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馬小屋暮らしのご令嬢  作者: 石動なつめ
第五章 リヒト・ベーテンの夜
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第十話 夢は覚めるからからこそ夢であり


 その声が聞こえたとたんに、ふわり、とアナスタシアの周りにシャボン玉のような光が現れた。

 最初にこの夢の中へ入った時に見たあのシャボン玉だ。

 ひとつ、またひとつ。光りは増えていき、まるで星の光の様に、優しく暗闇を照らし始める。


「今の声……お母様?」


 ふわふわと自分の目の前へ漂ってきた光を見て、アナスタシアは呟いた。

 聞き覚えのある、優しい声だった。誰よりもたくさん聞いた声だった。

 そして――――時折、どうしても聞きたくてたまらなくなるくらい、大好きな声だった。


 アナスタシアは辺りを見回す。けれど、そこに母の姿はない。

 誰もいない、その代わりに。

 シャボン玉のような光がふわりと動き、アナスタシアを導くように、前へと進みだした。


「リヒト・ベーテンの夜……」


 ぽつりと呟く。

 あの声は、もしかしたらただの気のせいだったのかもしれない。

 この夢の世界が与えてくれた、ただの都合の良いものだったかもしれない。

 だけど、そうだとしても。

 アナスタシアは泣きたくなるくらい嬉しかった。

 リヒト・ベーテンの夜に、母はちゃんと帰って来てくれていた。姿は見えなくともちゃんと傍にいてくれたと思えたから。


「お母様……」


 目の奥が熱くなって、アナスタシアは服の袖でごしごしと、慌ててそれを拭った。

 そしてぐっと顔を上げ光を追いかける。

 辺りは黒一色に塗りつぶされて見えない。けれど足は軽かった。

 闇の中を光を追って真っ直ぐにアナスタシアは進む。


 そうしてどのくらい歩いたか分からない。

 けれどしばらくして暗闇は、

 パチン、

 とシャボン玉が弾けるように消え去った。

 目の前が突然明るくなる。


「わあ!」


 眩しさにアナスタシアは思わず、目をぎゅっと閉じる。

 少しして薄っすらと開けると、目の前に広がっていたのは金色の薔薇の咲く綺麗な庭園だった。

 そこからは何やら楽し気な笑い声が聞こえる。どうやらガーデンパーティーを開いている様だった。

 料理の乗ったテーブルを囲んで、大人達が笑い合っている。


「あれは……オーギュスト伯父様とプリメラさんとお父様と……お祖父様?」


 他にも数人いたが、中心にいるのはその四人だ。オーギュスト以外は、先ほど見た時と同じ、若い姿である。

 彼らの間に、先ほどまでの険悪な雰囲気はない。ただ穏やかに笑い合っていた。

 優しくて、暖かくて。明るくて、幸せで。

 そして――――現実ではない光景。ナイトメアが見せた幸せな夢。

 きっとこれが、オーギュストが望んだ世界なのだろう。


「――――……」


 ずっとこの夢の中にいられれば、オーギュストはある意味で幸せでいられるはずだ。

 けれど、そうさせないためにアナスタシアは来たのだ。

 夢は覚めるから夢であり、覚めない夢はどれほどに幸せであっても悪夢と同じだ。

 アナスタシアはぐっと拳を握って、


「オーギュスト伯父様!」


 と腹に力を入れ、声を張り上げ名を呼んだ。

 大きな声だったが、それに反応を見せたのはオーギュストただ一人。他の者達は誰もアナスタシアに気付かない様子だった。


「アナスタシア……?」


 オーギュストはアナスタシアを見て目を瞬いた。

 最初はよく分からないと言った顔だった。

 首を傾げたオーギュストの口が、あれ、と動く。

 それからややあって、彼はハッとした様子で、周囲を見回した。


「ああ、そうか。……そうか、これは……夢だった」


 その呟きがアナスタシアの耳に届く。

 そんなオーギュストに、プリメラは声をかける。


「オーギュスト? どうしたの?」

「…………いや。いいや、何でも、ないんだ」


 オーギュストは首を横に振ると、一度強く目を閉じた。

 それからその場を離れ、アナスタシアの元へとやって来た。

 彼は目の前までくると、しゃがんでアナスタシアと視線を合わせてくれる。


「やあ、アナスタシア。……僕を迎えに来てくれたのかい?」

「はい、オーギュスト伯父様」

「そうか」

「伯父様、ここはとても綺麗な場所ですね」

「フフ、そうだろう? 綺麗で、あたたかくて、優しくて……僕が欲しかったものが詰まってる」


 そう言って、オーギュストはもう一度、自分が今までいた場所を振り返る。

 そこでは変わらず穏やかな光景が続いていた。

 誰もが笑顔で、穏やかで、幸せそうで。

 でも。


「……だけどこれは、夢なんだよなぁ」


 オーギュストは少し震えた声でそう言った。

 

「……ああ、本当に……ずっとここに、いたかったなぁ……」


 名残惜しそうに言って、彼はプリメラやベネディクト達を見つめる。

 そこではベネディクト達に受け入れられたプリメラが、嬉しそうに微笑んでいる。オーギュストを見て手を振っている。

 オーギュストは服の袖で目を拭った。


「……だけどこれは夢だ。僕は夢の君に会いたいんじゃない。例えもういなくても、例え家族に認められなくても、僕は現実にいる君がいい。現実にいる家族がいい」


 微かに声が震えた。けれど、それ以上にはっきりとした意志で、オーギュストは言う。

 そして立ち上がり、アナスタシアを見下ろした。

 その菫色の目には強い光が宿っている。


「僕は起きるよ、アナスタシア。僕を、迎えに来てくれてありがとう」


 オーギュストは笑う。そしてもう一度だけプリメラを見てから、彼は目を閉じた。

 そのとたんにオーギュストから白く強い光が放たれる。

 夢の世界が白く、白く、染まっていく。

 その時アナスタシアの背中に、ふっと誰かの手が触れた。


『――――行ってらっしゃい、私のナーシャ』


 あ、とアナスタシアは目を瞬く。

 それから振り返り、そして――――。


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