プロローグ 五年前の新聞記事
冬の薄い空が窓から見える。
ローランドがそれを背負いながらレイヴン伯爵邸の執務室で仕事をしていると、そこへアナスタシアがやって来た。
薄い金髪と菫色の瞳を持った、レイヴン伯爵家の末っ子。
複雑な立場であるにも関わらず、朗らかなこの少女の手には何故か、日焼けして色褪せた新聞が握られていた。
「ローランドさん、ローランドさん。今、お時間ありますか?」
「どうした?」
「質問がありまして」
そう答えると、アナスタシアは手に持った新聞をばっと広げた。
そこには『領民の不安を煽り、扇動したとしてネモ劇団、求刑へ』と書かれていた。
この記事は五年ほど前のものだ。レイヴン伯爵家の調査の過程で、ローランドも読んだ記事である。
アナスタシアの質問とは、この記事に関係するもののようだ。
「五年前の記事か。よく見つけたな」
「いえ実は、マーガレットさんからこれを使うと窓が綺麗になると教わりまして」
「なるほど、掃除中だったか」
昔の新聞を所持していた理由が分かり、ローランドは小さく笑う。
恐らく、使用人達に混ざってやっていたのだろう。
どうもアナスタシアは「仕事をしたい」という欲求が強いようだ。暇な時間が出来ると屋敷を歩いては、手伝えそうなところを探しているとシズから報告を受けている。
何でもやりたがるのは子供らしい部分だと思う。
けれどローランドにはそれが、罪悪感のようなものからくる無意識の行動だと感じられた。
レイヴン伯爵家がやらかした事について、アナスタシアは「知っていても何もしてこなかった」と言っていた。
だからこそ、何もない時間があると落ち着かないのだろうと思っている。
(本人が楽しそうなので止める事はしないが――――)
それでも思うところはある。
そんな事を考えながらローランドは「言ってみなさい」と促した。
アナスタシアは頷くと、ネモ劇団の部分を指さして、
「ここの記事なんですが、レイヴン伯爵家を批判して、どうして処罰されるのですか?」
と言った。
意外な質問にローランドは目を丸くする。
それからすぐに「ああ、そうか」と質問の内容を理解した。
悪い部分を悪いと言って何の問題があるのか、と彼女は言っているのだ。
ローランドは少し考えて、
「そうだな……君は批判というものについて、どう思う?」
と逆に問いかけた。アナスタシアは首を傾げると、
「悪い部分を悪い、と言う事では?」
と答える。
「イメージとしては、そうだな。正確には批判という言葉には、良い部分と悪い部分を見極め、判断するという意味がある」
批判という言葉はマイナスのイメージが先行するが、実際にはそうではない。
公平な目を持って言葉にする批判ならば、ローランドも問題ないと考えている。
しかし。
「その部分は、実のところ曖昧だ。主観によるものか、法的な見方によるものか、何らかの意図があってのものか。それぞれの考えによって変わって来る。それを受け取る側にとってもな」
そう、問題はそこだ。感情や企み、その場の空気によって批判の持つ意味合い話変わって来る。
「この記事のネモ劇団は五年前、領主のやり方を批判し、処罰を受けた」
「お父様が処罰を?」
「いや、ベネディクトだ。たまたま劇を見に来ていたベネディクトの側近の貴族が、報告したと記録にある」
ベネディクト――――二代前の領主でアナスタシアの祖父にあたる男だ。
彼や彼の側近には『貴族が平民を管理するのが正しい在り方だ』と考える者が多かった。
そのうちの一人が「レイヴン伯爵家がやっている事は間違っている」と舞台を使って形で声を上げたネモ劇団の劇を目にしたのだ。
しかもその公演が行われたのは領都。
当時の領主であるレイモンドは、領民の声に耳を傾けられる側の人間であった。だからこそ領都で行えば、領主にも声が届くと思ったのだろう。
だがその目論見は外れる。劇を見たのはレイモンドや彼の側近ではなく、ベネディクト側の人間だった。
「それを知って激怒したベネディクトにより、ネモ劇団は見せしめの様に処罰された。レイモンドは止められなかった。――――それどころではなかったのだろう」
五年前と言えば、アナスタシアの母が心結晶を発症した頃だ。
オデッサを失い、おかしくなった今の様子を見れば、レイモンドがどういう状況であったのかはローランドも分かる。
アナスタシアもそうだったのだろう「お母様の……」と小さく呟いた声が聞こえた。
少し、胸が痛む。
ローランドは話すべきか迷ったが、言葉を続けた。
「三カ月の懲役刑と罰金、それが彼らに科せられた刑だ」
「それは……内容に比べて重いのでは?」
「そうだとも」
頷いてローランドは話す。
「批判を認める事は、自分達の行動を過ちとして認める事だ。それが『負けだ』と考える者は少なくない。平民を下に見ている貴族も同じだ。……この記事に書かれた処罰とは、そういう話だ」
アナスタシアは言葉を失った。心なしか青褪めているようにも見える。
ローランドは立ち上がると、彼女の前に歩き、膝をついて視線を合わせた。
そしてその肩に手を置く。
「アナスタシア。レイヴン伯爵家にまつわる全てを、君だけが受け止める必要はない」
本当に責任を感じるべきは、当時の大人達だとローランドは思っている。
しかし彼らは今も、自分達の行いを見つめ直す事はせず、責任逃れをしている。
その事がローランドには腹立たしく感じられた。
責任を取るべき大人達が何もせず、まともに教育を受けていないアナスタシアはそれを感じ過ぎている。まだ十歳の子供がだ。
「過去は過去だ。遡る事は出来ない。大事なのはこれからだ」
「これから……」
アナスタシアが顔を上げる。ローランドは頷くと、
「そうだな。ひとまずは――――トロッコ(仮)もそうだが、発明を続けてみたら良い。君のアイデアは、きっと人々の役に立つ」
と言った。するとアナスタシアは少し元気が出たようで「やります!」と頷いた。
ローランドはその返事に微笑んで、
「ああ、そうだ。ライヤーから言われた通り、爆発はほどほどにな。私もまだ怒られる」
と冗談めかして言ってみせると、アナスタシアの顔にも笑顔が戻ったのだった。




