第六話 天下る
◇
ふと、鳥の声が聞こえてくる。仰向けになっているのか、背中が地に着いているように感じる。
まだ目は開けられずにいる。好奇心もさることながら、恐怖もある。パンテラの声は聞こえない。
意を決そう。きっと、目を開ければ――。
どうにか勇気を振り絞り、恐る恐る目を開ける。
視界に飛び込んできたのは、木の日傘。そして、隙間から覗かせる空と、浮かぶ雲。
起き上がって周囲を見渡せば、状況の把握は簡単だった。
小鳥が木の枝から飛び立つのが見え、青々とした地面には、背丈の短い草花が疎らに生えている。
俺がいるのは、森の中の小さな丘。
「……異世界、だよな?」
別方向には、広大で長閑な森林。木々の間から見る景色には、巨大な王城や城下町、大蛇のように囲う壁が、遠目でうっすら小さく見える。西洋風にも見えるが、建物の石材は割と豊富そう。王城に限っては、割と遠距離にも関わらず、大規模で鮮やかな色合い。なにかの模様もある。
ていうか、俺どのくらい離れた場所見てるんだろ。眷属化で色々向上したらしいけど。
再び解決できないことで、思考するが、拘ることはなかった。
それにしても、都会暮らしだった俺にとって、緑豊かな景色を目にするは久しぶりだ。自然溢れる光景だったが、見覚えのない城が見えることから、異世界の景色だと実感が湧いてくる。
疑いがないわけじゃない。けど、視界の景色から現実味が増す。
自然との触れ合いが、異世界ながら妙に心地いいと思う。
暖かい風が吹き、緩やかな斜面で、邪魔にならないほどの草花。寝そべるのに、いいあんばい。
「はあ……もう一回寝たいな……んっ……!」
睡魔に襲われるがままでいると、突然鼻を摘まれては、捻じられた。容赦ない痛みに、眠気なんて吹っ飛んで、生き返るように起き上がる。
前、右、左、右、左――視線を走らせ、やがて背後に行き着いた。
「じんやぁ? いつまで寝てるのかなぁ?」
優花の声と姿。
後ろで手を組み、明らかに表向きと取れる笑顔を見せてきた。
怖いコワイ。目が笑ってない。
「ご、ごめん!」
「ホンット、頭にきちゃう。仁也が寝てる間に、魔獣ってやつに襲われるんだもん。一生懸命守ってる横で、すやすや寝ないでよ」
「ごめん! すみません! そして、ありがとうございます! 優花さん!」
頬を膨らませて腕を組み、そっぽを向く。
ただでさえ、普段から寝坊が目立っていた。
まさか異世界に来てからは、死線の中で一切起きないっていう事態。さすがにそれは、困った体質だ。
たぶん目覚ましさえ鳴れば、起きられたはずなんだけど。まあ、あるわけないし。
もしかしたら、眷属化の影響――パンテラの悪戯かも。
とりあえず、ひたすら謝り続けるしかない。
「ほんとぉぉぉにっ――ごめん!」
「ふーん……」
「いやっ、もうほんっとに! 本当にごめんなさい! 次からは気を付けます!」
冷気を漂わせた視線が向けられる。気のせいだろうか。赤い眼光が、鋭く光ったように見える。
「もう、ほんっとにッ――」
「なーんてねっ。うっそぉ」
「え?」
態度と口調が嘘のように一転。少し意地悪な笑顔で、俺の左頬を人差し指でつつく。
「くっそ、やられたぁ」
差し迫った状況設定は笑えない気もするが、理解してくれると踏んでやったんだろう。とりあえずは、安堵の息をつくことしかできなかった。
「ねえ、それよりさ。この森すごいね。想像してたのと全然違う」
「え? あぁ……ホントだ」
寝ぼけてたうえに、優花のこともあってか。言われて気付いた。
この森には、想像通りの姿形をした木が少数で、大半の木々は異様な姿をしている。
枝や幹に青紫色の線が、血管のように張り巡らされ、頭上にある葉の葉脈も同じ色。
辺りを見渡す限り、奥深くまで、異様な木が続く。
「血管が浮き出てるアフロヘアの人が、頑張ってチアダンスしてるみたい。ちょっと、つついてみようかな? 」
うん。すげえ、全力投球でやってる場面が目に浮かぶ。やってる人は、筋肉でブイブイいわせてる男性がよさそ。太い木の、幹と枝ってことで。
「相変わらず独特っていうか……普段、学校で――っ……ごめん、つい」
何気なく禁忌に触れた自分に、嫌気が差す。
後ろっていう過去を見ないで、前という今や未来を向くことで、ネガティブにならないでほしい。って、優花は思っているのかもしれない。
それに異世界に来たなら、自分の性格どうこう言っている場合じゃ、なくなるのかもしれない。
だからこそ、失言だ。
「気にしなくていいよ。私はもう、空星のことは平気だから。実はね、普段……」
「あ、別に答えなくても……」
「ううん。今から、私の好きで答えるの。今の私はね、仁也くらいにしか見せないかな。仁也しかいないし。というか、人気者で優しくて文武両道――、ある意味人を寄せつけない優等生とか言われてたけど。ただ仮面を被って、学校で偽ってた。本当はちょっとイジリ癖があって、親に言われるほど時折は自他ともに厳しい。そして、だれかと楽しく笑っていたい。そう思ってた……だけ。ごめん。仁也に『気にしない』って言ったの私なのに。私も振り返っちゃった」
何気なく、訊いただけだった。
優花も優花なりに苦労してた。本当の自分を隠してた。
周囲の人間がいつも俺に冷ややかな視線を向けていた理由が、少しわかった気がする。
クラスに留まらないほど、人気者だったからこそ。そして今や、偽りの好意といってもおかしくない空星がいたからこそ、だれにも話しかけてもらえなかったんだ。
そんな状況で、俺は今まで話しかけてたわけで。そんなの、視線がみんな鋭いに決まってる。
やっぱり過去って――影響力は強い。
「ありがとう。話してくれて」
「いいの。平気」
でも、もう。
「――はい、この話は終わりっ。俺はおかげで、死ぬ前に起きた嫌なことなんて、面倒臭くなってる。というかトラウマだから、いちいち考えたくもなくなった。考えても仕方ない。過去の話だし。っていう意味を込めて『気にするな』、『私も気にしない』って励ましてくれたのは、優花だ」
「うん……」
「だから、これからは人間としての優花は、記憶の奥深くに仕舞う。もちろん俺も仕舞う。二人揃って、あの奇抜な神の眷属として、ここに居るんだ。本当の自分のままで居られる、絶好の機会なんだ。この話始めたの俺だから、申し訳ないんだけど……」
親にはただ、申し訳なさが残るが。もう過去に、取り返しがつくものなんてない。
「今までのことは、これで最後にしよう。暗い顔じゃなくて笑顔で過ごしたい。お互い、一番の仲だし」
「……っ……そうだね、ありがとう。そうする。てか、やっぱり優しいじゃん」
「いや、神界では優花に励まされたし。やっぱ、どっちかが落ち込んでるときは、互いに励ますのが当然だと思って、さ」
やばい。自分で言ってて恥ずかしくなってきた。
「そっか。よし。俄然、やる気が出てきた! 仁也、これからどうするの?」
「お、おう……どうするって言われても……」
とはいえ。やる気、元気な優花の疑問はもっとも。
右も左もわからず、ここにいるのは二人だけだ。
収納魔法には図鑑やらなんやら、本が大量に――あ、パンテラのリュック。
そうだ、これだ。目的は聖域だし、必要最低限ものっていえば、あるはず。いや、あってほしい。頼む。パンテラの世話焼きな性格が、また光るかどうか――。
「そうだ。私、リュック確認してみる」
「俺もあるか、見てみる」
二人で収納魔法を発動させ、頼みの綱に賭ける。
収納魔法の収納空間は、異空間と化していて、収納した時点で外部からの影響を一切受けない。
普段の内部では不可侵の性質が働いて、魔力に守られている。
時も経過させないし、時間の概念すら存在しない。まさに絶対不可侵領域、っていっても過言じゃない。
収納空間内から物を取り出す場合、発動者の想像力で自動的に引き寄せられ、出入り口に送還される。イメージは検索機能のような働きで、鮮明じゃなくても引き寄せられる。
しかも、関連性があるものも同時に、魔法陣の入口周辺に集まってくる。
残念なのは、その空間内を直接確認できないことだけ。その代わり、異空間内で自分の手にしているものが、浮かび上がる文字で判別できる。
収納魔法は初歩的な魔法で、一般的に広く使われている魔法。
魔法習得専用の書物にあった内容は――このくらいか。
俺は知識を念頭に置き、リュックを引き寄せては取り出し、手探りで中を確認する。
「あっ。地図あった」
「私も」
「じゃあ俺ので見よう。汚れるの嫌だろうし」
「え?」
「ん?」
大したことを言ったわけでもないのに、なぜか目を丸くして驚かれ、なぜか後ろに振り返ったまま。両手で顔を押さえているようだった。
俺、なんか顔変だったか。変だったのか。変だったのかなぁ!
慌てて手探りで確認するが、特になにもない。どういうこっちゃ。
「あっ……うん。仁也がそう言うんだったら、そうする、よ。うん、そうする。ホント、そうする」
「お、おっけぇ。わ、わかった」
マジでどゆこと。わからん。
唐突な反応に疑問を抱きつつ、その場でしゃがむ。爪先立ちで太腿を机代わりにし、地図を広げて指を縦横無尽に滑らせる。
「……《ルーメン王国地図》、これだけかな?」
「この国にいるのは、俺らもわかってるんだけど……」
情勢関係の本を読んだ俺たちは、この国だけは基本的な詳細は、諸々知っている。
他国に関しては、簡潔に纏められた本しか渡されなかった。多分、機密だのどうのと、政治的理由かもしれない。元高校生の俺には、そこら辺よくわからない。
あとは世界規模の情勢を、神界で読んだだけ。国一つの詳細を知っているのはこのルーメン王国だけ。ただ、書物なので現在と一致するかはまた別の話になる。
「ここじゃない? 《スダキリ山》ってとこの山道。だって、ここからお城が見えるし」
優花が指す方向は、早々に見た王城と城壁のある方角。地図には、《王都ルテラ》と記されている。
この国の中心地。王様のいる場所。ここなら、聖域に架かる橋へ行く方法を、知ることができるかもしれない。それさえ知れば、あとは行動あるのみ。
そうと決まればと、迷うことなく俺たちは、下山を開始した。
意外にも、整備された山道があったので、結構安全だった。
緩やかな蛇行した斜面を下っていく後、異様な山道が現れた。
直線状に木々が伐採され、先まで見通し良好。道端の両側から中心に向かって、若干の盛り上がりがある。見た感じ、先に枝分かれがない一本道だ。
幸いにも、魔獣・魔物にまだ遭遇していない。警戒はしているけど、気配すら感じない。それはそれで逆に、違和感があるし怖い。もしかしたら、安全が前提で作られた道かもしれない。
三百六十度、新しい世界に目を凝らす。異世界の地を踏む、確かな感触を噛み締めて、確実に山を下っていった。
しばらくすると、少し大きな平地に出た。山の中腹辺りなのかわからない。
地図で確認してみると、山の背の真下にできた盆地だった。通った道は、その背に沿って下っている道だった。
地図で見ると、平地は最初の位置から、だいぶ近い。だが、実際は長く歩いていたので、優花と話し合った結果。大事をとって休憩することにした。
「ああ、やっと休める」
「ホント疲れるよねー」
「てか、リュックに水筒もあった。ありがたい」
「ねっ。すごく優しい神様だよ。やっぱり世話好きなのかな?」
「俺もそんな気がする」
何度振り返っても、そう言える。
リュックの中身は地図や水筒のほか、生活に活用する魔法習得のための、魔法書。食用かの有無や、説明が載せられた書物も入っていた。
現状は問題ない。王都まで気が滅入るほどじゃない、はず。けど、眷属化した体でもう疲れるのかあ。パンテラ、個人差あるって言ってたから、その影響かな。二人してだけど。
「ねえ。ところでさ」
「ん?」
「なんか微かに聞こえない?」
「別に」
「ほらノイズ音みたいなのが」
木々の葉音で聞き取りづらいが、優花の言うことだから、音を立てないようにして耳を澄ませる。
――微かに聞こえる、途絶えない音。
近づいてきているのか、木霊しているのか。音による距離の判断は、正確にできない。けど、徐々に鮮明に聞こえてくるのがわかる。
眷属化による、基礎的な能力向上のおかげかもしれない。元の体とは比較できないから、わからないけ――
『ガアァァァァァァ』
「キャアアアアァァァァ――!!」
二つの叫び声が突然、響き渡った。