第十二・五話 恩を
「それって大丈夫なのか? だって時間割くくらいは、問題ないって……」
「早期から反乱軍進行の急報は入ってたし、準備は万全を期してる。だから簡単には、王城に入られないと思う。長期戦ね」
決して頼りないとか、そう思っているわけじゃないが、どうも心配だ。十年前のような、身内争いなんて起きるわけがない。相手側も学ぶことがあっただろうし。
「けど……」
「思う、けど?」
「やっぱり、国王陛下や王城内にいる方々が、心配で……」
「とりあえず、先を急いだほうがいいな」
「そうだね。サリス、私たちも国王側に加わるよ」
「本当に、いいの?」
「うん」
「俺も問題ない」
サリスは俺たちの言葉に驚くも、安堵の息をついて涙を流した。助力してもらえるとは、あまり思っていなかったのかもしれない。
元々なに言われようと、ルーメン王国はパンテラが建国に携わった国。眷属ってだけで、介入の余地は十二分にある。
ただその反面、戦争に対する恐怖がある。今まで戦争なんて語り継ぐべき過去の話、なんて思っていて、実体験なんてあるわけもなく。ましてや異世界の戦争。現実味は無いにも等しい。
ただ、怖ろしく残酷だという認識はある。人道的じゃないと、理解している。
人が死ぬことは、避けられないかもしれない。元いた世界と発展具合がまるで違う。ましてやダイナマイトのような、活かすことも殺すこともできる魔法や能力がある。
違いのある世界でも、それを受け止めて順応していく。生きる道がこれしかなかった以上は、生き長らえることが、本当は一番の優先順位。
パンテラからもらった命と恩――、一度死んで神の眷属として転生した。
死ぬのは怖いし、生きたい。
でも、ここで引き下がって、恩を仇で返すのは言語道断。そしてなにより、心苦しさもある。
ここでサリスを見捨てたのなら、より多くのものを捨てるという意思表示になる。そんなの不本意だ。
結局問題ないとか言って、未だに葛藤している自分がいる。まだ、やめることもできると。引き下がろうとする自分がいる。
――今の俺には、一度起きた死を忘れられない。いや、起きた前からだ。納得に足りない、あの一連すべてが、脳裏に焼きついていた。
自分の愚かさ、不甲斐なさ、無力さをなによりも痛感した。
でも今は、あのとき未来を変えられたかもしれない、そんな力を持っている。自分に使うには勿体ないんだ。
俺は小さい頃から取り柄がない。せめて親孝行でいようとも思ったけど、ダメだった。結局、親不孝に終わった。想像するだけで、胸が痛い。
女手一つで育ててくれた母さんは、喪失感と絶望に苛んでいるかもしれない。俺だったら自暴自棄になる。
ましてや、優花まで死なせてしまった。そんな自分に、嫌気が差す。
未練しかない。だから、自己満足にも等しい思いがあるのも、事実。
償いとしての意識を持ち、優花を守り、助けたい人を助けられるように、努力を重ねるしかない。そう思っている。
「正直……怖いけど。私だって、色々と考えた結果だよ。少しでも力になれるように頑張るね」
「そっか。頼もしい」
頷き、笑顔で返す優花。
「そうね……」
サリスは、表情どこか柔らかくして、呟く。
「二人には迷惑を掛けるけど、改めて――力を貸してください」
その一声に――
「うん、もちろん!」
「当然、協力する」
二つ返事。
話は切り替わり、王都までの移動手段が、サリスから提案された。
空間魔法による転移。
ここから王都まで、道のりは長い。徒歩で向かおうにも、時間の大量消費は免れない。状況次第では、身を守るための体力や気力が必要で、どうにか削減がしたい。サリスの提案は、言葉からして適していそう。
「その名の通り、時間や空間関係の魔法が操れる魔法。その分類は無属性魔法で、派生したうち一つが空間魔法。その中で、通称『転移魔法』と呼ばれてる魔法を使おうと思う」
「あっ、そういえば私たちも、それ習得したよ」
「ホント?」
「うん。でも二人とも、使い方がわからなくて……」
この世界に来る前に魔法を習得したが、用途や使い方がわからないものもある。
「うーん、優花はさ。その魔法使うとき、どう想像した?」
「えっと、こう一瞬でどこかに行く、みたいな?」
「なるほどね。確かに、その想像も必要。でも一番欲しいのは、転移する地点ね。その場所を鮮明に想像しないと発動できない。正確に記憶してたほうが、あらぬ位置に転移しなくて済むけど。基本的には少し曖昧でも、大概は調節が利く。便利なようで不便な魔法だけど……」
「でもそうなると、私と仁也は王城の場所も風景もわからないから、使えないよ?」
「あ、確かに」
優花の言う通りだ。
俺たちが鮮明にイメージできるのは、このスダキリ山と神界にあるパンテラの白い部屋だけ。
だから転移場所の王都を知ってるのは、唯一サリスだけ。
「じゃあ、三人一緒に転移すればいける。残念男とは嫌だけど……そうと決まれば早速!」
意を決したようにサリスに誘導される。またなにか言われないようにと、手に汗を握りながら、俺は優花と横に並んだ。
位置の確認を済ませたサリスは、左膝を軽く突いて、右手を地面にそっと置く。
一呼吸を挟み、一人分の範囲で純白の魔法陣を展開した。
平面的に有効範囲の指定をする魔法陣は、属性に沿って変色していて、今はまだ魔法が発動できない初期段階だった。
そういえば詠唱もあって、魔法発動に必要な引き金の役割だったっけ。使うか否かで、威力や発動速度に利点と欠点が生まれるとか。
確かほかには、基礎的な発動までの動作とか、魔力の扱い方とか。
自分が思っていたより魔法は複雑で、深掘りはよそう。きりがない。
「【強化魔法・発動 イギンサ・クアリギー・スア】」
元々の詠唱が省略された、概括詠唱が為される。
手始めにサリスが発動させたのは、強化魔法に分類される無属性魔法、かな。人や物を対象に増強を行えて、イメージに次第で用途は増える便利もの。
サリスが対象として選んだのは魔法陣だから、数や耐久性に対しての増強や、対象自体に備わる性能の向上をしてくれる。
でも、三人纏めての転移なら、たぶん一番重要なはずなのは、発動者のイメージでの調節・選択。
実際、俺たちも範囲内に収まる程度に拡大された。
ここら辺の知識には、時代錯誤がなさそう。
確認の意味合いで簡単に振り返っていると、魔法陣の純白が濁り出し、無属性を示す淡灰色に変化する。
「【空間魔法・発動 テグレグ・ポロートロ】」
簡略的な詠唱に魔法陣は反応して、眩く発光を始めた。
足下の魔法陣からは目には見えないが、溢れ出る魔力が、じわじわと感じる。やがて、魔法陣はゆっくりと動き出すと、俺たちの体は魔法陣に飲み込まれていく。
俺は一瞬だけ目を閉じてしまったが、気付いた頃には違う風景を目にしていた。
「…え?」
「なっ…」
「嘘でしょ……」
◇
ついに動き出す。我の、グロマによる、計画。
ついに始まる、世界の崩壊――その序章。
全ては、欲が招いた。
暗闇の世界に、野太い声が反響する。中央に一つ、光芒が差し込んでいた。
頭巾を被り、外套を身に纏う人物。
「……アオハラジンヤ。君も彼の力量を次の機会で試してこい。興味、あるんだろう?」
「ハヒヒヒ……もちろんですとも。ワタクシはそういうのが大好きでたまらないの……」
機械的かつ奇妙に声を発する。
「そうか。良いことだ。君以外の実行組たちにも、伝達を頼んだ。計画推進のため重要だ」
「お任せあれ。首領様」
「うむ、実行組がすべて用を済ませれば、あとは地獄の狂乱あるのみ……――行け」
「御意――」
その一言を最後に、忽然と姿を消した。
誰の姿もなければ人影もない光芒の中、照らされるは塵や埃、暗闇へ直線状に敷かれた血紅の絨毯。
闇に暗ませる声の主は、溜め息を零した。
再度、野太い声が静寂を破る。
我々はなぜ、報われなかったのか。この世界が憎いと思ってきた。
欲を満たそうとする人間も、神も。腹立つ。
我にとっては今、始動した計画そのものが、世界の歩む道の分岐点だと思っている。
少年、アオハラジンヤという人間がどう思考しようと、我の計画から逃れようとも、常に問題の渦中にいるであろう。
まあ、彼自身のせいでもある。無知は罪だ。
これら全てが彼に与えられた《宿命》であり、《運命》もまた――彼の手を引き導くであろう。
暗闇世界に淡々と吐露し、狂喜乱舞。高らかに笑い声を上げた。
「さて……どうなるかな。アオハラジンヤは――」
この発言を皮切りに、静寂は息を吹き返した。
◇
「これ、どうなってんの……?」
「サリス……これ、大丈夫なの?」
「わ、わからない、わからない……!」
サリスはただ『わからない』と、ひたすらに頭を抱えて蹲り、悲嘆の声を上げる。
俺はその姿を見て、この場から動こうと――行動を起こそうと――、奮い立たせようとした。
でも、体は石化したように微動だにしない。ただ、震えている。
俺は頭の中だけだったのか。威勢がいいだけだったのか。そうやって自責の念に駆られた。
恐怖に心が侵食される。勇気が一切の抵抗も示さない。
「なんで……なんで……準備は完璧だったはずなのに! なんで、なんで、突破されてるの……城門が! しかも、こんなことしなくてよかったでしょ! 周辺の都民は関係ないでしょ! なんでよ!」
「そんな……」
混乱するサリスに近寄り、背中をさする優花。その顔には、恐怖の二文字を浮かばせるような、怯えた表情が時折垣間見える。
本人はきっと、無理にでも冷静を取り繕っているのかもしれない。
「どうして……」
俺は地獄を見ている。王城の城門前は、地獄絵図を描かれていた。