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馬小屋暮らしのご令嬢  作者: 石動なつめ
第五章 リヒト・ベーテンの夜
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第一話 ノブレス・オブリージュ


「食い逃げ?」


 アナスタシアとシズが顔を見合わせる。

 食い逃げとは、あれだ。食べるだけ食べておいて、金銭を払わずに店から逃げようとする犯罪の事である。

 声の方へ顔を向けると、一件の食堂が目に留まる。

 ちょうどそこから帽子をかぶった男が飛び出してきたのが見えた。


「お願いだ待ってくれレディ! 確かに今手持ちはない! けれど! しかし! 今から稼ぐから! 本当だから! 信じてもらいたい!」

「信じられるわけないでしょう! 待ちなさーい!」

「ひいっ! すまない! 本当にすまない! だが本当に! 今から稼ぐからさぁーッ!」


 食堂を飛び出した男は、走りながら振り向いて、両手を合わせてそう叫ぶ。

 必死な形相だ。しかしいくら必死とは言え、言葉をそのまま信じる人間はいないだろう。


「あれがウワサの食い逃げ……!」

「ウワサなの?」

「食い逃げ犯を捕まえた馬さんが、美味しいニンジンを貰ったと自慢していたそうです」

「えっ何それ、すごく気になるお話! 後で詳しく教えてください!」


 シズが食いついた。アナスタシアは大きく頷くと、


「お任せを! では先に、とりあえず。シズさん、あちらをお願いします」

「オーケー、まかせて! さすがにあれ見て、そのまま放置できないわぁ」


 シズはニッと笑ってアナスタシアの頼みを請け負うと、男の方へ走って行き。その腕をガシッと掴んだ。

 男は反射的にシズの方を向いてぎょっとした顔になる。


「え?」

「はいはいー。食い逃げ犯、確保しましたよっと」

「えっ? うわっ!? えっ誰、って待って、その隊章……もしかして騎士!? ひい、ごめんなさいうっかりしていたんです、直ぐ稼ぐから見逃して!」

「うっかりは仕方ないけど駄目です」

「はい。食い逃げは駄目ですよ」


 ピシャリと却下するシズの言葉をアナスタシアが引き継ぐ。

 男はガックリと肩を落とす。

 その時、傾いた頭から帽子がはらりと地面に落ちる。男の顔がはっきりと見えるようになる。


「あれ?」


 その顔を見て、アナスタシアは少し驚いた。

 何故ならその顔が、彼女の良く知る人物に――アナスタシアの父、レイモンドに似ていたからだ。

 父と比べれば男の方が精悍な顔立ちではある。しかし、それにしてもよく似ている。

 レイモンドの顔を知るシズも、思わず「え?」とアナスタシアの方を見たくらいだ。


「……オッサン、お名前は?」

「……オーギュストです」


 シズが問うと男はそう答えた。

 オーギュストの言葉にシズは、ふむ、と何か思案する眼差しを向けながら質問を続ける。


「お金持ってないのにどうして入ったの?」

「いやその、実はさっき財布の中身をなくしてしまってね。あんまり腹が減ったから、それを忘れて店に入ってしまって……」


 オーギュストは困った様子でそう話す。

 その言葉に食堂の人間も「確かに良い食べっぷりだったなぁ……」と呟いた。

 どうやら空腹であったのは本当のようだ。空腹でどうしようもなくてという気持ちは、アナスタシアも分からないでもない。やってしまった事はもちろん問題ではあるのだが。

 話を聞いたシズは「うーん」唸って考えたあと、


「とりあえず、俺が代わりに払っておくよ。このままじゃお店に迷惑だしさ」


 と言って財布を出した。オーギュストは驚いてシズを見る。


「えっ良いのかい?」

「返せるアテはあるんでしょ?」

「もちろん!」


 オーギュストが頷くと、シズが苦笑しながら代金を聞いて支払った。

 その時に若干顔がひくついていた。金額的にだいぶ多かったのだろう。オーギュストは本当に結構な量を食べていたらしい。

 シズが支払いを終えると店の人達は「次はお金を忘れないでね」とオーギュストに言って中へ戻って行った。


「本当にありがとう! 直ぐに返すから!」


 オーギュストはそう言うと、背負っていた鞄を下ろした。

 何だろうかと思って見ていると、鞄から楽器が出てくる。


「リュート?」 


 アナスタシアが首を傾げると、オーギュストは片目を瞑って笑う。


「言っただろう? 稼ぐってさ! まぁ見てて!」


 オーギュストは店から少し離れた場所に立つと、徐にリュートを鳴らし、歌い始めた。


「十二の星が見守る終わりに火を灯そう。

 あなたが昇る遠い空から見えるように。

 あなたが眠る大地の腕まで届くように。

 私たちはここにいる」


 演奏そうだが、何よりその歌が素晴らしい。

 心に染み入るような歌声を聞きながら、アナスタシアはシズを見上げる。


「シズさん、この歌は?」

「リヒト・ベーテンの歌だね。おかえりって言葉の代わりにこの歌で亡くなった人を迎え入れるんだよ」


 アナスタシアが小声で聞くとシズがそう教えてくれた。

 そう言えば、とアナスタシアは思い出す。


(そう言えばお父様が、お母様のお墓の前で歌っていた気がする)


 一度だけ聞いたあの歌は父の哀しみが込められていた。

 けれどオーギュストの歌は違う。明るくて、とてもあたたかい。

 歌い方でこんなにも違う印象になるのだなとアナスタシアが思っていると、歌を聞いてちらほらと領都の人達が集まってきた。

 少し賑やかになった周りに、聞き覚えのある声が混ざる。


「あれ、兄ちゃんにナーシャお嬢さん! 何してるの?」


 声をかけられて振り向くと、アナスタシアと同い年くらいの双子がたくさんの荷物を抱えて近づいてくる所だった。

 ヴァルテール孤児院のトールとマリンだ。


「トールにマリンじゃないか。二人とも、今日は買い出しか? っていうか大荷物だな?」

「そうなの、聞いて兄ちゃん! 実はね……あ! ねぇトール、見て! あれ、さっきのおじさんよ!」

「あ、本当だねマリン。歌がとても上手だ」


 笑顔で頷いたマリンとトールがオーギュストに気が付いてそう言った。

 何だか知っているような口ぶりだ。シズが少し首を傾げる。


「ん? 二人とも、あのオッサンと知り合い?」 

「うん、さっき道案内をしたんだよ」

「そうしたらお礼にってたくさんパンとハムをくれたの!」


 双子の言葉に、アナスタシアとシズは「えっ」と目を瞬いた。


「さあ、次はどんな曲が良い? リクエストはどんどん受け付けるよ!」


 そうしている内にリヒト・ベーテンの歌を歌い終えると、オーギュストはそう呼び掛けた。

 ノリの良い見物客は直ぐに手を挙げリクエストをする。それを繰り返しながら、オーギュストの演奏は続いた。

 そうしている内に、見物客もだんだんと増え始める。アナスタシアの周囲に人が並び始めた時点で、シズが笑顔で警戒を強めたのが分かった。


 オーギュストの演奏は流行りの曲から懐かしい曲まで、実に多彩だった。その中にはアナスタシアも知っている曲もある。

 母が歌っていた曲だ。楽しくなって、アナスタシアが小さく口遊んでいると、トールとマリンも釣られたように歌いだす。

 子供達の歌声に気をよくしたオーギュストは「それでは皆さんもご一緒に!」なんて言い出した。すると見ていた見物客もぽつぽつと、気恥しそうに歌い始める。ラストの方では見物客全員での大合唱となった。

 それを見て、火が点いたのは商人達だ。


「こいつは……稼ぎ時だ!」

「ええ、そうよ! 今稼がなくていつ稼ぐって言うの!」


 彼らは力強くそう言ったかと思うと、彼らは直ぐに自分の店や、近くの飲食店へと飛び込んで行った。

 そして片手で食べられる料理や温かい飲み物を用意して、その場で販売を始めたのである。

 冬場に温かいものは有難い。これには見物客も飛びついた。もちろんアナスタシア達もである。

 シズが買ってくれたあつあつのミートパイを手に、揃ってにこにこ笑顔になった。


「ナーシャお嬢さん、ミートパイ美味しいねぇ」

「はい! あつあつですねぇ」

「舌、火傷しないようにゆっくり食べてね」

 

 こうなるともう小さなお祭りである。楽しい音楽と美味しそうな食べ物の香り。釣られて見物客はさらに増えた。

 見物客も笑顔、商人達もほくほく顔。そんな賑やかな中でオーギュストが演奏を終えたのはしばらくしてからの事。

 最後の一曲を弾き終えたオーギュストへは大きな拍手が送られた。

 アナスタシアも熱心に拍手し――そこで、ふと思い出した。


(そう言えば、オーギュストさんは稼ぐと言っていましたけれど。これからどうするのでしょう?)


 そんな事を考えてアナスタシアが興味津々に見ていると、周囲にいた見物客がぞくぞくと彼の帽子へお金を入れ始めた。その中には、いつから見ていたのか、オーギュストが食い逃げをした食堂の従業員も混ざっていた。

 チャリン、チャリンと音を立てて増えるコインや紙幣。アナスタシアは目を丸くする。

 そんなアナスタシアにシズが、


「吟遊詩人や大道芸人はさ、食堂とかで演奏したりする以外に、こういう形でもお金を稼いでいるんだよ。その分、足を止めてもらうための技術が必要なんだけどね」


 と教えてくれた。

 アナスタシアも本でちらっと読んだ事はあったが、実際に見たのは初めてである。

 なるほど、こういう仕組みなのかとアナスタシアは感心した。


 お金を入れると少しずつ人は離れていき、賑やかさが落ち着いたのはそれから少ししての事だった。 

 けれども人の笑顔と美味しそうな香りはまだその場に漂っている。海都の祝祭が終わった時もこんな雰囲気だったなと、アナスタシアは思い出していた。

 何となく、名残惜しい。

 そんな風に思いながらも、人が少なくなったその場を、アナスタシア達も離れた。オーギュストも一緒にだ。

 どこへ行くかと言うと、場所はもちろん、ヴァルテール孤児院である。



◇ ◇ ◇



 ヴァルテール孤児院へ到着すると、オーギュストは直ぐに、シズが払った分のお金を返してくれた。


「ええと、金額はこれで合っているかい?」

「ああ、大丈夫。合っているよ」

「良かった」


 オーギュストはホッと息を吐いた。


「いやあ、本当に、さっきは助かったよ。僕を捕まえてくれたのが君達で、運が良かった」

「お礼を言うのは俺の方だよ。うちの子達に、色々とありがとう。でもさ、そうならそうと最初に言ってくれれば良かったのに」

「いや、忘れていたのは本当だからね。それに、その。……さすがに理由を言うのはさ、こう、格好悪いじゃないか?」


 ハハハ、と笑ってオーギュストは指で顔をかく。

 実はオーギュストがお金を持っていないのは理由があった。彼は最初に『失くした』と言っていたが、事実は違う。

 彼はトールとマリンに道案内を頼み、そのお礼として財布にあるだけのお金で食べ物――日持ちするものを多く――を買って渡していたらしい。

 その話を双子から聞いて、アナスタシア達はもちろんだが、事情を聞いた院長であるカサンドラも驚いていた。


「でも、お礼にしては多すぎだよ。……本当に良いのかい?」

「ええ、もちろんですよマダム。僕は二人に助けられました。二人から受けた優しさへの、僕のお礼の気持ちなので」


 オーギュストは恭しくそう言って、カサンドラに向かって片目を瞑って見せた。

 お金に頓着がないのではなく基本的に良い人なのだろう。

 アナスタシアは微笑ましくなってフフ、と笑った。


「ところで、オーギュストさんは吟遊詩人さんなんですね」

「本職は違うけどね。お金を稼ぐ手段と趣味が合致した感じかな。お気に召したでしょうか、お嬢様?」

「はい、とても! 楽しい音楽でした!」


 アナスタシアが頷くとオーギュストは「それは何より」と笑う。

 それから「ところで」と彼が目を向けたのは、ヴァルテール孤児院に飾られたガラス細工の花――アナスタシアの作った『ヴェルメ』である。 

 金色に光るガラスの花からは、ふわりと熱が放たれている。


「さっきから気になっていたんだけど、あれは何だい? 何か魔力のようなものまで感じるし」

「あ、私が作ったカサンドラさん達への贈り物です」

「贈り物?」

「はい。『ヴェルメ』と言いまして、水を吸い上げて熱に変える魔法道具です」


 アナスタシアが説明すると、オーギュストは目を丸くして、しげしげとヴェルメを眺める。

 そんな彼にマリンが自慢気に、


「ナーシャお嬢さんが作ってくれたのよ!」


 と胸を張って言った。オーギュストは少し驚いた様子でアナスタシアを見て、それから再びヴェルメへと視線を戻す。

 腕を組み、左から右、上から下と、色々な角度から花を観察し、


「へーえ、こいつはすごい。細工も凝っているねぇ! ふーん? ふーーーーん? なるほど? 細部の処理がちょっと甘いけど、良い出来だ」


 などと、楽しそうに言った。


「すごいでしょー!」

「ああ、すごい! 僕も金細工の仕事をしているけれど、これはなかなかのものだよ。……でも、そうか、なるほど。これが君にとってのノブレス・オブリージュ、という事だね」

「ノブ……?」


 聞きなれない言葉にアナスタシアは首をかしげる。

 ノブレス・オブリージュ。ローランドからも聞いた事がない言葉だ。


「身分の高い者や裕福な者は、それ相応の義務を果たさなければならない、という考え方さ。うーん、そうだね……例えば孤児院への寄付や援助もそれに当たるかな」

「私のものはお礼ですけれど……なるほど。そういう考え方があのですね。それなら、オーギュストさんもそうなのでは?」

「ハハハ。僕の場合は前提で難ありだねぇ。そもそも、こんな食い逃げをやらかした奴には相応しくない言葉さ。僕のは、そう。君と同じくお礼だよ」


 そう言ってオーギュストは片方の目を瞑って笑う。

 その笑顔が、アナスタシアの父、レイモンドを彷彿とさせた。


(……やっぱり、似ているんですよねぇ)


 世の中には似た人間は何人かいると言われている。けれど、ここまで似ていると、何かの繋がりがあるのではないかと考えてしまう。

 聞いてみようか、どうしようか。

 アナスタシアが迷っていると、孤児院のドアがノックされた。


「すみませーん! あの、私、レイヴン伯爵家の使用人のロザリーと申しますが、こちらにアナスタシアお嬢様はいらっしゃっていますか?」

「ロザリーさん?」


 聞き覚えのある名前と声にアナスタシアが振り向く。

 カサンドラが「ええ、いらっしゃいますよ、どうぞ」と声をかけると、ドアが開いた。

 ロザリーはアナスタシアを見つけると、 


「あ、いたいた、お嬢様!」


 と笑顔になった。


「ロザリーさん、どうしましたか?」

「はい。フランツ様がいらっしゃったので。少し早く到着してしまったそうですよ」


 ロザリーはそう教えてくれた。

 実は今日の夕方、フランツが来る予定があったのだ。

 なるほど、と頷いて、アナスタシアはカサンドラを見上げる。


「カサンドラさん、来たばかりで申し訳ありませんが、急用が出来てしまいまして。これで失礼させていただきます」

「ああ、それでは僕も一緒にお暇しようかな。これから行く場所もあるのでね」


 アナスタシアが言うと、オーギュストも続いた。

 そう言えば、彼はトール達に道案内を頼んでいたはずだ。目的地があるのだろう。

 オーギュストはにこりと笑うと、


「今日は会えて嬉しかったよ、お嬢さんに騎士君。それでは子供達にマダムも、お邪魔でなければまた!」


 と恭しく挨拶をする。そんな彼に子供達が「またねー!」と手を振る。オーギュストも返すように手を振りながら孤児院を出て、真っ直ぐに歩いていった。

 そんなオーギュストを見てロザリーが、


「今の人、お嬢様の髪や目の色と同じでしたねぇ」


 なんてそう言うと、シズも頷き、


「うーん、そうなんだよねぇ……」


 と、何か考える様子で言ったのだった。

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