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馬小屋暮らしのご令嬢  作者: 石動なつめ
第五章 リヒト・ベーテンの夜
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第九話 家族に認められたい


 気が付いた時には、アナスタシアは薔薇の花が咲く場所に立っていた。

 周りにはふわふわとシャボン玉のような光が浮かんでいる。


「ここがオーギュスト伯父様の夢の中……」


 きょろきょろと辺りを見回しながら、アナスタシアはそう呟く。

 どうやら声は出るらしい。

 以前ホロウの夢と繋がった時は出なかったが、今回は問題ないようだ。恐らくきちんと手順を踏んだかどうかの違いだろう。

 戻ったら聞いてみようと思いながらアナスタシアは、オーギュストを探して歩き出す。


「それにしても夢の中ってどのくらい広いんでしょう」


 さすがに領都と海都くらい距離があったら困る――ような気がする。

 もっとも、夢と現実で時間経過がどう違うかは分からないのだが。

 あちこちに移動する場合は、何か移動手段を見つけるべきだろうか。アナスタシアがそう考えていると、 


「オーギュスト、待ちなさい!」


 という誰かの声が聞こえてきた。

 おや、と思って声の方を向けば、とたんに周囲の景色がぐにゃりと変化する。

 あ、これは酔いそうと思った時には、アナスタシアはレイヴン伯爵家の屋敷のエントランスにいた。

 調度品や屋敷の様子がアナスタシアが知っているよりも新しい。

 アナスタシアが少し驚いていると、その耳に、二人の男性が言い争っている声が飛び込んできた。


「オーギュスト! 待ちなさいと言っている!」

「待ちません! 金色の薔薇を咲かせれば、プリメラとの事を認めて下さるんでしょう! ならば僕は必ず咲かせてみせる!」

「そんな事が出来ると本気で思っているのか!」


 声の主はオーギュストと、彼によく似た容姿の男性――祖父のベネディクトだった。

 どちらもアナスタシアの記憶よりもずっと若い姿をしている。

 ベネディクトはオーギュストの腕を掴み、必死で止めようとしていた。


(これはオーギュスト伯父様の過去の記憶?)


 たぶん、そうだろう。

 夢は自分の記憶からも作られると言われている。実際にホロウの夢はそうだった。

 そんな事を考える彼女の前で、二人の言い争いは悪化していく。


「出来ないと分かっていて、父上は条件を出されたのですか?」

「……それは」


 非難するようなオーギュストの声に、ベネディクトは言葉を濁す。

 苦い顔をする彼を見て、それ以上に苦い顔でオーギュストは言う。


「僕がプリメラ以外を妻に迎える事はない。彼女と結婚できなければ、領主になんてならない!」

「馬鹿な事を言うな! お前はレイヴン伯爵家の跡継ぎだ! そのような事が許されると思っているのか!」

「金の薔薇を咲かせれば結婚を認めると仰ったのは父上です!」

「だから、そんなもの出来るはず――――」


 オーギュストはベネディクトの腕を振り払い、菫色の瞳でキッと彼を睨む。


「……平民だから認められない。平民だから許されない。あなたが仰るのはそればかりだ! 昔のあなたは身分を問わず手を差し伸べていた。だが今はどうだ、何があなたをそう変えてしまったのです!?」

「……変えたも何もない。私はただ知っただけだ。いくら我々が手を差し伸べたとしても、平民は簡単に金で裏切る。生き方が根本的に違うのだ。彼らは我々が管理するものであって――――」

「……もの(、、)?」


 ぎり、と音が出るほどに拳を握りしめ、オーギュストは一歩後ろに下がる。


「人はもの(、、)ではありません。そう僕に教えてくれたのはあなただ、父上」


 そして一度、深く頭を下げ、


「父上。僕は必ず金の薔薇を咲かせます。そしてあなたに、彼女が僕の家族だと認めて貰う!」

「待ちなさ――――待て、オーギュスト!」


 そう叫んでオーギュストはレイヴン伯爵家を飛び出した。


(…………)


 アナスタシアは一瞬、呆気に取られた。まるで嵐のような出来事だった。

 聞いているだけで、体に衝撃を受けそうなくらい、激しい言い争いだった。

 けれど、どれだけ怒鳴りあっていても。

 アナスタシアにはオーギュストもベネディクトも、苦しそうな顔をしているように見えた。


 しかしいつまでも呆けている場合ではない。


「……追わないと!」


 屋敷を飛び出したオーギュストが本物なのかは分からない。

 しかし今見た光景がオーギュストが見ている夢ならば、手がかりがあるはずだ。

 アナスタシアはオーギュストを追って走り出した。


 玄関の外に一歩足を踏み出したとたん、またぐにゃり、と景色が変わる。

 今度は見覚えのない屋敷の前だった。屋敷の庭には色とりどりの薔薇が咲いている。

 そこにオーギュストと見知らぬ女性――恐らくあれがプリメラだろう――がいた。

 そして、その場にはもう一人。

 アナスタシアの父、レイモンドの姿があった。


(お父様……?)


 驚いてアナスタシアは目を瞬く。夢の中とは言え――オーギュストの弟とは言え、父に会うとは思わなかったからだ。

 そしてレイモンドもまた、アナスタシアが知っているより若い姿だった。


「兄上、本当に行ってしまわれるのですか?」

「ああ。……レイモンド、お前には迷惑をかける事になってしまって、本当にすまないと思っている」

「いえ、私の事は良いのです。ですが……本当に大丈夫なのですか?」


 レイモンドはオーギュストとプリメラを見た。

 眼差しに、声に、二人を気遣う気持ちが籠っているのが伝わってくる。


「金の薔薇など存在しない。出来ても、否定すれば良いだけです。父上はだからこそ、そういう条件をつけた」

「ああ、分かっているよ。それでも僕は……プリメラが僕の家族である事を、父上に認めて欲しいんだ」


 オーギュストの顔に浮かぶのは苦い笑いだった。

 いいえ、とレイモンドは必死で首を横に振る。


「父上に認められずとも家族となる事は自由です! 私が……私が認めます! 私が領主になれば直ぐに兄上とプリメラさんの事を認めます! そうしたら兄上が領主を――――」

「ありがとう、レイモンド。……だけど僕はちゃんと認めてもらいたいんだ。父上も僕の大事な家族だから」

「ですがそれでは……。兄上が領主となるために、今までどれほど努力を積み重ねてきたのか、私は知っています。お二人がどれほどにお互いを大事に想っているかも知っています。それなのに、これでは兄上達は……」

「ありがとう、レイモンド」


 必死で言い募るレイモンドに、オーギュストは柔らかく微笑んだ。

 プリメラも同じ表情を浮かべ、そして頭を下げる。


「ありがとうございます、レイモンド様」

「いいえ。何もできなかった私に、ありがとうは相応しくありません。……義姉上(、、、)


 くしゃりと顔を歪め、苦し気にそう言うレイモンドに、二人は嬉しそうに笑う。

 その時アナスタシアは周囲の空気がふわりと暖かくなった気がした。

 たぶんこれはオーギュストがこの時に感じた気持ちなのだろう。


(……お父様がお母様の事以外で、あんなに必死な顔をしているの、初めて見たなぁ)


 彼らのやり取りを聞きながら、アナスタシアはそう思った。

 レイモンドがあんな風に必死な形相を浮かべていたのは、アナスタシアが覚えている限りでは三度あった。

 一度目はアナスタシアの母オデッサが心結晶――心臓が徐々に結晶化しやがて死に至るという魔力持ちだけが掛かる病を患った時。

 二度目は薬さえ飲めば助かるはずだった病で薬が体に合わず、ただ死を待つだけだったオデッサを必死で看病している間。

 そして三度めはオデッサが亡くなった時。

 辛そうな父の顔を見たのは、いつだって母の前だけだった。

 だからアナスタシアは少しだけほっとした。


(お父様にも、ちゃんといたんだ。あんな顔を出来る相手が)


 その顔は自分には向けられた事はなかったけれど。

 でも、心から心配する相手が、父にもちゃんといたのだとアナスタシアは知った。

 この光景を見ながら不謹慎だとは思ったが、アナスタシアはその事が素直に嬉しかった。


 だからこそ、オーギュストを助けたい気持ちが強くなる。

 もともとそのつもりではいたけれど、彼は父の大事な人で、プリメラはその人の大事な人だ。

 絶対に助ける。アナスタシアがそう思い、ぐっと両手を握った時。

 再び辺りの景色がぐにゃりと変化した。


 今度はどの夢を見せられるのか――――そうアナスタシアが思っていると、今度は目の前に一頭の黒い馬が姿を現した。

 黒い体躯に、黒い一本角、そして燃えるような青い鬣。

 ナイトメアだ。

 黒馬はアナスタシアを見つめたまま、首を大きく仰け反らせ角を天高く掲げる。

 それは夢魔の霧を発生させた時と同じ動作だった。


 夢の中で危害は加えられないとホロウは言った。

 けれど、これは良くないものだ。アナスタシアは直感的にそう思った。

 そしてそれは正しく的中する。

 ナイトメアの角が鈍く光ったかと思うと、その周囲から暗闇が現われ、辺りを飲み込み始めたのだ。


(危害は加えられなくても、探せないのは――――)


 まずい。

 そう思った時には、アナスタシアは闇の中に取り込まれていた。

 光の欠片すら見えない、どこまでも続く一面の闇だ。

 しまった、と思うアナスタシアの耳元で、不意に、


『大丈夫よナーシャ、私がついているわ』


 と、懐かしい声が聞こえた。

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