第九話 選択
不意を突く攻撃――下段から迫る錆びついた剣。
反射的に後方宙返りで避けた。
目で追い、間髪入れずに再び仕掛けにくる。
すぐさま、なまくらの剣筋を予測。着地前に神剣を地面へ突き刺し、それを支えに空中で停止。
鈍く見えるゴブリンと剣の速度。案の定、弧を描いて神剣と火花を散らし、甲高い音を響かせる。ゴブリンは剣を振り切れずに動作が止まり、なまくらは折れた。
その出来事を合図に、手首を捻った。起き上がるようにのけ反り、剣を抜き取りつつ、空中でゴブリンの頭上を越え、背後に着地。
振り返って間合いを詰め、左から横に振るった剣は、ゴブリンの首を難なく撥ねる。
切断面からは青紫の噴水が、数メートル上へ噴き上がった。
「危ねぇ……」
恐怖で胸が締め上げられる感覚。
息を荒げつつも、軽く地面を蹴って、優花たちのほうへ下がった。
さっきと位置が変わっていた。頃合いを見て近付いたみたいだけど、まだ大事を取る必要がある。余裕の一文字もない。
「優花! もっと下がって!」
横目ながら優花と視線を合わせる程度。頷き合う余裕もない。
木陰に戻って隠れ、距離を保つ二人を横目で確認し終える。その隙を突くように、正面から小型のゴブリンが迫ってきた。
それも不可解なことに、切断された首は修復中で、行動しているゴブリンはその一体のみ。あとは、電池のない玩具みたいに動かない。
相変わらずの醜い顔だったが、体格に違和感があった。
少し大きくなったような――。
「それでも……!」
『ガッアァ!』
ちょっとした違和感を気に留めるも、接触の瞬間を見計らい、軽く二メートルほど跳躍。前方宙返りの最中、ゴブリンの頭上に達する。落下しつつも、体を右に捻じらせて、無防備な背後を左上がりに斬り込んだ。
大量出血を起こし、俺は着地に失敗。盛大に砂埃が舞った。
『ガアッ……――』
軽く咳き込みながらも、違和感を確認するため、ゴブリンの体をある程度分析する。
与えた攻撃は肩を出発点に、背中を横断し、右の横腹が終点の巨大な傷だった。
それが致命傷となったのか、抜け殻のようになって倒れた。体はピクリとも動かない。
見受ける変化でいえば、図体と武器の大きさ。伴うように、それとなく大きくなっている気がする。まだ些細な変化だけど、今みたいに繰り返されたら面倒だ。
起き上がる時間はわからないけど、小さい体からすれば大きな被害のはず。
ただ、これに慣れちゃいけない。
これを機に倫理観とか、心の大切さを忘れずにいたい。殺人鬼のようにはなりたくないから。
「え?」
青紫の血溜まりで、うつ伏せに倒れている小型ゴブリン。全身が小刻みに振動する。
顔も見える位置で様子を窺えば、下がっていく幕のように目が充血する。
それを発端に振動回数を増やし、瞬間的に残像と化すと、数メートル空中へ飛躍していた。
「まずっ――」
行動に移せない。無理だ。
少し先の未来に覚悟するが、ゴブリンが着地後に向かっていったのは、動かない仲間の元。体を左右に捻じらせる、気味の悪い走り方。それでいて驚異的な脚力。
俺に目もくれることなく、攻撃の一つもない。
「再生した?」
にしては、傷口は塞がっていない。首を撥ねたときは、元に戻りかけていた。
そもそも、体を修復できるゴブリンなんて知らない。神界の書物にそんな記述はなかった。
これも特殊たる所以なのかもしれない。だったら、対処法なり載せておいてほしいものだけど。
現状、不安要素しか存在しないし、不都合もある。けど、好都合でもある。仲間に注意が引いているうちに脱出できる。
この機会を無駄にしないためにも、優花たちの元へ向かう前に、改めて横目で安全を確認する。
未だゴブリンは、仲間の元に向かっている。
思わず安堵の息を漏らし、俺は背を向ける。
とりあえず、剣に付いた血を落としたが――
『ギャアアアアァァァァ』
奇声。
またかと思いつつも、念のため振り返った。
「え……」
到着した小型ゴブリンは、大型ゴブリンの肩に乗り、空へ何度も金切り声を上げている。
それがどういう意味を持つのか。俺にはわからなかったけど、予測のつかない行動に身構えしないわけにもいかず、剣を構えた。
興奮状態に陥っているゴブリンは、足元の隆々とした肩の肉に食らいつく。口元やその周辺へと、青紫の血と肉を、派手に食い散らかす。食欲は収まることを知らない。
それは遠目でもわかる衝撃的な光景だ。同族を食らうゴブリン。
「と、共食い……」
行動に予測がつかない。これに尽きる。
理由なんて知ったこっちゃないが、やっぱり武装じゃない。
奇行を続けるゴブリンに、確かな違和感と恐怖を覚えつつ、後ろにいる優花たちの元へ急いだ。
到着すると、異様な光景に言葉を失う、優花と美少女の姿があった。
「な、なにをやっているの……? あのゴブリン」
優花が震えた声でそう言う。
この異世界も元いた世界と同じ節理。弱肉強食。
だけど、魔獣・魔物は子孫繁栄の概念はない。異質な存在であり自然の例外。
目撃例には、地面から湧き出るように出現したのを見た、というのは数多くある。
生態は不明。明らかに魔獣・魔物は、自然の節理に沿っていない。
本で知識を得ても、すべてが現実にあるとは限らない。
ましてや今、俺たちが目にしているのは、書物に載ってもいない。
「優花、とりあえず逃げよう。あと――あなたも」
「う、うん。そうだね。行こ?」
「は、はい……」
困惑する優花を呼び戻し、助けた美少女にも協力を求めた。
魔獣・魔物がこの世界にいる根本的な理由すらわからない。
異世界の住人すらわからない難題を、俺たちが解けるはずもなく。
俺は以前より強くなった。そう思いつつも、安易にうまくいくとは思ってない。実際証明されてる。精神的にも。
だから俺は、現時点での最善。逃げることを選ぶ。今より未来が大事だ。
「じゃ、二人とも俺に掴まって」
「え!?」
「……っ!」
助けた美少女と優花を、俺の近くへ引き寄せた。余裕がないので、少し強引になってしまった。この際許してほしいけど。
「ごめん、二人とも。事態が事態だから」
「いや、うん……大丈夫」
「……大丈夫です」
そっぽを向いて返答する優花に、素っ気ない美少女。
若干、優花が気になったが頭の片隅に追いやった。
「よし。今から三人で飛ぶ。当然、二人が投げ出されないように、細心の注意は払う」
「飛ぶ?」
「……え」
「一刻を争うから、ちょっと無理してもらうけど、背中に一人、あとは左手で抱える。身体強化は済んでるから、たぶん、落ちないと思う。仮に落ちても、俺がなんとかする」
「え……?」
「……ウソ」
話し合いなど挟むことなく、優花を背負い、美少女を抱える。
少々手荒だが、本当に許してほしい。
俺は最後に安全確認のため、一瞬だけゴブリンの様子を確認すると――。
『グガアアァァァァ!!』
「なっ!」
「仁也、あの大きさって――!」
奇行に走っていた小型ゴブリンは、腰程度の背丈しかなかったはずが、いつの間にか俺の身長を超している。推定三メートルくらい。武装していた鎧や剣も、それに見合って巨大化している。
魔力によるものか。
『グガァァァァ! クッテヤルッ!!』
変化は外見だけに止まらなかった。
行動は突撃一択。真正面から高速で迫ってくる。
その姿はまるで、巨大な餓鬼。巨体ゆえの大きな歩幅は、俺たちとの間にある距離を、軽々と詰めていく。
迫るくる危険に焦りながらも、右手の神剣を足元に振り下ろした。
「【爆風】」
調節テキトーに発動。パーセンテージでいえば、四十パーセントくらい。
足元へ解き放ち、爆発とともに膝を曲げて、地面を蹴る。
初動から持続している身体強化の潜在能力を、改めて活用する。
爆発による風圧と、その強化された脚力で一気に上空へ飛躍。
木の頂点は、足元の遥か下に確認でき、周囲を一望できる。
「じ、仁也。早く……私、こういうの不慣れで……。我慢したいのは山々だけど。長くはもたない、かも」
「ごめん! とにかく、この地点からは移動する。あ、あなたも大丈夫ですか?」
「え、えぇ……お願いします」
美少女の反応は、若干の動揺か恐怖か。発した声が震えていたが、基本的に冷静沈着。適当に取り繕ってるだけかもしれないけど。
「じゃ、二人とも振り落とされないように! 俺も気を付けるけど!」
括れを捻じって後ろを向き、神剣の特異能力を発動させた。
「【爆風】」
「キャッ……!」「……ッ!」
発動させた爆風の風圧を利用。背中を先頭に風を切り、耐空性を辛うじて維持させながら、発動を繰り返して飛翔する。
優花たちには我慢してもらいたいけど、確かに長時間ってわけにもいかない。
魔力使用過多で、気力と体力が尽きる前に地上へ下りたい。
しばらくは離陸地点から目測で距離を判断して、降下場所を探索しながら、高度をある程度維持し続けた。
脱出後から特にこれといった事もなく。あまり地上を目視する気にはならない。行動理念が本能のゴブリンは、いくら巨体だろうと、俺たちを追跡しようものなら直線距離で来るはず。
現状、森に変化はない。木々を薙ぎ倒してまで追跡してきてない。巨体が裏目に出た結果か。
すでに平地は見えない。もう十分の距離を移動しているはずだ。
不測の事態で必要な力を、ここで長く消費するわけにもいかない。優花たちのこともある。
「に、逃れたっぽいな……。そろそろ地上に下りるか」
「え、下りるの? 大丈夫?」
優花から飛ぶ心配の声。ごめん、頼りなくて。
「うん。濁して悪いんだけど、たぶん大丈夫だと思う」
「その不安要素しかない『大丈夫』……」
「と、とにかく目を閉じて。 あ、あなたも――」
「大丈夫、平気」
強気――じゃなくて、高所でも平気ってことかな。
「……あ、はい」
なぜか自然と下手になった俺は、優花に不安を与えたことを申し訳なく思いつつ、着陸態勢に入る。
ちょうど真下の地点なら悪くない。
最後に一回、特異能力で速度を勢いづかせ、落下する前に身体を仰向けにして――
「じんやぁ。怖い、怖い、怖い、怖い、怖い怖い怖い――」「今は耐えてほしい!」
「【爆風】」
重力と爆風の風圧で、地上に向かって方向転換。
空中で体勢は半回転して、仰向け前の体勢へ強制的に戻され、降下する。
一瞬――
特異能力を離陸時より多くなるよう意識し、五十パーセントで発動。
地面に放って爆発に伴う爆風は、俺たち三人を覆うほどの、広まった範囲で発生。
竜巻状にはならず、砂埃を舞い上げて、体を打ちつける盛大な着地。濃い砂埃で状況把握ができていない。俺が仰向けだということくらい。
身体強化が施され、痛覚の知らせはないため、余裕があった。爆風をクッションにしたおかげでもある。
ただ、正直言って予想外。単体攻撃の割には範囲攻撃に近い。段階的な能力。一直線を維持しているけど、直線状の範囲が広い。二人、いや三人以上は入る範囲だった。
とりあえず、無茶でも過程がどうであれ、おそらく無事に着地できたはずだ。
「ゴホッ……二人は大丈夫かな……?」
着地した瞬間は、思わず目を瞑ってよくわからなかったが、衝撃で二人が放り出されてしまった。完全な緩和ができていなかった。
砂埃は十数秒ほどで消えだし、隣にはまだ意識のない優花の姿があった。息は問題ない。
とりあえず、目を覚ますまで待つことに。
起きてくれるといいけど、怖い。
「にしても……こんなことになるのか……」
地形の状況に視線を落とす。与えられた力の怖ろしさを実感した。
広範囲がひび割れ、クレーターのように削られ、威力を物語っている。
「これは――場所を考えて使わないと。まだ自分の力にできてないし。暴走するのは避けたいな」
今はまだ、この力を扱い切れてないけど、頼りがいがある。単体攻撃は範囲攻撃より魔力量は少ない。だけど、着地の瞬間を振り返って今気付いた。
異世界に来てから、魔力に長時間触れているからか、ようやく感覚的に理解ができている。
単体攻撃は、魔力と物理的な風圧を発動させるうえに、一定方向に放つことができる。圧縮されて威力が増し、無駄がないから効果が劣らない。範囲攻撃は爆発も魔力で発生させているから違う。大体十パーセントごとに変化して、五十パーセントが境目かな。
「――ここは? ゲホッ、ゲホッ……」
「あっ、優花」
特異能力の情報整理に入り浸る俺は、優花の目覚めで呼び戻された。
目を擦りながら早々、眉をひそめて周囲を見渡す。眩しいのかな。
「あれ、あの子は?」
「え?」
「ほら。私たちと同い年くらいの」
「言われてみれば……」
そうだ。目を覚ましてほしい一心で、つい疎かだった。にしても、どこにも見当たらないなんてことがあるのか。
あ、まさか――俺が遠くまで吹っ飛ばしたのか。
「まずい。俺なら、全然あり得るッ」
頭の中が搔き乱されるような感覚に陥り、どうしようかと深く悩む矢先、背筋が凍った。後ろに気配を感じる。
「うっ……!」
気付いたときには、もう遅かった。
顔が見れず、誰かわからない。両腕ごと掴まれて拘束され、俺の首元になにかを突きつけられた。
恐らく、ナイフかなにか。短剣のはず。
目の前にいる優花は、絶句したまま。行動の一つもできない。
これまた予想外だ。
まさか、人質にされるなんて。