第十一話 いつまでも領主気分では
ベネディクトの指示。
ヘルマンの口から出てきたのは、アナスタシアの祖父の名前だ。
しかし、それはおかしい。ベネディクトの指示とヘルマンは言ったが、一年前ならば領主はアナスタシアの父であるレイモンドだ。
もっとも、その頃にはまともに仕事をしていたのかは怪しいが、それでもベネディクトが領地の経営について自由に出来る権限があるとは考えにくい。
もし権限があって、領地を守る気概もあれば、エレインワースに好き勝手させはしなかっただろう。
何よりベネディクトの指示は、海都の人々を守るためとは逆のものだ。
ヘルマンの主張を聞く限りでは、ベネディクトもスタンピードの事を『知らなかった』はないだろう。
ローランドがすっと目を細める。
「なるほど、ベネディクトの指示か。主からの命令であれば、聞かぬ訳にはいかないと」
「ええ、そうでございます」
「だがそれは町長の考えではないな」
気を良くした風のヘルマンに、ローランドはぴしゃりと言い放った。
ヘルマンは思わず息を呑んだ。
「……何ですって?」
「思い違いをしているようだが、ベネディクトにそのような権限はない」
「ローランド様、あなたはあのお方を馬鹿にしていらっしゃるのですか?」
「そうではない。だがベネディクトは、もう二代前のレイヴン伯爵だ。指示だ何だと、いつまでも領主の気分でいてもらっては迷惑だ」
「失敬な!」
ローランドの言葉に、ヘルマンが声を荒げる。
しかしローランドはそんな彼を静かな目で見据え、
「失敬か。……では逆に聞くが、それほどまでに影響力があると言うのならば、ベネディクトはこの三年間、何をしていた?」
「何を、とは?」
「前レイヴン伯レイモンドが仕事を放棄し、第一夫人であるエレインワースが好きにやっていた間。領民が『助けてくれ』と言っている間に、一体何をやっていたのかと聞いている」
「そ、それは……私はすでに側近ではなく、海都の町長でしたから……」
「知らないと。指示を受けるほどに懇意であるにも関わらず、何をしていたのか欠片も知らぬとは、おかしな話だな」
ローランドは淡々と言う。
そして口ごもったヘルマンを鼻で笑った。
「ところで、ヘルマン。話は戻るが、昨年から祝祭の火を取りやめたと言っていたな」
「……ええ。それが、何か?」
「では、この一年に海都の祝祭にかかった費用と、それ以前の費用の報告書にほとんど違いが出ていないのはどういう事だ?」
「――――」
ヘルマンは目を見開き、ぶるぶると震えたあと「それは……」と俯いた。
周りから見ればそれは、必死で言葉を探しているようにも見える、情けない姿だった。
しかし――――。
(……おや?)
アナスタシアには少し違う風に感じられた。
視界が、ローランド達より低いからかもしれない。
アナスタシアの目線からは、ふと、ヘルマンの口元がほんの少し、上がったように見えたのだ。
何故、と思うアナスタシア。
ほぼ同時にローランドは話を続け始める。
「ヘルマン。浮いた金の行先については、これから調査に協力してもらう事になる。だがそれよりも先に祝祭の火だ。秋の祝祭では必ず、祝祭の火を打ち上げるように」
「…………はい」
ヘルマンは掠れた声でそう言うと顔を上げた。
その時には口元は上がっておらず、笑顔など欠片も浮かべていない。
むしろその正反対だ。
(見間違いだったのかな……)
白くなった顔を見上げて、そうアナスタシアが思っているとローランドが、
「祝祭の鍵はどこに保管している?」
と聞いた。ヘルマンは立ち上がり「……こちらです」と、歩き始める。
アナスタシア達も立ち上がり、その背を追った。
◆
ヘルマンに案内されたのは、役所の三階にある町長の執務室だ。
広く整頓されたその部屋へ入ると直ぐに、海都の街並みを一望できる、大きなガラス窓がアナスタシア達の目に飛び込んできた。
執務室にはバルコニーが併設されており、そのガラス窓を開けると出られる仕組みのようだ。
ガラス窓から右手に視線を移すと、奥に執務机がある。
仕事をしながら、海都の様子を見る事ができる造りのこの部屋は、なるほど町長の仕事場所として相応しいものだった。
良いなぁなんてアナスタシアが思っていると、ふと、執務机の一角に目が停まった。
机に飾られた花瓶だ。
そこには黄色の花――海都を望む丘で見た、あのハルモニアの花が飾られていた。
陽だまりの中で咲く黄色の花は素朴で可憐で、そしてどこか温かい。
花瓶の隣には、同じく黄色の宝石ついた指輪が置かれていた。華奢な作りのそれは男性物と言うより、女性物のように感じられる。
誰のものだろう――そんな事を考えていると、
「鍵はこの中にあります」
と、ヘルマンの声が聞こえた。
ハッとして意識をそちらへ戻すと、ヘルマンが金庫を指しているところだった。
ダイヤル式のそれをカチリカチリと回して開けると、ヘルマンは中から鍵を一つ取り出した。星の意匠に青い石のついた鍵だ。
あれが祝祭の鍵なのだろう。
祝祭の鍵はただの鍵とは違う。共鳴石同様に【一対の魔法道具】に分類されるものだ。祝祭の鍵と祝祭の砲台の二つが揃って初めて使用できる。
そしてこれらは王が海に面した各領地の領主に与え、そして領主がそれぞれの海都の町長に管理を任せたものである。
とは言え、その二つがあればいつでも『祝祭の火』を打ち上げられるわけではない。
人が星に感謝を捧げる祝祭の日に打ち上げるからこそ、星の祝福を得てスタンピードを防ぐ効果を持ち、『祝祭の火』となるのである。
そんな大事な鍵だ、さすがに乱雑には扱っていなかったようで。
ヘルマンは大事そうにそれを持ち、ローランドに差し出す。
――――その瞬間、バルコニー側の窓から、何者かがガラスを突き破って飛び込んで来た。
「!?」
すぐさま反応したのはシズとライヤーだ。
二人の騎士は剣を抜き、アナスタシア達を庇うように前へ出る。
逆光が襲撃者の姿に陰影を落とす。しかし、それでも何かの背に乗っているのは分かった。
ライヤーが「何者だ!」と怒鳴ると、襲撃者の口元がニッと上がるのが見えた。
しかし襲撃者は問いかけに答えない。
その代わりに、襲撃者はこちらに向かって何かを投げつけてきた。
筒のようなものだ。
それはライヤーとシズの目の前でポンッと音を立てて弾けると、ぶわりと白い煙を噴出する。
「煙幕!?」
「ロザリー、ガース! 監査官とお嬢さんを連れて部屋の外へ!」
あっという間に部屋中を覆う白い煙に、ライヤーが短く指示を飛ばす。
その声にハッとなったロザリーとガースは、ドアを開けようと振り返る。
しかし。
「いやいや、そう言うなって。もうちょっと付き合って貰わねぇとな!」
襲撃者がそう言った。
男の、どこかで聞いたような声だった。
(今の、聞き覚えが――――)
そう思ったとたん、アナスタシアは自分の体が、何かに包まれるような感覚を感じた。
ひんやり冷たく、柔らかい、膜のような何か。
水だ、と理解するより早く、アナスタシアの体はふわりと天井高くまで浮き上がる。
「わ!?」
慣れない感覚に戸惑っていると、アナスタシアを入れた水の玉はふよふよと移動し、襲撃者の頭上でパチンと弾けた。
落下したアナスタシアの体を受け止めたのは、襲撃者が乗っていた何かだ。
ひんやりとして、すべすべした、ちょっと濡れている何か。
この筋肉のつき方は馬っぽいなと、直感的にアナスタシアは思った。
「お前その声ウィリ――」
「ちょっと降ろしなさいよ!?」
やや遅れて水の玉が弾ける音が聞こえると、直ぐ近くでロザリーとガースが怒鳴っている。
どうやら二人もアナスタシアと同じ状況だったようだ。
「悪いがこいつらは人質として借りてくぜ、監査官さんよ」
「貴様、港にいた……!」
「じゃあ、後でな!」
男はそう言い放つと、そのまま馬を走らせて部屋を突っ切り、
「おい馬鹿待て、乱暴な――――」
何故か少し焦ったようなヘルマンの声が聞こえたが、それに構わず、
「イヤッホーウ!」
男は雄たけびを上げながら、割れた窓を突っ切って飛び降りた。




