第十五話 本当はずっと
賑やかな夕食を終えたアナスタシアは、再び甲板へと上って来た。
理由は二つ。夜の海はどんなものか見たかったのと、シーホースとまた会えないかなと思ったからである。
甲板へ続くドアを開けると、目の前に真っ黒な海と、満天の星が見えた。
陸地とはまた違った不思議な感覚だ。
アナスタシアが空を見上げていると、ヒュウ、と風が吹いた。
晩秋の夜の冷たい風だ。少し寒いなと思いながらアナスタシアは腕をさすり、辺りを見回す。
すると、ふと。船の縁に寄りかかったガースを見つけた。
ガースは手に琥珀色の液体の入ったグラスを持っている。確か夕食中に大人達が飲んでいた酒だ。
酒をちびちびと飲みながら、ガースは星空を見上げているようだった。
「ガースさん、風邪を引きますよ」
アナスタシアがそう声をかけながら近づくと、気付いたガースが顔を向ける。
それなりに酔っているようで、顔は少し赤かった。
「そりゃこちらの台詞ですよ。お嬢様こそ、どうしたんですか?」
「いえ、シーホースがいないかなと」
「また馬ですか」
ガースはやや呆れたように肩をすくませる。
対するアナスタシアは当然だと言わんばかりに頷いた。
「はい、馬です! ……あ、そうだ。ところでガースさん」
「何ですか?」
「帆に馬の模様を描いた船って、どこの物でしたっけ?」
「ああ、そりゃ国の船でしょう。ま、馬というか、天馬ですけどね。うちの国、翡翠の星が降り立って出来た国らしいですから」
アナスタシアの質問に、そうガースは答えた。
翡翠の星とは、左手に巻物を、右手にペンを持った星のことだ。知識の星とも呼ばれている。
この国クライスフリューゲルは、天馬に乗った翡翠の星が降り立った事で生まれたとされている。
アナスタシアも国の歴史について教わった時に、その事を聞いて目を輝かせたものだ。
翡翠の星と天馬については、またじっくり調べてみたいなぁとアナスタシアは思っている。
「急にどうしたんです?」
「いえ、ちょっと気になって。馬ですし」
「はあ……お嬢様、本当に馬がお好きなんですねぇ」
「ええ。馬は私の家族みたいなものですから」
「……家族」
アナスタシアがそう言うと、ガースがオウム返しのようにぽつりと呟いた。
「……お嬢様は、ご自分の家族の事って、どう思ってます?」
「家族?」
「ええ。レイモンド様とか」
そう問われたアナスタシアは「うーん」と腕を組んだ。
それから少し考えて、
「そうですね、好きですよ」
と答えた。
するとガースは意外そうに片方の眉を上げた。
「ずっと放って置かれたのに? エレインワース様達がした嫌がらせから、守ってもくれなかったのに?」
「そうですねぇ。でも私が父を好きでいる事と、父が私をどう思っていたかは別の問題ですゆえ」
父が母を好きだった事は分かる。けれど自分がどうであったかは、実際のところアナスタシアには分からない。
父は確かに自分に優しかったけれど、それは母と一緒だったからでもある。ガースの言う通り、愛情があったならずっと放ってはおかないだろう。
けれどそれでも、アナスタシアは父が好きだった。
だからそう答えると、ガースはハッと笑った。
「おっとなぁ」
「やったー!」
「嫌味ですよ」
「だと思いました」
アナスタシアがけろりとした顔で言うと、ガースは今度は「けっ」と悪態を吐いた。
酒が入っているせいで、いつも以上に態度が悪い。ロザリーやローランド達がこの場にいれば、咎めていた事だろう。
そんなガースは半眼になりながら、
「かわいくねぇ」
「そこは仕様ですので。まあ、でも……さみしくはありましたね」
「……そうですか」
アナスタシアの言葉に、ガースは少しだけ間を空けてそう言うと、再び空を見上げた。
夜空には星が輝いている。
ガースは人差し指を空に向けると、その中のひと際強く輝く白い星を指した。
「あの白い星、何だか知っていますか?」
「確か真珠の星、でしたっけ?」
「ええ。真珠の星です。……と、言われています。あの星に願えばいつか叶うと、あの人が――――イレーナさんが教えてくれた。ま、叶った試しはないですけどね」
そう言ってガースは肩をすくめた。
イレーナとは、先ほど彼らが教えてくれた、ガースの育ての親の名前だ。
元海賊で、孤児院長。ガースとウィリアムの話を聞く限り、慕われていたのだなという事は分かった。
「……俺を生んだ家族は、ずっと昔に、危険種に食われて死にました。情けなく泣いていた俺を、イレーナさんが拾って育ててくれた」
空を見上げたまま、ガースは話を続ける。
その空を、流れ星がつうと伝って消えていく。
「恩返しがしたかった。だから必死で働いたけど、世間じゃ孤児は厄介者で信用がない。そうしているうちにイレーナさんも死んで、残ったガキ共食わせなきゃって何でもやった。ウィルも手伝ってくれたが、頼りきるわけにもいかない。だから真っ当じゃない事もやった。そうしなきゃ孤児だけじゃ、まともに食っていけなかった」
ガースは手に持ったグラスの酒を飲む。
琥珀色の液体が、夜空の星に照らされてキラキラと揺れた。
「……そんな時にジャック会長とカレンさんに出会った。あの人達は孤児だろうが何だろうが、努力をすれば、結果を出せば、平等に……平等に認めてくれたんだ」
話しながら、グラスを握るガースの手に力が籠る。
「俺は」
言いかけて、ガースはいったん言葉を区切った。
顔を見れば何かを堪えるように唇をかんでいる。
苦しさと、情けなさと、悲しさと――そんな感情がぐちゃぐちゃに混ざった表情だ。
ガースは一度、大きく息を吸った。感情を抑えるように、飲み込むように。
けれど酔いが入ったそれは、そうは簡単に収まってはくれない。
「俺は、本当はずっと、カスケード商会で働きたかった。結果を出して、ジャック会長に認められたかった。役に立ちたかった。もっと、もっと……商会の力に、なって。利益を出して、金を稼いで、育ててくれたイレーナさんが守りたかったものを守りたかった。ジャック会長に、恩を返したかった……!」
ついに感情が堰を切ってガースの目から零れ出した。
ガースは服の袖で強く目をこする。けれど一度緩んだそれは、なかなか止まらない。
「あんたのせいじゃない。ロザリーのせいじゃない。俺が、俺が焦って、俺の全部、ぶっ壊した……!」
ああ、とガースは息とともに吐きだす。
「……退職届なんて、出したくなかったなぁ……!」
空を見上げたままのガースの目の端から、ボロボロと涙が零れ落ちる。
アナスタシアは少し迷ったあと、ガースの背中を手でポンポンと優しくさすった。
「ガースさん、今度は対等です。ジャック会長も仰っていた通り、手加減なんてしてくれません」
「………」
「商売は利益を留めるものではなく、世の中に回すものだと私は考えます。対等の立場であなたが回した利益は、巡りまわってカスケード商会にも届きます。――――届かせてください」
アナスタシアが見上げながらそう言うと、ガースは目を大きく見開いた。
それから顔をアナスタシアに向ける。
「……商人でもないくせに、商人みたいな事を言う」
「ええ、だって私、クソガキですから。それに失敗は成功の星とも言うでしょう」
アナスタシアはにこりと笑い、その指先を空に輝く白い星に向ける。
星に、願えば。
ガースは言葉にぐっと言葉に詰まったあと、残った酒を一気に飲み干す。
そうして船の縁から背を離し、
「寝ます!」
「はい、おやすみなさい」
「おやすみなさい!」
なんて、照れ隠しのように、まるで怒鳴るようにそう言うと走って行った。
アナスタシアはそれを見送った後、もう一度、空を見上げてから、甲板を後にした。
――――そんなやり取りがあった甲板の、ちょうど反対側。
そこに同じように船の縁に背を預けて、ロザリーが立っていた。
甲板で酒を飲んでいたガースを見かけて、うっかり落ちないか心配して様子を見ていたのだ。
何だかんだで出るタイミングは逃したが、ある意味で、良かったのかもしれない。
ロザリーは空を見上げ、
「…………ほんっと、ひねくれてんだから」
仕方ないわね、と小さく笑った。




