幕間 アナスタシアの誕生日 一
アナスタシアがクロック劇場から戻ってきた頃には、空はすっかり夕焼け色に染まっていた。
屋敷へ近づくと、何とも良い香りが漂ってくる。夕食の準備をしているのだろう。
少しそわそわしつつ、アナスタシアは先に馬小屋へ向かった。
客人――というか客馬を案内するためだ。
アナスタシアの隣には、氷の蹄を持った白い仔馬――フローズンホースが歩いている。
つい先ほど助けたばかりの子である。
フローズンホースは魔力を大量に消費した事で、体が小さくなっている。
けれど休んだからか、少し元気を取り戻したようで。シズやホロウが抱えて移動しようとしたのを拒んで、自力で歩いていた。
たぶん、人間を信用していないのだろうとアナスタシアは思っている。
あんな事があった直ぐなのだ、それは無理もない話だ。
フローズンホースはそのまま領都を出ようとしていたが、さすがに放っておけなくて、こうして連れて帰って来たのである。
幸いこの屋敷ならば、ユニコーンのユニ、首無し馬のコシュタ・バワーに、他の馬達も暮らしている。
慣れない土地を、万全ではない体調でふらふらと歩き回るよりは、ずっと安全だし安心出来るだろう。
フローズンホースに向かって、そうアナスタシアは説得した。最初は不審そうな顔をしていたフローズンホースも、アナスタシアが本当に心配している気持ちが伝わったのか、渋々といった様子ではあったが頷いてくれた。
「というわけで、皆さん。よろしくお願いします」
馬小屋について早々に、簡単に事情を説明する。
するとユニを始めとした馬達は、
『ええ任せて、アナスタシア。はじめましてのあなた、よろしくね』
『よろしく。北の地なら、わたしとも同郷』
『ねぇその蹄ひんやりする? ひんやりする?』
などと快く受け入れてくれた。
あまりにフレンドリーに話しかけられるものだから、フローズンホースは『あ、うん……』等と戸惑っていたが。
少し様子を見ていたが、これなら大丈夫そうだ。
そう思ってアナスタシアは馬小屋からそっと出た。
本当はこちらに混ざりたいが、いくら馬達と仲が良くてもアナスタシアも人間だ。
一緒にいてはフローズンホースが休めないだろうと思ったのだ。
そうして外へ出ると、シズが待っていた。
「アナスタシアちゃん、フローズンホースは大丈夫?」
「はい。馬の皆さんが仲良くしてくれています」
アナスタシアは頷いて「さすがですね!」と言うと、シズが小さく笑った。
「それは良かった。ところで、アナスタシアちゃん。屋敷の方にお客さんが来ているんだって」
「お客様ですか? 今日は予定はなかったような」
「うん、急な訪問だったらしいよ。俺達がクロック劇場に出かけたのと、入れ違いだったみたいで」
「なるほど。ちなみにどちらの方で?」
「それがね……」
アナスタシアが聞くと、シズは少し困ったような顔をして。
「フランツ様だって」
なんて答えが返って来た。
◇ ◇ ◇ ◇
部屋へ戻って支度を整え、アナスタシアは応接間へと向かう。
そこには居心地の悪そうなフランツと、相変わらず笑顔のアレンジーナが座って待っていた。
二人とは海都で会った以来だ。と言っても時間はそんなに経ってはいないのだが。
アレンジーナはその時と同じでにこにこ笑っているが、フランツの方は気まずそうな顔をしている。目の下にはクマも出来ていて、どこかやつれているようにも見えた。
さて、何の用事だろうか。考えながらアナスタシアはローランドの隣に座ってフランツと向かい合った。
「こんにちは兄様、アレンジーナさん。お待たせしました」
「い、いや……僕達こそ約束もなくすまなかった」
「え?」
まさか謝られるとは思わず、アナスタシアは目を丸くする。
本当にどうしたと言うのだろうか。アナスタシアは尋ねるようにローランドを見上げる。
ローランドは苦笑すると「二人は謝罪に来たらしい」と教えてくれた。
「謝罪ですか。何かありましたっけ?」
「君に対してならば、両手の指以上にありそうだが……」
訪問自体も予想外だが、謝罪なんてもっと予想外だ。一体何が起きているのだろう。
アナスタシアが不思議そうにフランツを見れば、彼はとても緊張した様子だった。それからフランツは時折ちらちらと、ローランドの顔色も伺っていた。
ローランドは小さくため息を吐くと、
「別に噛みついたりしないから、そんなに怯えなくてよろしい」
と言った。怖がっているというのが分かったらしい。
フランツはバツが悪そうに、でもそれでいて安心したように表情を緩める。
「そ、そうか……」
「ほらほら坊ちゃん、ちょっとほっとしなーい」
「ほ、ほっとしてなどいない!」
後ろに立つアレンジーナにからかわれ、フランツは顔を赤くする。それから一度深呼吸をして、改めてアナスタシアとローランドの方へ顔を向けた。
真剣な表情だ。こういう表情をすると、仕事をしている時の父とそっくりだとアナスタシアは思った。
元々フランツは、第一夫人エレインワースの子供の中では一番、父親であるレイモンドと容姿が似ている。顔立ちや、髪や瞳の色も同じなのだ。
「……アナスタシア。それからローランド……監査官。海都の時は本当に申し訳なかった。あの時、僕が祝祭の鍵を奪ったままだったら、海都に甚大な被害が及んでいた所だっただろう」
「それは海都の皆さんへの言葉ですね」
「ああ、もちろんだ。町長のところへは、先ほど行ってきた」
どうやらここへ来る前に先に海都を訪れていたようだ。
フランツはそこまで言うと、アナスタシアの目を見て続ける。
「アナスタシア。あの時、僕を止めてくれてありがとう。僕はあのままだったら海都の人達の命を奪う所だった。後から考えて、もしそうなっていたらと、ずっと怖かった」
一度目を伏せて、フランツは胸の辺りに手を当てる。
そから直ぐに顔を上げ、
「今だって……思い出すと怖くて、怖くてたまらない。だから感謝してもしきれない。本当に……本当にありがとう」
そして頭を下げた。アレンジーナも彼に続いて深く頭を下げる。
アナスタシアはそれを見て目を大きく見開いた。




