エピローグ 私が願うのは人だから
祝祭の火の最後のひと欠片が消えた頃には、周辺で顔を出していた危険種も消えていた。
ウィリアムの船は周囲の様子を一通り確認し終えると、海都の港へと戻る。
港にはローランドやジャック達以外に、海都の住人も大勢おり、先に港に戻った他の船の船員達を労っていた。
良く見れば、船に乗っていた人間には騎士らしい服装の人間もいる。海都に駐在している騎士も危険種の討伐に出ていたようだ。彼らはライヤーに向かって、申し訳なさそうな笑顔を浮かべていた事から、やはり皆揃ってヘルマン町長に協力していたのだなという事が分かった。
まぁ、その辺りの話は、後でローランド達が聞くだろう。
そんな事を思いながらアナスタシアは船を降りる。揺れない地面が心地よくて、降りて早々にぺたんと座り込んでしまった。自分で思っている以上に疲れているようだ。
それはアナスタシアだけではなくシズやガース、船上での生活に慣れているはずのウィリアムやトリクシー達も同様のようで、全員へろへろと地面に座り込んだ。
そこへローランドとヘルマンがやって来る。
「アナスタシア、無事のようだな」
「はい、皆さんのおかげです。ローランドさん達もナイスタイミングでしたよ」
「ナイスっつーか、ま、ギリギリだったけどなー」
ウィリアムがそう言うと、ヘルマンが「これでも限界まで急ぎました」と苦笑する。
そうしているとカスケード商会のカレンが、海都の飲食店一同を引き連れてやって来た。
彼女達は腕に鍋やら、食器やらを抱えている。
「皆、お疲れ様! 腹減っただろう、美味いもん用意したから、たくさん食べとくれ!」
カレンは大きな声でそう言って、鍋のフタを開けた。
とたんに空腹を刺激するような美味しい香りが辺りに広がり、一同は歓声を上げる。
順番に配られたそれは、アナスタシアの元にもやって来た。
それは豪快に切られた魚がたくさん入ったスープだった。
「これが海の幸……!」
アナスタシアは感動の面持ちでスープを飲む。
今までに食べた事のない味にアナスタシアは目を輝かせた。
「美味しい!」
「喜んで頂けて何よりです」
疲れた様子だが、ヘルマンはそう言って笑う。
最初の印象よりずっと穏やかだ。
ローランドとヘルマンもスープを受け取ると、そのままそこへ腰を下ろした。
港のあちこちでは皆、お互いの健闘を称えながら笑顔でスープを飲んでいる。
ヘルマンはそれを眩しそうに見つめながら、
「……子供の頃に一度だけ、スタンピードに巻き込まれたことがありましてね」
と話し始めた。
「その時に助けて下さったのがベネディクト様でした。あの頃のあの方は、身分など関係なく、手を差し伸べて助けて下さった。あの方のようになりたいと、あの方の力になりたいと、ずっと思っていた。けれど……あの方は、変わってしまわれた」
ヘルマンはスープに目を落とす。
「この街にも孤児院がありましてね。ある祝祭の日に、そこの院長がたまたま海から上がってきた危険種を発見したんです。彼女は自分が何とかするから助けを呼んできてくれと孤児院の子供に頼み、一人で立ち向かった。……けれど、助けは来なかった」
「……何故?」
「"孤児の悪戯で祝祭を邪魔するのか"」
言葉を引き継いだのはガースだった。
彼はスープを飲みながら、淡々とそう言う。
「その孤児が訴えた相手が、ベネディクト様だったんですよ。世間を知らない孤児からすれば、上等な服を着て偉ぶっていれば、誰でも町長に見えましたからね。……助けを求める相手を間違えたんですよ、そいつは」
「……その子のせいではありません。私だって側近として海都にいたのに、その事を知って駆け付けた時にはもう、彼女は……」
静かに話を聞いていたローランドは「なるほど」と呟いた。
「だから其方は不正に手を貸した、と」
「ええ。ベネディクト様の力を削いで失脚させるための一番の方法は、それでしたから。あの方を一緒に引きずり落とすために、わざと不正の証拠を残して隠した。あれを探して見つけ出せるなら、その方は本当に、レイヴン伯爵領を救って下さる方だと信じていました」
そう言ってヘルマンは空を見上げる。
満天の星の中に、白く輝く星が見える。その星を見つけてヘルマンは微笑んだ。
「覚悟は出来ています。あなた方がいれば、海都はもう大丈夫だ」
その横顔を見てから、アナスタシアは同じ様に空を見上げた。
宝石を散りばめたような夜空から、真珠の星が見守っている。
「……なら、もう一つ、覚悟してみたらどうでしょう?」
「え?」
「不正はありました。けれどまだ国に見つかってはいません」
ヘルマンは首を傾げる。
アナスタシアは朗らかに笑って、ローランドの方を見た。
「ね、ローランドさん」
「なるほど」
何を言わんとしているのか理解して、ローランドが苦笑する。
仕方ないなと言うよりも、確かにそうだな、という意味合いが強い表情だ。
「アナスタシア様、ローランド様。それはどういう……」
「不正はあった。しかしまだ国に報告はしていない、と言ったのだ。……まぁ、全てをなかった事に、というわけにはいかないが」
「はい。ですので、それを含めてヘルマン町長には、これからも海都の町長を頑張って頂けたらと」
「え? え、あの……」
二人から告げられた言葉にヘルマンは驚く。
そして交互に二人の顔を見比べて、どう答えたら良いのかと困り顔になった。
気が付けば先ほどまで賑やかであった周囲は静かになっていて、視線はここに集まっていた。
「私は海都を守ろうとする人が、町長であって欲しいです」
「――――ですが、ですが、私は」
そう言う訳にはいかないと、ヘルマンは眉を下げる。
根が真面目な男のようで、どんな理由であれ不正に関わった自分がそのまま町長の座にいる事に、抵抗感があるようだ。
そんなヘルマンに助け舟を出したのがジャックだ。
糸目の商人はカラカラと笑って、
「いいじゃありませんか、町長。くれると言うなら貰っておけば」
と、しれっと言った。
「ジャックさん……」
「そうですよ、町長。今更、あんた以外の誰かが町長になったら、やりにくくて仕方がありませんし」
「そーそー。元・海賊の俺達に仕事を斡旋してくれるあんたがいなけりゃ、またしばらくおまんまの食い上げだ」
「あら、それは困るわ! って事で、ヘルマン町長、頑張って!」
後押しするように、カレンやウィリアム、トリクシー、その場にいた人々が口々に言う。
ヘルマンは泣きそうな顔で俯く。
「……私は罪を犯したのですよ。それを見逃して良いのですか?」
「確かに罪を見逃す事は、真っ当に生きてきた者達に対して失礼な事だ。しかし世の中には上手い言葉がある」
ローランドはそう言って、アナスタシアを見る。
アナスタシアはにこりと笑い、
「「時と場合による」」
二人揃ってそう言った。
あまりに息がぴったりで、シズとライヤーが噴き出す。ロザリーがくすくす笑い、ガースも小さく笑っている。
ヘルマンが驚いて顔を上げると、アナスタシアはその目を真っすぐに見つめた。
「罪を罪で止めようとする事は、もちろん罪です。けれど、それならば私も同じです。罪は嘆くものではなく、償うもの。そしてあなたは十分、そうであった」
そこまで言うとアナスタシアは立ち上がる。
体が重くて、少しふらついてしまったけれど、それでも両の足をしっかりと地面につけて。
ヘルマンの前へ歩くと、改めて真正面から海都の町長である男を見た。
「知りたいと思った私達に、あなたは、あなた方は本気で伝えてくれた。守りたいと願うだけではなく、その行動を示してくれた。本気には本気を返します。あなたの行為を、レイヴン伯爵領は認めます。これからも町長を務めて下さると、とても嬉しいです。――――お願い致します」
アナスタシアはヘルマンに向かって頭を下げた。
ローランドは止めなかった。これは必要で、大切な事であると判断したからだろう。
頭を下げられて驚いたのはヘルマンだ。何が起きたのかと大慌てで立ち上がる。
「やめてください! そんな、こんな私に、頭など!」
「星に願うなら見上げるでしょう。けれど私が願うのは人です。礼節なくして、何を願えましょうか」
ヘルマンは息を呑み、目を見開いた。
その目に熱いものが込み上げて、端から零れた。
そして。
「こんな……こんな私で、良いのなら。必要として下さるなら。こちらこそ、どうかよろしくお願い致します」
ヘルマンはそう言うと、アナスタシアよりもっと深く頭を下げる。
ローランドがほっと表情を緩め、見守っていた人々がわっと歓声を上げた。
その声の中、二人は同時に顔を上げる。お互いに浮かべているのは笑顔だ。
アナスタシアが手を差し出すと、ヘルマンはしっかりと握り返した。
「おぉーし! 話がまとまった事だし、野郎共、胴上げだ!」
それを見てウィリアムがそんな事を言い出した。
アナスタシアとヘルマンが「えっ」と聞き返すより早く、ウィリアムとトリクシーを筆頭とした一同が突撃してくる。
「あ、おい! 危ないから! ちょっと!」
「ちょっと待て! お嬢さん、潰れるから!」
その勢いにシズとライヤーがぎょっとして、大慌てで引き離しに入る。
少し離れていたロザリーとガースはそれを見て「大変だなぁ」なんて呑気な感想を呟いていたところ、
「あら、あんた達、他人事ね?」
「え?」
「こういう時は、混ざるものよっ」
なんて良い笑顔のカレンに襟首をつかまれて、輪の中に放り込まれた。見た目以上に力が強い。
ロザリーとガースはあっという間に巻き込まれ、もみくちゃにされていく。
止める間もなく続く騒ぎに、見守っていたローランドは、
「……こんな賑やかな祝祭は初めてだ」
と楽し気に笑う。そこへ酒瓶を持ったジャックが近づいてきて、グラスを差し出した。
「海都の祝祭は、いつもこんなもんですよ。……ローランド様もどうです? リシュリー酒造の中でも度数がそんなに高くない奴です」
「ふむ、頂こう」
ローランドがグラスを受け取ると、ジャックはそこへ酒を注ぐ。
グラスの中の美しい琥珀色の液体は、夜空を映しキラキラと煌めく。
「まるで星のようだな」
「ええ、綺麗でしょう。人が作る星ですよ」
二人はグラスを夜空に向けて軽く掲げる。
琥珀色の向こうで、アナスタシアとヘルマンが、胴上げされるのが見えた。
楽しそうに笑うアナスタシアを見て、ローランドは満足そうに微笑んでグラスに口をつける。
「…………これ、意外と強くないか?」
「リシュリー酒造の中でも、ですよ。まぁ、もともとリシュリー酒造って強めですからね。水もありますよ」
「頂こう」
賑やかな祝祭の夜は、まだまだ続く……。
第三章 END
これにて、第三章「海都の悪役達」は完結となります。お読み頂き、ありがとうございました!
実は三章のタイトルはギリギリまで悩んでいました。「嫌われ者達」や「商人達」などなど、色々考えた結果「悪役達」に落ち着く形になりましたが、彼ららしさを上手く伝える事が出来ていたら幸いです。
第四章については、またお時間を頂いたのちに投稿して行きたいと思います。その際には、またお付き合い頂けましたら嬉しいです!




