第八話 再生
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これが不条理――、そう突きつけられたみたいだ。
俺がこれから相手にしようとしているのは、人殺しもする魔物。
もし俺が小型ゴブリンを狙って攻撃したところで、頭上は大型ゴブリンの格好の的。逆に、大型ゴブリンにでも仕掛ければ、小型ゴブリンの奇襲に遭う。
そもそも一対複数の時点で、勝ち目があるとは言えない状況。
それに、武装は外見的特徴以外に、一定の知能もある。
現に窺っているかのように、下手な攻撃を仕掛けてこない。
だけど、人間ほどとはいえない。おおよそは本能的なもの。警戒心もあるはずだ。
連携の取れる集団であり、同族とはいえ、本能由来の知能と感情だけであって、そのアドバンテージが活かせない。
連携は取らず、ある意味は単独――といっても、明らかな数的不利。本当は背を見せてでも、逃げたいくらいに怖い。
「今はもう、パンテラを信じるしかないのに……」
どうしても踏み出せずにいた。
ひとまず一歩は――と、片足を上げたが、ゴブリンたちは痺れを切らしたのか。
突然、怒号のような声を上げると、容赦なくこちらへ突撃してくる。
先手に出た。まだ時間と距離はある。
混乱と冷静という奇妙な心境の中で、模索した。俺自身が最も気圧されているのは、多勢に無勢な状況。一気に個体数を減らして、数的不利を解消するほかない。そう結論付けるしかなかった。
もう対峙した以上は、後戻りできない。
「やるしかない……!」
柄に手を掛け、剣を抜く。構えて早々に前方のゴブリンへ、俺も距離を詰める。
と同時に、潜在能力の身体強化を発動。その体で地面を軽く蹴り上げ、空中を飛躍。
周囲の木々を越えて急上昇。目測地上十メートルほどまで到達。体を捻って空中で百八十度、逆さの体勢に変える。地上に顔を向け、重力に身を任せた急降下。
神剣に注ぎ込む魔力は、空気中から収集し、自分の限界を知る意味で最大限の量。
胴を右に捻じらせ、剣を振りかざす。
残像の風景、着地の瞬間。
「【爆風】」
地面へ振り下ろし、神剣は瑠璃色に輝く。剣身から魔力によって爆発を起こし、魔力で生み出された複数の風の刃が、広範囲に渡って頭上で高速回転。
木々を薙ぎ倒しつつ爆風を物理的に包囲し、魔力を織り交ぜて、小さく一点になるまで凝縮。爆風を竜巻状にして解き放った。
地面の土砂は次々と削られ、浮いたところを攫われていく。
竜巻は天を衝く勢いで、上空と周囲へさらに巨大化。風の刃は数を増やしていった。
まるで成長期、大量の魔力を必要とし、空気中から吸収した直後に消費していく。
『『『ギャアアアアァァァ』』』
ゴブリンは四方八方から、風の刃に切り刻まれる。発動者の俺だけ、悪影響はない。
荒れ狂う周辺と違って、変化といえば髪が激しく逆立ちするだけの、些細な程度。
特異能力は、神界で魔法と同時並行で慣れようとして、少量で魔力の調節を試行錯誤していたが、感覚が掴めている。
メイド二人は確か、元々適性があるのかも。と、ティーカップ啜りながら、休憩タイムを邪魔した腹いせに、他人事のように言われたっけ。
そのときは一直線上の攻撃で、及ぶ範囲は狭かったな。しかも、今と違って吹き飛ばされたっけ。
でも今、俺はまた一つ見出すことができた。
今回のような場では適さない単体攻撃じゃなく、さっきは広範囲だった。
魔力の量によって、攻撃形態が変わるみたいだ。
少量は単体攻撃。最大で成長する範囲攻撃。調節に慣れれば、選択肢が増えるかも。
湧き上がる興奮に胸躍らせるが、竜巻状の爆風に異変を感じ、範囲内から抜け出して退いた。
異変の正体は特異能力。ある程度時間が経過し、消失寸前だった。
単純に考え込みすぎて、魔力に対する意識が薄れていた。まだ慣れていないせいあっての出来事だけど、様子見も含めればちょうどよかった。
上空からは、体の一部や大量の鮮血、土砂が一緒くたに降り注ぐ。
血は人間と違って青紫色。血に染まった土砂と無数の血溜まりは、生々しい光景だった。
そしてどうにも、罪意識があった。人でなくても、殺しをしている。
俺にはきっと、覚悟が足りていない。手を血で染める覚悟。命を懸けでも戦う覚悟――まだ完全ではないと思う。向き合うだけで、心が張り裂けそうになる。
だけど、それが現実だってわかってはいる。
不条理に続いて、突き付けられた現実だった。
ゴブリンは今もなお、森の奥から十数匹ほどやってくる。
「あれ? 巻き込まれてないよな?」
次なる攻撃と意識を向けようとしたとき、ふと自分の愚かさを悟り、優花たちの安否が心配になった。
正直、そこら辺は考えもなしに、特異能力を使ってしまった。
周囲を見渡して来た道へ引き返すと、付近の木陰に羽織物で身を隠し、怪我なく座っていた。
なんとか範囲外だった。
俺は胸を撫で下ろして、優花たちの元へ。
さっき興奮してた自分には、クソくらえだ。危うく優花たちも巻き込むところだった。なにも喜べない反省点だ。
「優花、ごめん。無事?」
「うん。二人とも大丈夫」
「よ、よかった……あっ、そうだ脱出しよう。ゴブリンはある程度倒したし、今は距離がある」
優花は二つ返事で納得してくれた。
一刻も早く脱出したいが、優花の背後から妙な視線を感じる。
助けたあの美少女。優花には友好的なのか、小さく肩を掴んでいる。二人の間に距離はまったく感じない。
が、なぜか俺には警戒心剥き出しだ。
鋭い視線が突き刺さる。
「仁也、来たよ!」
唐突に叫び、俺の背後を指した。
「え?」
反射的に振り向き、神剣を構えて、自然と臨戦態勢に入る。
正面で錆び付いた剣を振りかざし、突撃するゴブリンの姿があった。さっき森から新たにきたやつか。
誰一人犠牲は出さない。助けた美少女はもちろん、俺たちもだ。
とにかく今は、優花たちとの距離を保たなくちゃいけない。戦える俺に注意が向くよう、詰められる前に対処する必要がある。
俺は地面を蹴り、平地の中央を駆け抜ける。
距離を一気に詰め、深く膝を曲げて飛躍。
頭上から脳天を柄頭で叩き、ゴブリンの正面へ着地と同時に、首へと斬り込んで撥ねた。
最初にわずかな感触を覚えたきり、以降からはまるで軽かった。それはただ怖ろしい。首が宙を舞うのは横目で確認した。
が、これを引き金に、ゴブリンの行動は活発になった。
背後に回り込んでの奇襲や、小柄な体型を活かした素早い動きで、俺への突撃を行う。
剣を交えるたびに火花が散り、鼓膜を刺すような鋭い金属音が鳴り響く。
常時発動中の潜在能力と、魔力調節による特異能力を組み合わせて、血路を繰り返し見出していく。
だが、粗いだろう俺の動作は、四方八方から絶え間ないゴブリンの攻撃を、難なく許す。完全なる数の暴力を受けた。
それでもなお、正面に入ったゴブリンの首筋に、剣を振るった。
一心不乱で、空中に剣の大波や半円を描いては、松の葉の首を地面へ落としていく。一瞬にして終わっていくようで、長時間の出来事のように思える。
ただ俺は、細くもあり太くもある首だけを念頭に、高速の世界にいたのは間違いなかった。
気付けば跪くように着地し、正面は森。背後はゴブリンの集団と位置関係は換わっていた。
優花たちが付近におり、俺の下手な立ち回りが、自分の力不足を象徴していた。
確かな焦りと最悪の事態を想定した恐怖で、俺は大声を上げる。
しかし、注意は俺へ向けられたままだった。呼吸を整えている様子に見えた。俺に拘る理由はないはず。むしろ、近くのサリスや優花を襲うほうが、可能性としてあり得た。が、実際は違う。
都合がいいのは確かだったけど、不可解で予想外だった。
「どうするか……」
ある程度生まれた互いの距離は、次なる一手に対する警戒に、攻撃の機会を探させる。
ただ、俺は途中から思考が保てなくなった。
感覚的な記憶を掘り返しては、動悸が激しくなる。恐怖からか、激痛からか、体力の限界なのか。俺の手元は震え、今にも青紫の鮮血で染まりそうになっていた。
これが、殺すということ。ゴブリンであれ同じ。
肉体を断ち切るのは、あまりにも容易く、視界を流れる情景のように過ぎてゆく。まさしく一瞬で、命は儚すぎる。
『ギャアアァァッ!』
観察して気の緩みを察知したのか。ゴブリンは先手を仕掛け、俺は対応する。
それからも、ゴブリンの山猿のような奇声は止まず、なまくらを往なし、武器を持たずに拳を突き出されては、斬って反撃に徹した。
足元は徐々にぬかるんでいく。視界の端に時々入る、血溜まりで溢れた地面。
今や、なまくらでさえ怖ろしい。血の噴き出す姿に吐き気を感じるも、自分と優花たちを守るために、剣を振り下ろした。
眷属化のおかげで、体力的な疲労はないけど、四肢や胴、頭部。視覚で一切を確認する余裕はないが、全身が痛覚の働きで騒がしい。精神的に参ったことで鈍って、相手の攻撃を掠めたりしている。
ただ、深手を負っていないことが幸いだった。
俺の目の前のすべては、現実としか言いようがない。時々俺の視界は、青紫ではなく鮮血一色に染まったりする。
幻想だったはずの世界が現実で、現実だったはずの世界が今や――、遠い非現実。
これが戦うということ。
この最中で、わずかながら理解した。だからこそ、ここで気を緩めたりはできない。相手も殺しに掛かってくる。殺るしかないんだ。
自分がここに、立っていられるように。
ただ自分自身に言い聞かせ、鼓舞する。
繰り返す動作で足を踏ん張っては、次なる敵へと方向転換を続け、切っ先と血肉を躍らせ続けた。
ゴブリンは途切れる声を響かせ、グロテスクな光景に未だ慣れない中、ふと足が止った。
周囲のゴブリンの配置が、気付けば疎らになっている。二十――いや、十九。
攻撃の手も、嘘のように止んだ。積極性は薄れていった。
数体は攻撃を仕掛けにくるも、体力に限界がきてるのか。はたまた別にあるのか。生気が失ったような、奇妙の一言に尽きる。
まるで本能すら失って、無機質な人形のように棒立ちしている。
戦意喪失、だといいけど。
「仁也、横!」
優花の声で、とっさに横を振り向く。
『グラアアァァァァ!』