第十一話 聞いてください
◇
恐怖、悔い、苦痛――。混同したような表情を浮かべ、胸を押さえつけ、言葉を詰まらせながら言い開く。
「実は……交渉がしたい。パンテラ様の眷属様と」
「「え?」」
不意を突かれたような、衝撃的な発言だった。
重要視すべきは、認知の問題。
日が浅い以前に、一日すら経過していない。だから現状、サリスはただの人間として、俺たちと接しているはずだ。
とりあえず今は、優先順位でサリスの事情を聞き入れる。
「ここルーメン王国は、パンテラ様あっての国。交わされた契りで、国王は一年に一度、パンテラ様との意見交換が許可されてる。それでいつの日か、パンテラ様が『スダキリ山に眷属が来るから、よろしく』。って発言した情報が出回ってたわ。真偽はわからないけど、それに賭ける必要がある。王国の政治的内情が芳しくない。火種はもう発火してる。正直なところ、強力な戦闘経験者でも構わない。とにかく私は、二人のような協力者を連れて、王城に潜入しなきゃいけないのよ……」
なんだよパンテラ。嘘かどうかはともかく、噂されてるってどういうこっちゃ。
内密だの、世界に公表していないとか、どうのこうの言ってたけど。大丈夫かなぁ。
それに王城に潜入って、気が臭い話だ。
サリスの服装は軍服だと言われて違和感はない。潜入と聞かされ、憶えのないデザインの軍服も相まって、偽物の可能性を考えた。けど、変装とは言い難い。
一連の話も嘘には聞こえない。仕草は自然体。挙動不審でもなければ、そもそも俺たちの正体を知られてない、はず。実際そんな様子だし、騙される理由が見当たらない。空星の一件と違って、不可解な点は、今のところない気がする。
大雑把なパンテラなら、あり得る話だし。
「まあ。というわけなんだけど。結局出会ったのは、それはそれはとても可愛い優花と、《残念男》だけなの。それも気の利かない残念男」
「『残念男』……確かにさぁ。なんの配慮もなく降下したのは、悪いと思ってるよ。でも初対面の相手に、そこまでに言うか? 普通」
「あぁ? 言うべきことは、言うの。当たり前でしょ?」
「世の中、建前と本音ってもんがあるだろ?」
「ふっん。私は、そんなのクソくらえよ。そんなの媚びへつらって、相手の機嫌を損ねたくないだけでしょ。それは人間関係に、一定距離がある場合だけよ」
「だったら、俺らにはまだ溝があるなぁ」
「ふん、そうね。アンタは残念男だから問題ないでしょ」
こういうときの適切な対処って、交友経験大したことない俺は、よく知らん。とりあえず、強気で対抗することしかできない。
「じゃあ、俺だって言うべきことだって判断したら、躊躇わず言ってやるか? 今度は屈さないぞ?」
俺とサリスはお互いを睨んで牽制。いがみ合いに突入する。
「へぇー、いい度胸ね。残念男」
「ちょ、二人とも……!」
早々に、優花が仲裁に入る。
サリスに執拗な対抗意識があるなら、掛かってこいやで継続するつもりだったが、態度をコロッと変えて、俺そっちのけで優花と会話。放置された。
サリス目線でこの状況を例えるなら、ゴミを捨てた後――なんだろうか、悲しい。もう自虐体質になっちゃったか、俺。
「ごめんね優花。こんな奴ほっとこ?」
「さ、サリス」
「うんうん、なぁに?」
「……やめてほしいなって、思うんだけど……。仲直りはダメ、なのかなーって」
思わず敬礼。勇気ある発言、感謝致します優花さん。この青原仁也、粉骨砕身で仲を――
「ほら、優花もあんたが嫌いだってさぁ!」
「おい」
若干、必死そうな様子。なに偽装しとんねん。
「言ってない、言ってない、言ってない。一言も、ひっとことも、言ってない! 俺はこの耳で聞いた」
「いいやッ。残念男に怯えて、本心が言えてないのよ!」「ふ――」
「それは俺のセリフだっての! 思い込み断固反対!」「ふ――」
「ふ、二人ともおおぉぉ!」
「「え……」」
俺たちは硬直した。
今まで主張が小さかった優花は、状況が改善されないことに苛立ちでも覚えたのか。大声を上げた後の顔は、どうも不満げだった。
「二人とも、いがみ合いは良くない」
腕を組んで、一言お説教。はい、その通りです。
「すみませんでした……」
「ご、ごめん。私からお願いしてるのに。話は、本題に戻す……」
「うむ、よろしい」
なんか貫禄あるオジサンっぽい。なに意識したのかは、わからないけど。
「で、サリス。続きを俺たちに話してほしい」
「ふんっ」
「はあ……」
頬を膨らませ、そっぽを向く。話す気はないと言い張っているような、確かな嫌悪。そう受け取ろう。
人に頼む態度じゃないのは、もう仕方がないとして。サリスの社会的立ち位置は、結局わからないまま。
完全にその回答によって、行く末が決まる。
神の眷属は神に匹敵する力を持つ者で、神の守護者。そして建国に携わっている神なら、状況次第で軍事力としても機能する存在。
でも、それほどの権限は俺たちにない。理由は単純。力量と経験不足。そしてなにより、公になっていない。だから、行動を決めるときは慎重になる必要がある。即決とはいかない。
「でも、どうしても助力が必要だから、残念男にも話す」
「はいはい。そうですか」
相変わらずの態度には呆れた。
「――……いや、話します」
と思ったけど、違った。
声が陰に入った。
「話させてください! 聞いてください……! 見たく、ない……もう、人が死ぬところを……」
潤んで涙目になり、掠れ声になりかけた悲痛の叫び。周囲の空気が悲観による絶望に満たされていくように、俺の心に重くのしかかる。息苦しい感覚に襲われた。
重なった、自分と。この異世界に来る前の、俺と同じだった。人が死ぬところを見たくない。
あの瞬間に俺は知った。
本物の絶望。言葉で表すには容易く、力及ばない。
痛感させられる。無力さ、情けなさ、不甲斐なさ、腹立たしさ、辛さ、悔い。押し寄せる波のように、感情が連鎖する。
これを一言に表すなら、未練。
親不孝で、やり残しことばかり。母さんは、きっと喪失感に苛まれる。そう思うと余計に戻りたくなる。
時間経過の流れを、遡る魚のように――帰りたい。
でも、もう帰れない。死が幻想であってほしかった。
だから覚悟を持った。そして、いくら相手に嫌われていようと助けたい。
だが、そう抱くのは俺一人だけじゃなかった。
優花はその深刻さを受け止めるように、繰り返し深く頷き、涙目でそっと包み込むようにサリスを抱き締めた。
「サリス。私たちは大丈夫だから。説得力に欠けるかもしれないけど、私たちの覚悟は決まってる。初対面なんて関係ない。同じ人間なんだから、助け合わないと」
その言葉で慌ただしく目を擦りだすと、晴れ晴れとした笑顔を浮かべる。サリスの表情は和らいだ。
「……ごめん。話の本題を切り出すのが下手で。今は時間がないから、優花と残念男を信じる」
「ありがとう。サリス」
「なんか、俺は釈然としないけど」
「まあまあ、初対面だから。慣れてくれば、二人のわだかまりも自然と消えるよ」
「「いやいや。無理」」」
思わぬ声の重なりに、見合う。
「ほら、息ピッタリ。初対面とは思えない。兄妹だったりして?」
「冗談にしては現実味ないって……」
「そうよ優花。へ、変な冗談はやめてぇ!」
言葉を一瞬だけ詰まらせながら動揺するサリスは、即座に否定を貫いた。
どこか悲観的に聞こえたのは気のせいだろうか。
「と、とにかく、冗談は抜きにして――。まず始めに、私はゴブリンから助けてくれた二人を信用していると、改めて明言するわ。もちろん、信頼もしてる。残念男は一度でも変なことしたら、即失墜ね」
え、怖っ。
「でも、術を持つ私を助けるなんて、根っからの善人だってわかるわ。普通、だれも助けてくれない。たとえ、縋る思いで助けを求めても」
「いや、さすがにあの要求を無視できる人なんて、一度会ってみたいくらいだ」
「でも、それが現実だって。二人ともわかってるでしょ?」
「そ、そうだね」
「あ、あぁ……うん」
細々としたことはわからないが、中にはそういう人もいるということか。
神界で読破させられた書物には、歴史を深掘りしていくようなことは書いていなかった。
聖域までの道のりにおいて、程々の知識量でいいと、パンテラたちが判断したのかもしれない。
あくまで、簡潔に歴史を振り返る程度。それが正しいかと問われ、是非のどちらかを選択しても、断言はできない。
前時代の思想というか、異世界での物の見方や捉え方、価値観の変化については、今のところよくわかっていない。
挙げるだけきりがないほど、みんなが不安定なのは理解できる。きっと社会にも影響するし、その逆のほうが多いかもしれない。もしくは、その両方が一番適切なのかもしれない。
そう思いたいけど、それじゃパンテラの言ってたことが嘘になる。サリスの発言からもあり得ないか。
ただ、本は書き記したものだから、当然それ相応の時間が止まるはずもなく、経過している。なにかしら、変化はあるはず。
サリスの言う普通や現実が、異世界の現代における、物の見方や捉え方なのかもしれない。――いや、個人の見解か。
でも、今は話が違う。
俺は勝手に進展してしまった情報を、頭の片隅に追いやった。
そのあと、一つの疑問が頭をよぎった。
意思表示のため、挙手する。
「残念男からの質問。きっと、話すつもりだったと思うんだけど、サリスはなんでゴブリンに襲われてたの?」
吹っ切れ、毒されたように自分を「残念男」呼ばわりし、疑問をありのまま訊く。我ながら呆れる。
この質問が、サリスの気に障るかどうかはわからないが、今までゴブリンに襲われるきっかけに、微塵も疑問視していなかった。
「ふっん……! 本当は答えるつもりないけど、そんなことしたら優花が悲しむし、私も困るし。さっきから私のせいで、話が脱線しすぎてるから……妥協して答えてあげる」
「サリス、ありがとう。私のこと考えてくれて。できれば、もうちょっと仁也に優しくしてもいいじゃって、思うんだけど。そこら辺は……」
「優花の頼みだけど、それは無理」
ちょっと上げて、一気に落とした――慣れは怖いな。
「で、質問の回答なんだけど……、これに関しては私が悪い。次で話すことに関係するんだけど、私がゴブリンに襲われた理由って、整備された山道を通らずに入山したことね。それで出くわしちゃって、こっちは時間が惜しいっていうのに」
「え、じゃあ、今からもう行動したほうが……」
一瞬のうちに慌てだす優花を、どうにか落ち着かせるサリス。
「って言っても、確保した時間はそれなりにあるわ。余裕があるは嘘になるけど、時間を割く必要性は充分にある。状況把握もないままは悪化を招くし、行動に支障が出る。内容的にも、移動しながらの説明は難しい。国家存亡の危機を回避するためにも、絶対に欠かせない」
「危機……」
「どういう状況になってるんだ? それ」
軍服っぽい服装や国家存亡、軍事力に成り得る神の眷属捜索。もう並ぶ単語だけで想像できるのモノは、怖ろしい。憶えのある別の恐怖も隠れている。
異世界と元いた世界は勝手が違う。そう理解したとしても、あのゴブリンと戦った後だからか。この世界への恐怖を、精神に植え付けられた気がして、より一層に負の感情が煽られる。
「それがさっき言ってた、『反乱軍』かな?」
「そう。十年前の内戦が原因で、今の王政に反対する元貴族や保有する兵士。殺傷経験のある罪人と、一部冒険者で構成された反乱軍」
内戦――。なにからなにまで、俺の送っていた生活が安全だったかがわかる。
記憶上、本に記された歴史に、ルーメン王国の内戦は存在していない。ということは、少なくとも神界の書物は十一年前。分厚い歴史書だし、中々発行はされないか。
「あの、サリス。十年前の内戦って……?」
「ごめん。俺も教えてほしい」
「あっ、つい。認知してる前提で――じゃ、じゃあ、先に話すことにすわ。……十年前の内戦の、顛末を」
そう言うサリス自身と、放たれた言葉は――怯えていた。