第七話 父が領主を継いだ理由
咆哮とともに、ナイトメアの身体から黒い霧が噴出される。
それらは一気に広がって、アナスタシア達の周囲を覆った。
(――――周りが見えない)
霧が、夜のように辺りを染めて行く。
視界が奪われる一瞬、霧が屋敷の壁を突き抜けて領都へ広がって行くのが見えた。
このままだとまずい。
アナスタシアがそう思った時、身体の周囲で異変が起こった。
白い光がふわりと現れ、アナスタシアの周りでパチパチと弾け始めたのだ。
ただ弾けるだけではない。その光が黒い霧をアナスタシアから遠ざけて行く。
この反応は見覚えがある、とアナスタシアは思った。
以前、ホロウの呪術を受けた際に起こった現象だ。ユニから貰った、ユニコーンの祝福の効果である。
悪いものから身を守る力。あの時ユニはそう言った。
祝福を受けたのはアナスタシア以外に、シズとライヤー、ローランドの三人だ。ならば彼らもきっと無事である。
「ローランドさん、シズさん、ライヤーさん! ご無事ですか!」
声をかければ、それぞれに「大丈夫!」との返答がある。
直ぐに三人はアナスタシアの方へ駆け寄ってきてくれた。
無事な姿を見て、それぞれにほっと安堵の表情を浮かべる。
祝福持ちが四人集まった事で、周囲の様子が見えるようになった。
「良かった、アナスタシアちゃんも無事だね」
「はい。ユニちゃんの祝福の効果ですね。でも、他の皆さんは……」
そう言って、床の方へ目を向ける。
そこではガースや門番達が倒れていて、すうすうと寝息を立てていた。
黒い霧が噴出する直前に、ナイトメアは『眠れ』と言っていたのを思い出す。
そうだ、とアナスタシアは顔を上げた。
「ナイトメアは」
「うん、周囲にはいないね。黒い霧の直後に、気配が消えたよ」
アナスタシアの言葉に、ライヤーがそう答えた。
ここにいないのであれば、逃げたのか、それとも誰かの夢に入ったのか。
何れにしろ判断は難しい。これは困ったな、とアナスタシアが考えていると、不意に上の階の方から、パタパタと走る足音が響いて来た。
それに反応して、騎士二人が剣の柄に手を当てて、顔を向ける。
すると。
「――――あっ! いた! お嬢様、皆さん、大丈夫ですか!?」
そんな声と共にロザリーが階段を下りて来た。見れば、マシューとマーガレットの姿もある。
不思議な事に、三人はロザリーを中心とした半円型の光に覆われている。
「ロザリーさん! それにマシューさんとマーガレットさんも、良かった……!」
「はい。異変に気が付いたロザリーさんが守ってくれまして」
「あはは、何か呪術の気配がしたんで、咄嗟に相殺したんですけど……」
ロザリーは手で頭の後ろをかきながら、笑ってそう言った。
どうやらあの半円型の光はロザリーの呪術のようだ。ローランドが「ほう、あの速さに反応をしたのか」と感心していた。
「ロザリーさん、すごいです!」
「あっお嬢様に褒められた、嬉しい……! ……って、それよりも、何があったんですか? これ夢魔の霧ですよね」
照れながら、ロザリーは霧を指さした。
どうやらこれは夢魔の霧と呼ぶものらしい。
「夢魔の霧ですか?」
「はい。魔性の類が使う呪術です。多いのはナイトメアとか夢魔ですかね。あいつらが獲物を眠りに引きずり込むために、よく使うんですけど。でも、このレベルの範囲は珍しい……」
「実は、つい今しがたナイトメアが現れまして」
「えっ本当ですか?」
アナスタシアが伝えると、ロザリーは「うわ」と顔を顰めた。
「それ、なるべく早めに対処しないとまずい奴ですね。領都は危険種避けは出来ているからある程度は防げますけど、この様子を見れば他の魔性が集まってきますよ」
「確か夢を食われ続けると、精神を消耗するのだったな」
「はい。酷い時には廃人になりますね」
「……廃人」
シズが目を細くして、窓の外へ目を向ける。彼の顔が向けられているのは、ヴァルテール孤児院の方角だ。
孤児院は壁の近くに建っている。もし魔性が入り込んだ時、一番先に被害が出るのはあそこだ。
アナスタシアの脳裏に、カサンドラや子供達の顔が浮かぶ。
――――何とかしないと。
もちろん他の住人達の事だって心配だ。
ナイトメアを探すのが先か、テレンスを探すのが先か。アナスタシアが相談しようと口を開きかけた時、
「オーギュスト様……!?」
とマシューの声が聞こえた。マーガレットも目を見開いて口に手を当てている。
ロザリーの半円型の光で黒い霧が遠ざけられ、周囲の様子が見やすくなったからだろう。それぞれ焦った様子でオーギュストの近くで膝をついた。
二人はレイヴン伯爵家に長く仕えているだけに、オーギュストの顔も、ひと目見ただけで分かったようだ。
簡単に事情を説明するとマシューもマーガレットも「そんな事が……」と痛ましい表情を浮かべてオーギュストを見る。
「……プリメラと呼んでいたのならば、そのナイトメアがオーギュスト様の大事な方で間違いないと思います」
「プリメラさんとは?」
「オーギュスト様の婚約者です」
沈痛な面持ちで胸に手を当て、マシューは話してくれた。
フルネームはプリメラ・ローズで、オーギュストとは同い年の女性だそうだ。
かつて領都に本店を構えていたローズ商会の会長の娘で、平民らしい。
オーギュストが結婚を考えていた相手だが、平民である事を理由に、当時のレイヴン伯爵であるベネディクトがそれを認めなかったそうだ。
「結婚には反対しておりましたが、ベネディクト様はオーギュスト様に一つ、条件を与えました」
「条件ですか?」
「はい。金色の薔薇を咲かせる事が出来れば、結婚を認めようと。……諦めさせるためでもあったと思いますが」
そう言ってマシューは目を伏せる。
ローランドはふむ、と呟く。
「金色の薔薇か。宝飾品ではないのだろう?」
「はい。本物の薔薇で、との事でした。プリメラ様のご実家であるローズ商会は薔薇を使った商品を販売しておりましたから。身分を越えて望むくらいだ、それくらいできるだろう、と」
「……それはまた、ずいぶんと酷い条件をつけたものだ」
ローランドは小さく息を吐いた。
金、と言葉にすれば簡単だが、作るのは容易ではない。
そしてどれだけ金に近い薔薇を咲かせる事ができたとしても、判定する者がこれは「金ではなく黄色だ」と言えばそれまでだ。
ベネディクトは最初から、二人の結婚を認めるつもりはなかったのだろう。
そしてオーギュストは諦める事なく、プリメラと結婚できないのならと家を飛び出してしまった。
「お母様とお父様の結婚を認めたのは」
「恐らく、その事があったからだと思いますわ」
「……だからお父様が領主を継いだのですね」
「はい」
オーギュストの結婚を認めなかったら、彼は家を出て行った。
平民との結婚に反対していたベネディクトが、オデッサとの結婚を許したのは、同じように反対をしてレイモンドまでいなくなってしまうと、レイヴン伯爵家を継ぐ者が誰もいなくなってしまうからなのだろう。
自分が生まれたのは、そういう事も関係していたのかとアナスタシアは思った。
正直に言えば、何と言っていいか分からない。
何とも困った顔になっていると、話題を変えるようにロザリーが、
「でも生身の人間をナイトメアに変化させるなんて方法、なかったと思うんですよねぇ」
「いえ、プリメラ様はずっと昔に亡くなっておられるのです」
マシューは首を振ってそう言った。
それなら、とロザリーは頷く。
「死者の魂からナイトメアを作るという方法は、確かにありますね」
「ああ。だが、魂を使うならば死霊術の類だな。リヒト・ベーテンの夜を利用したか」
「死霊術……」
死霊術とは死者の魂や死体を素材や媒介として使う魔法の事だ。
例えば亡くなった者の魂を呼び出して話を聞くとか。
例えば死者に仮初の魂を与える事でアンデッドを作り操るとか。
そういった類の魔法を死霊術と言うのだ。
もちろん後者に関しては制御諸々がとても難しいもののため、使用は禁じられてはいるのだが。
ちなみに一説によれば死霊術は呪術の亜種とも言われている。
呪術から枝分かれした技術が死霊術である――という話があるが、これに関してはそれぞれの魔法を使う者達の間ではどちらが先かで長い議論となっていたりする。
とにかく死霊術とはそういう代物だ。
ナイトメアは自然発生もするが、その多くは魔法によって生まれる。
ナイトメアを作り出すには死霊術以外に呪術にもあるが、魂を使ったというならば前者だ。
そしてそれを行ったのがテレンスならば、彼は死霊術を使えるという事になる。
しかし、
「テレンスは確かに学生時代、魔法も得意でしたけど。あいつが死霊術を使った所は見た事がなかったですね」
「まぁ公に使う物ではないからなぁ。普通に使っているのは星教会くらいじゃないか?」
ライヤーはシズにそう言った。
死霊術というものは、その性質上、魔法の中でも特殊な立ち位置になるものだ。
自他問わず魂や命に触れるためである。
この国では学問として技術として、死霊術自体が疎まれる事はないが、使用者自体もそう多くはない。
そのほとんどは星教会に所属する者達だ。それでもアンデッドを作るという事はしないが。
そんな話をしていると玄関の扉が勢いよく開かれ、
「アナスタシア殿! 御無事か!」
首無し騎士のホロウが飛び込んできた。




