第十七話 あなたを諫める必要がある
逃げるフランツとアレンジーナ、それを追うアナスタシア達。
昼過ぎのゆったりした時間帯に突然始まった追いかけっこに、道を歩いていた人々が何事かと目を丸くしている。
フランツとアレンジーナも必死に走るが、追いかけているのは騎士である。アレンジーナだけらなばまだしも、フランツの体力では直ぐ追いつく事が出来るだろう。
アレンジーナもそれを理解しているからか、先ほどローランドから鍵を奪ったワイヤー――――よく見ればフックもついていた――――を使って、周りの木箱や石などをシズ達に向けて飛ばしてくる。
あくまで冷静に、的確に。
それを見てローランドが「上手いな」と呟いた。
「アレンジーナさんは、確か釣りが趣味だと言っていた覚えがありますね」
「なるほど、それはなかなか良い趣味だ」
走りながらそんな話をしていると、二人の後ろを走るガースが「私、先回りしますよ」と言った。
「可能なのか?」
「海都は庭みたいなもんですからね。ロザリー、手伝ってくれ」
「いいけど、何する気?」
「ほれ」
そう言うとガースは懐からクルミのような木の実を取り出した。
それを隣を走るロザリーに投げて渡す。
ロザリーは木の実を見て目を瞬いた。
「『啄みの実』じゃない! あんたこれ、いつの間に」
「船にあったんで貰って来た。大方、パイにでもするつもりだったんだろ」
「ナイスね! お嬢様、ちょっと行ってきますね!」
ロザリーは明るい声でそう言うと、ガースと二人、横道へと駆けていく。
アナスタシアは走って行く二人の背中を一度見てから、再び前へと視線を戻す。
「何をするんでしょう?」
「さて。啄みの実と言っていたが」
「啄みの実と言うと、沼地に生える低木の実でしたっけ?」
「ああ。以前に食べてみたが、苦くてまずい。何故あれが、加熱すると甘くなるのか不思議なものだ」
思い出したのか眉間にシワを寄せるローランド。
どうやら啄みの実は火を通すと甘くなるらしい。
ローランドが何故そのままを食べてみようと思ったのかは謎だが、だが、まぁ、しかし。
ロザリーとガースが、あれを使って料理をするつもりでないのは確かだ。
「料理でないなら何に使うんでしょう?」
「ああ、確か呪術の媒介になるのではないか? 確か効果は……」
ローランドが言いかけた時、前方――フランツ達の進行方向より前から、彼らに向かって紫色の光が伸びてきた。
「――――『鈍足』」
◇
紫の光に体が包まれたとたん、フランツとアレンジーナの動きが見るからに鈍くなる。
まるで重いものでも引きずっているかのように、足が遅くなった。
「何だ、何なんだこれ!」
「あちゃー、これ魔法……っていうか今の光の色具合だと呪術かな」
フランツがぎょっとし、アレンジーナが舌打ちする。
彼らの目の前には、先回りしたガースとロザリーが道を塞ぐように立っている。
普段ならばアレンジーナとてフランツの護衛を兼ねた従者だ。戦闘経験の浅そうな二人の相手くらい難なくこなせるはずだ。
けれども今はそうではないし、回避してどこか別の道へ入ろうにも、その先には海都の人間が様子を見に集まっている。
そして後ろからはシズとライヤー、ウィリアムだ。
ついに二人は足を止めた。それに合わせて、追いついたシズ達も足を止め、剣を構える。
フランツは焦った様子で周囲を見回し、海都の人間に向かって怒鳴る。
「おい、お前達! 見ていないで助けろ!」
「無理ですよ坊ちゃん、だって、あたしらの方が悪者ですからねぇ」
「え?」
そんなフランツに対し、アレンジーナは涼しい顔で首を横に振った。
フランツは言っている意味が分からなかったようで、困惑した顔でアレンジーナを見上げる。
「な、何を言っている、アレンジーナ!?」
「フランツ坊ちゃん。祝祭の火の説明は、家庭教師の先生から受けたでしょう?」
「受けたが……」
「あれはガチの奴です」
「え?」
はっきりとそう言われ、フランツは目を白黒させる。
そんなフランツを静かに見下ろし、アレンジーナは淡々と続ける。
「スタンピードの恐ろしさを、坊ちゃんは知らない。ひとたび起これば、あれはただの危険種より確実に、人を殺す」
諭すように、教えるように。
ただ事実であると告げるアレンジーナに、フランツの額からたらりと汗が落ちた。
「何故。何故、今……お前、どうして」
「…………」
その問いにアレンジーナは答えない。
フランツは信じられないと言うように首を振り、バッと右手を振り抜く。
「馬鹿な! お祖父様が嘘を仰るわけがない!」
「嘘は仰ってませんね。確かに海都でスタンピードはしばらく起きてない」
「なら!」
「だって祝祭の火が打ち上げられていたから」
アレンジーナの言葉にフランツは一縷の希望を砕かれる。
それでもまだ信じられないと、顔を歪ませ必死で言葉を紡いだ。
「……スタンピードが起きないから、祝祭の火は必要ないと」
「起きてからじゃ手遅れって話なんですよ、坊ちゃん」
普段のへらへらした様子は鳴りを潜め、アレンジーナは言う。
フランツは一瞬、傷ついた顔になった。従者から信じているものをこうも否定されると思わなかったのだろう。
アレンジーナはフランツを見つめたまま、問いかける。
「どうしますか?」
「…………」
その言葉に、フランツは手の中の鍵を見つめた。
祝祭の火の鍵。
スタンピードを防ぐための手段。
フランツはしばらくそれを見つめ、そして、握りしめた。
「祝祭の火は、必要、ない。お祖父様が仰ったんだ。お祖父様の言う事に間違いはない。……父上は、お祖父様に逆らったから、あんな風になってしまった。だから……だから、お祖父様が言う通りに、すれば」
「…………そうですか」
フランツの答えに、アレンジーナはどこか悲しそうに呟いた。
そうしていると、ようやくそこにアナスタシアとローランドが追いつく。
「二人とも、大人しくしなさい」
「…………断る。僕はフランツ・レイヴン。レイヴン伯爵家の三男で、祖父ベネディクト・レイヴンの使者としてここへ来た。ベネディクト・レイヴンより正当な依頼を受けて、こうしている。僕の邪魔をするお前達こそ、罪に問われる事になるぞ!」
フランツが強い口調でそう言うと、アレンジーナが腰に下げたレイピアを抜き、一歩前に出た。
表情はすでに元のへらりとしたものに戻っている。
「――――と、主人が言っておりますのでぇ」
ワイヤーを左手に、レイピアを右手に。
「ま、ちょいと抵抗させてもらいますね?」
そう言ってウィンクをした。
従うつもりはないと態度で示す二人。
アナスタシアは息を整えながら、真っ直ぐにフランツを見た。
「フランツ兄様、鍵を返して下さい」
「……アナスタシア」
フランツはアナスタシアを見る。
初めてまともに目が合ったな、とアナスタシアは思った。
しかし最初に会った時と比べると、その瞳に力がない。常にあった嫌悪感ではなく、どこか怯えが混ざっているようにアナスタシアには思えた。
フランツは渋面になりながら、
「……お前も、僕が間違っていると言うのだろう?」
とアナスタシアに問いかけた。
何だか拗ねたような言い方だな、とアナスタシアには感じられた。
「結果論ですね。これから先に何が起こるか分かりませんので、今の兄様が間違っているかどうかは判断できません」
「それは卑怯な答えだ」
答えると非難めいた口調でそう返された。
なるほど、そうかもしれない。
けれどアナスタシアは悪びれもせず、
「そうですね。でも兄様は私の話を聞かないでしょう? 聞く気がない人に、届かせる言葉を私は知りません」
と肯定し、そう言い放った。
するとフランツが驚いたように目を見開く。アレンジーナも意外そうに目を丸くしていた。
そんな二人にアナスタシアは続ける。
「けれど、それでも、家族の括りでしたので。そういう意味では兄様のやることを、力づくで止めます」
「か、家族……!? お、お前、僕が嫌いじゃないのか!?」
アナスタシアの言葉に、フランツが上擦った声を出した。
ぎょっとして一歩後ずさり、どう反応すれば良いのか分からないという顔をしている。
しかしアナスタシアは、
「好きではありませんよ」
とはっきり言い切る。フランツとアレンジーナ以外の全員が「スッパリしているなぁ」と思った。
シズとライヤーなんて苦笑している。
もはや訳が分からないフランツは、若干涙目になっていた。
「な、何なんだ! なら何で、そんな!」
「――――私はこの三年間、一度も身内を諫めませんでした。環境がどうでも。事情がどうでも。それが事実で、それが私の罪です」
「……罪?」
「ええ」
アナスタシアは胸に手を当てる。
一度だけ目を閉じ、開く。スミレ色の目がフランツを射抜くように向けられる。
「あの日、ローランドさん達が来てくれた日から。そういう全部を真っ向からぶっ飛ばすと決めました。それが私の償いです」
「ぶっ飛ば、す……」
フランツはオウム返しに呟くと、アレンジーナを見る。
アレンジーナは振り返りはしなかったが、その目は少し優しい色をしていた。
「僕は――――」
フランツが何かを言いかけた時。
ふと、海の方から生暖かい風が吹いてきた。
何だと思ってそちらを見れば、空が赤黒い雲に覆われ始めたのが見える。
「何だ、この空は……」
目を細め、フランツが呟く。
不安を掻き立てるような、そんな色合いの空だ。
ローランドが「これは」と呟く。
その時、ガース達の背後から、
「スタンピードの前兆ですよ」
と男の声が聞こえて来た。
海都レインリヒトの町長、ヘルマンだった。




