幕間 アナスタシアの誕生日 二
フランツの言葉に、態度に、アナスタシアは驚いた。ローランドも同じ様子だった。
海都の時はお互いに和やかな会話などした記憶はない。アナスタシアだって言いたいことをぶつけただけだ。
あれは会話ではなかった。けれどあの時の言葉を、フランツはちゃんと受け取ってくれていたのだ。
「…………兄様」
フランツの誠意に返す言葉を、アナスタシアは自分の中でかき集める。
これは決して、軽く扱ってはいけない言葉だ。
今までがどうであれ、お互いがどういう関係であれ、真剣な言葉には真剣な言葉を返すものだ。
「はい。確かに、受け取りました」
「え……」
アナスタシアはそう言ってにこりと微笑む。
フランツはポカンとした顔になる。
「そ、そんな簡単に良いのか?」
「目の下にクマが出来てらっしゃったので」
きっとフランツは、思い出して、悩んで、考えて。海都の一件からずっと苦しんでいたのではないだろうか。
スタンピードを防いだ時にアナスタシアが見た光景は、とても明るくて晴れやかなものだった。
その時同じものを、フランツはどんな思いで見ていたのだろう。
「ですから受け取ります。海都の方でも、そうだったのでは?」
「……ああ。構わない、と言われた」
フランツは視線を落とす。
海都の町長であるヘルマンからは、
「もう終わった事です。それに私も言い過ぎました。本来あの言葉をぶつける相手はあなたではなくベネディクト様でした。あなたはこうして謝罪に来て下さった。海都の事を考えて下さった。だからそれで十分です」
と言われたらしい。
そもそも祝祭の火を打ち上げないよう言いつけたのはベネディクトだ。フランツがやったのはアナスタシア達との面会の邪魔をした事と、鍵を奪った事の二つである。
そのフランツに、全ての怒りや不満をぶつけるのは間違っていたと、ヘルマンは言ったそうだ。
「……だけど僕は貴族だ。領主の子だ。お祖父様のやった事は、一族の僕にも責任がある」
「ならばそれは私もです。私も領主の子ですから」
「アナスタシアはその場で動いただろう。アレンジーナに言われたのだ。お前のあの時の姿が、本来の貴族の姿であると」
フランツは膝の上に置いた両手をぐっと握りしめる。
「あの時の僕は、ただの馬鹿な子供だった」
「あの時の兄様は、私を心配してくれました」
「え?」
アナスタシアの言葉にフランツは目を瞬く。
「あの後、シズさんから聞きました。海へ向かう私を兄様は心配してくれていたと。気が付かなくて申し訳ありません」
「い、いや! 別に心配は……その……」
「ですから、ありがとうござます。親族に心配して頂いたのは、ずいぶん久しぶりでした」
「…………ッ」
アナスタシアが礼を言うと、フランツは何か言おうとして口を動かす。
声にはならなかったが、感情は何となく伝わってきた。泣くのを我慢しているような顔をしている。
「ぼ、僕は――――」
――――ぐう。
その時、その空気を引き裂くように唐突にフランツの腹の虫が鳴いた。
途端にフランツの顔が、ボンッと音が聞こえるくらいに真っ赤になった。
「……フランツ兄様、お腹がすいているのですか?」
「い、いや、その……」
しどろもどろになるフランツ。すると彼の後ろに立っていてアレンジーナがくすくす笑って、
「いやぁ実は昼食、まだなんですよ。坊ちゃん徹夜で謝る言葉を考えていましたから。役所が開く時間までずっと悩んで、朝食だってろくに食べずに向かったんですよね~」
「アレンジーナッ!」
「おや、フランツ兄様、昼食を抜いたのですか? それは体に悪いですよ」
「そ、それは分かっているが。……緊張しすぎて、何か食べる気持ちになれなかったんだ!」
うう、と呻いてフランツは下を向く。
そんなフランツにアレンジーナは優しい眼差しを向けている。
「それでは、夕食をご一緒しませんか? 今日の夕食は……」
「フフ、それは秘密ですが、二人分増えても問題はありませんよ。ハンスも多めに用意しているでしょう」
アナスタシアの言葉にマシューはにこりと微笑んだ。
予想外の提案に、フランツはぎょっと目を剥いた。
あたふたとアナスタシアとローランドを交互に見るフランツ。彼とは逆に、アレンジーナは「やった!」と手を叩く。
「ハンスさんのですか! あたし、ハンスさんの料理好きなんですよ。坊ちゃん、お言葉に甘えましょう」
「こらアレンジーナ! よ、良くないだろう! だって、僕は……」
「御迷惑でなければ、私は兄様ともう少し、お話がしたいと思いました」
「え? い、いや、だが……お前は僕の事が嫌いだろう? 嫌いな奴と話をしても何も……」
確かにアナスタシアはフランツの事は好きではなかった。
アナスタシアにも母親の違う兄弟は三人いるが、いずれとも仲が良くない。
長男のガラート、次男のイヴァン、三男のフランツ。
彼らとは同じ屋敷で生活を――アナスタシアは途中から馬小屋だったが――していたが、仲良く遊んだ記憶はなかった。
顔を合わせれば嫌味を言われ、母親に習って嫌がらせをされるのがほとんどだ。
だからアナスタシアは兄弟達の事が好きではない。
けれど彼らも彼らで、父親を取られたという寂しさがあったからというのも、アナスタシアは知っている。
好きではない。けれど胸の中に浮かぶのは、良くも悪くもなかなか複雑なものだった。
「好きではありませんでした。でも、今お話している兄様は嫌いではないです」
「…………え」
フランツは大きく目を見開いた。
それから徐々に、先ほどとは違う意味で顔が赤くなった。
そしてフランツは時間をかけて、
「……その、お前達が迷惑ではなければ」
と照れたように言って顔を伏せた。それを見てローランドも小さく笑う。
「それならば泊って行くと良い。外出の許可は数日分取っているのだろう?」
「はい。さすがに海都と領都を一日で回るのは厳しいですから」
「そうか。では、一晩こちらで過ごして行きなさい。それに――――今日は、特別な日だからな」
そう言ってローランドは微笑んだのだった。




