第二話 リヒト・ベーテンの夜
屋敷へ戻るとフランツとアレンジーナの姿があった。
先日の誕生日以降、アナスタシアはフランツとやり取りをするようになった。
ただ、やはり表立ってそれをするには、ベネディクトや他の兄弟達の目があるため、こっそりとだが。
貴族社会で長く生きて来たベネディクトから隠し通せるか、というのは少々不安があったが、そこは従者のアレンジーナが上手くやっているらしい。
なので今日もこっそりと約束をし、屋敷へ泊まりに来たのである。
まだまだぎこちないながらも、笑顔で話をしながらの夕食を終え、すっかり陽が落ちた頃。
ちらほらと雪が降る中で、アナスタシアとシズは屋敷の玄関前でランタンに火を灯していた。
リヒト・ベーテン用のアナスタシアのランタンだ。ふわりと灯った火が、コーアブリーゼの花の意匠を照らす。
「このランタンもアナスタシアちゃんが作ったものだったっけ」
「はい。母が亡くなった年に。一度作り直そうかとも思ったんですけれど、何となくそのままで」
このランタンは馬から教わった方法――螢晶石で作ったものではない。普段物をねだらなかったアナスタシアが、珍しくレイモンドに頼んで素材を揃えて貰い、自分で作った物である。
オデッサが亡くなり、レイモンドの様子がおかしくなり始めた頃。レイモンドはリヒト・ベーテンの夜に一度だけ、アナスタシアの所へやって来た。
ランタンを見て「オデッサも、この灯りを頼りに帰って来てくれるだろうか」と彼は言った。
「帰って来てくれます。だってお母様ですから。一番乗りくらいの勢いで来てくると思います」
「フフ……そうだね。なぁ、アナスタシア。お前は今、寂しくないかい?」
「寂しいですけれど、私にはお父様も使用人の皆もいますから」
「そうか……」
思えば父とまともに話をしたのは、あれが最後だった気がするとアナスタシアはふと思った。
アナスタシアはその日ランタンの灯りが消えるまで父と話した。そうしている内に眠くてうとうとし始めると、レイモンドはアナスタシアを抱き上げて部屋まで連れて行ってくれたのだ。
(あの時、違う話をしていたら、お父様はあんな風にならなかったのだろうか)
時々、アナスタシアはそう思う。もっと別の言葉をかければ良かったのかと。
別の言葉に関しては今も思いつかないが、何か変わったのかもしれない。
何にせよ過去は過去で、戻る事など出来ないが。
「――――……」
ランタンの灯りを見つめてそんな事を考えていると、ふと玄関のドアが開いた。
顔を向けるとフランツとアレンジーナが出てくる所だった。
「アナスタシア、ここだったか。寒いから早めに中に入った方が……あ、そうか。今日はリヒト・ベーテンの夜か」
そしてランタンの灯りに、思い出したように呟いて屋敷を見上げた。
屋敷ではアナスタシア以外にも使用人達が各々の部屋の窓を開けて、ランタンに火を灯している所だった。
「使用人にも許可を出しているのだな」
「ええ。皆が会いたい人に会えたら良いですよね」
もう二度と会えない大事な人に。
アナスタシアがそう答えると、その隣にフランツがひょいとしゃがみ込んだ。
「このランタン、花の意匠が美しいな。これは……コーアブリーゼか?」
「はい。この花、母が好きだったんですよ。でもフランツ兄様、良く分かりましたね」
「坊ちゃん、こういうの好きなんですよねぇ。ちなみに一番得意なのは絵ですよっ!」
「わあ! 兄様、絵を描くのですか?」
「へぇ、絵ですか!」
「あ、ああ……」
それは凄いなとアナスタシアとシズが笑顔になる。
だがフランツは正反対に、フランツは少しバツが悪そうに目を反らした。
「どうしました?」
「……絵を描く事はあまり褒められた事ではないと、お祖父様や兄上達に言われている」
「何故ですか?」
「レイヴン伯爵領の領主一族として、そんなものは必要ないと。上達した所で意味がないと言われた」
フランツはそう話すと唇を噛んだ。
そんな事はないだろうとアナスタシアは不思議に思う。
「世の中に必要がないというものは、欠片もありませんよ。これを作る時に出た材料の欠片だって、装飾品や道具作りの部品になりますし。何がどこでどう必要になるのか、役に立つのかなんて、その時になってみないと分かりません。誰かが決めた『不必要』なんて、それこそ意味がありませんよ」
アナスタシアがそう言うと、フランツはポカンとした顔になる。
何かおかしな事を言っただろうか。アナスタシアが首を傾げると、フランツは困ったように視線をさ迷わせ、最後に伏せた。
「……そんな事を言われたのは初めてだ」
「そうですか? でも兄様、それは私が思っているだけではないと思いますよ」
そう言ってアナスタシアは顔を上げた。
見上げた先で彼の従者が大きく頷く。
「ええ、そうですとも。あたしは坊ちゃんの絵、あったかくて大好きですよ!」
「アレンジーナ……」
褒められたフランツの目が少し潤んだ。慌ててフランツは服の袖でごしごしと目をこする。
「フランツ兄様。いつか機会があれば、私も兄様の絵を見せて頂きたいです」
「あ、俺も俺も! 機会があったらぜひ!」
「ぼ、僕の絵を? …………ああ。ああ、もちろん!」
フランツはこくこくと頷いた。顔は少し赤くなっていた。
それを見てアナスタシアとシズも微笑む。
そんな話をしていたら、屋敷のあちこちから歌声が聞こえてきた。
「この歌は……」
「リヒト・ベーテンの歌だそうです。亡くなった方に『おかえり』と呼び掛ける歌なのだそうですよ。私も今日知りました」
フランツにそう言った後、アナスタシアも歌を歌い始める。そこにシズが混ざった。
少し遅れてアレンジーナも――フランツも気恥しそうに小さな声で歌いだす。
歌声はランタンの灯りと共に空へと昇る。
気付けば雪は止んでいて、雲間から星が見えていた。
◇ ◇ ◇
夜も更けた領都の、廃れた屋敷。
門を通って入った際の玄関前で、ランタンに火を灯してリヒト・ベーテンの歌を歌っている男がいた。
吟遊詩人のオーギュストだ。彼は玄関のドアに背を預け、リュートを爪弾き歌う。
「十二の星が見守る終わりに火を灯そう。
あなたが昇る遠い空から見えるように。
あなたが眠る大地の腕まで届くように。
私たちはここにいる」
ポロン、と弦を鳴らし歌い終わる。
しかしそれでも手を止めず、オーギュストは弦をゆったりと弾いた。
夜の空に弦の柔らかな音色が溶けていく。
「……プリメラ、実は今日ね、あの子に会ったよ。子供が育つというのはあっと言う間だね。話には聞いていたけれど、本当に彼女にそっくりだった」
小さく笑ってオーギュストは空を見上げる。雲間から星がキラキラと輝いていた。
「僕達にも子供がいたら、あの子くらいだったのかな……いや、もう少し大きいか」
見上げる空に、すうと一筋星が流れた。
「……ごめんプリメラ。まだ金の薔薇は咲かせられそうにないんだ。約束を果たすのは、まだ先になる」
オーギュストはそう謝ると、再びポロン、と弦を鳴らす。
そして、
「……本当に、君が帰って来てくれたら良いのにね」
ぽつんとそう呟く。オーギュストの菫色の目にどうしようもない寂しさが宿った。
――――その時だ。
「本当に帰って来てくれるとしたら?」
突然、どこからか声がした。
オーギュストはバッとそちらを振り向く。
反射的に、片方の手がリュートのケースに伸びていた。
「誰だッ!?」
「ハハ、そんなに警戒しないで下さいよ、オーギュスト様」
不遜な態度で現れたのは見覚えのない黒髪の男だった。赤い目がギラリと光っている。
歳は二十代の始めくらいだろうか。スラリとした体躯に、安物のコートを羽織った軽薄そうな人物だ。
男はカツカツと靴音を立ててオーギュストに近づくと、恭しく頭を下げる。
「初めましてオーギュスト様。俺はテレンスと申します。ある方から依頼を受けて、あなたに会いに来ました」
「依頼? あいにくと僕に用事がある人間なんていないよ。人違いじゃないかね」
「いいえ、いますよ。あなたの御血縁の方からね」
テレンスと名乗った男の言葉に、ピクリ、とオーギュストの眉が動く。
「何、あなたにとっても良いお話ですよ。これに承諾頂ければ、あなたはあなたの大切な方と、ずっと一緒にいる事ができます」
「……君がどんな縁で誰から依頼を受けたかは知らないが、他所を当たってくれたまえ。僕の大切な人はもうこの世にはいない」
「本当にそうでしょうか?」
「何が言いたい」
オーギュストが睨むと、テレンスはにこりと笑みを深める。
そしておもむろに手をスッと動かした。すると突然、屋敷周囲の地面が強く光り始める。
その光は木の根のようにぐねぐねと広がり、やがて一つの魔法陣へと姿を変えた。
「ッ、この紋様は……まさかッ!?」
オーギュストの目が驚愕に見開かれる。
その前で魔法陣からスウ、と何かが浮かび上がる。現れたのは二十代後半くらいの女性だ。
「プリメラ……ッ!」
思わず伸ばしかけた手。しかしその指が彼女に触れる前に、光は変質し、黒い霧のようなものへと変わる。
黒い霧は女性の体に纏わりつくと、その姿を黒い馬へと変化させた。
オーギュストの顔が憤怒に染まる。
「貴様、よりにもよって、プリメラの魂を使って――――!」
「ハハ。今日はリヒト・ベーテンの夜でしたからねぇ。良かったですね、帰って来てくれていて。ほら歌声は届いていたみたいですよ?」
テレンスは全く動じた風でもなくにこりと笑い、
「さて、それではここからオハナシアイと行きましょうかねぇ。ねぇ、オーギュスト・レイヴン様?」
オーギュストに向かってそう言い放った。




