも女の子にだ。気持ち悪いったらありゃしない。アッハハハハ……」
けして否定きるわけじゃなかった。気持ち悪いだけが残る中身のない人間。
これが他人から見た俺。そもそも、だれかの為になる行動ですら、できないのかもしれない。
だけど、貶すだけの言葉から俺は思い出した。俺が死ぬ直前のことだ。
優花が俺の目の前で殺されてしまったあのとき。悔やんで、苦しくて、泣いた。
あのときの違和感に対応できなかった俺は、きっかけを作ってしまった俺は、自分に罪があると思ってる。自責の念に駆られてる。
俺はもう、あんなことになりたくない。見たくない。取り返しがつかない悔恨と悲痛は、二度としたくない。
そう思った。誓ったようなものだ。
でも、今の状況はどうだろう。俺は浸らずに済むだろうか。
いいや無理だ。悲しくなるし、後悔もする。
俺はここまで自分が弱いと、無力だと、改めて痛感した。
本当に情けない。結局のところは窮地を招いた。
今、動きたい助けたい。今このときこそ、自分が最も行動すべき瞬間。
だから――。
「やるしかない……」
俺は歯を食いしばって、一歩を踏み出す。
最悪の事態は考えたくない。けど、考えるからこそ。現実に全力で向き合える。捕らわれの身から解放され、その自由を助けることに繋げられる。
勢いに身を任せ、二歩目を踏み出そうとした途端――謁見の間入り口から、巨大な金属音が響き渡る。
全員が動作をやめ、一定のリズムで鳴り始めた足音は、俺の背後から右へと徐々に移動する。
悠然と視界を通過していくのは、青い鎧に身を包んだ一人の男。
「おぉ、シャルトか。ちょうどいいところに戻ってきたな」
右後ろへ髪を流した髪型の茶髪。高身長なうえ、俺の視界を埋め尽せるほど、体格は人並外れて大きい。冷ややかで鋭い目つきが、俺の背筋を凍らせた。
中年男は、突然現れた男をシャルトと呼んで親しげに話す。一方的なうえに、なぜか一定した距離が保たれている。まるで怯えているように思える。
今までの威勢の良さはまるでなく、中年男は睨まれ続けた。
さらに、歩みを止めないシャルトの動きに合わせ続けた結果。怯えた中年男が、俺へ背後を見せる状態になって向き合っていた。
なにを思ったのか。ぎこちなく胸を張って腕を組むと、自慢げになにか言いかけようとした途端、刃が擦れたような金属音とともに、中年男の声は途切れた。
わかりやすく猫背になり、人形のように全身から力が抜けたのがわかる。近くにいる反乱軍の兵士や、優花にサリスもその光景に驚いていた。
俺には背後しか見えなくてわからないが、異様なことだけは理解できた。
「……貴様の名を、俺は覚えていない。事前の察知やここまでの進軍。代わりに務め上げたのは、評価するとしよう。だが、所詮は貴様も下郎。気安く話しかけるな。お前のようなヤツにいられると、邪魔なうえ不快でしょうがない。謁見の間の入口付近まで来れば、貴様の声が反響して聞こえていたが。実に不愉快極まりない。俺が思うに、集る虫は貴様だ。俺の周りをちょこまかと。口を開けば、つまらぬことばかり並べる。耳障り、耳障り、耳障り、耳障り――下郎の意見を聞くのは、嫌気が差す。まあ、最後に評価を下すなら――予定調和で助かった、だな」
「そ、そん――な……」
名前の一文字も名乗らず、中年男は吐血を最後に、声の一つも発さなくなった。
床へ倒れると、口端に一筋の血を流し、目は虚ろなまま光がない。
傷口であろう腹から大量に流血し、床を侵食するように血溜まりが広がっていく。
男の右手には、血の付いた片手剣があり、用済みとしたのか。床へ放り捨てた。
殺された男は、反乱軍によって壁際に移動される。
会話からして、中年男と仲間だったみたいだけど、同士討ちを平気でやる人間。確実にまともじゃない。
そう思っていると、男は俺と視線を合わせてきた。眉間にしわが寄り、ネコ科動物のように鋭く、憎しみを持っているような顰め面。
「お、お前は……シャ、シャルト・クリージアか。剣士、貴族の」
両者にある凍てつくような雰囲気が、第三者の一声で一刀両断した。
金髪で顎と鼻下に短く髭を生やし、緑玉色の瞳が特徴的な中肉中背の男。
煌びやかで豪華絢爛な服装に、金の装飾や数々の宝石が光り輝き、権力の大きさが容易にわかる。
にしても、見た目年齢は王様といわれて想像する年齢よりずっと若い。もしかしたら二十代後半かもしれない。そういえば、確か。サリスの話だと、この方がユラテス・ルーメン国王陛下。
「あぁ? ハハッ、国王陛下かぁ。この内戦の中、ご壮健なお姿をお見えになれたこと、私は安堵の限りです」
「お前……なあ」
シャルトの挨拶は少し変だった。
後半は礼儀正しい丁寧な言葉使いだったが、前半は真逆。明らかに見下した態度だった。
「それにしても国王陛下。捕縛されている気分はいかがでしょうか? 下郎の屈辱、悲しみを少しでも味わっていただけたでしょうかね?」
と、不敵な笑顔。
「おい、ふざけるな!」
それに対し、傍にいた貴族らしき一人が、批判を口にする。
「先からお前の言動を見ていたが、なんという口の利き方だ! 陛下に忠誠を誓っている大貴族の当主といえど、許されないぞ! シャルト・クリージア!」
聞いた当の本人は俺から視線を外し、貴族の一人を冷酷な眼差しで見下ろしながら、歩み寄っていく。
「黙れ、無能の分際で。俺がこうなると見破れない貴様らに、用はない。ましてや、そうやって口立てる権利は、貴様ら中枢の連中にはない。今日に至るまで世話になったが、滑稽にもほどがある。平和ボケの抜かり集団」
わずかに怒鳴り散らして、捲し立てる。
「一度信じたら警戒の色がない。国王軍の主力部隊は、両勢の最高位者の指示の元、武装タイプのゴブリン討伐で不在。そして心もとない兵士とともに、現在は王族の隣で縄に縛られ、責務を果たさず。大国の割に中枢は生温い……なにも見抜けず、なにも防げない。そのおかげで、この時はあっけなく迎えられた。いくら内戦とはいえ、国の面目が無事とは限らない。この国は世界十二大国の一つ……少しは傷が付くだろう。まったく、かわいそうだ……」
批評者の前で足を止めたシャルトは、言葉を終わらせた瞬間に、腹を蹴り飛ばしては顔面を殴った。それも必要以上に続く。鈍い音と悲鳴が謁見の間に響いた。
そこへ介入しようという人は、だれもいない。
蹴られ殴られた貴族の一人は、吐血をしながらも耐えて悶絶するだけだった。
そして滅多打ちの最後、強烈な一蹴りで壁際まで吹き飛び、声の一つも発さなくなった。
周りにいた王族やほかの貴族は目を側めるも、国王陛下は現況を目に焼きつけていた。
「さて、こんなやつは放っておいて……――」
ため息交じりに言い放ち、どこへ歩き出すかと思えば、次は俺の前に立った。
「私の名はシャルト・クリージア。クリージア公爵家の当主だ。シャルトと呼んでくれ。よろしく頼む……」
打って変わっての自己紹介の最後、俺の腕を強引に掴んで引き寄せられると――
「神の眷属、アオハラジンヤ……フフッ」
と、耳元で囁き、一つ奇妙な笑みを浮かべる。そして乱暴に俺を突き飛ばして、距離を取った。
俺はその一言で、背筋が凍った。