第七話 海に並んだシーホース
海都レインリヒトはその名の通り、レイヴン伯爵領で唯一、海に面した港町だ。
ここでは他の領地との間で船を利用しての交易も盛んに行われている。そのためカスケード商会を始めとして、多くの商人達が拠点を置く街でもある。
そしてやはり、ここでも抜きんでているのはカスケード商会だ。
商会長であるジャック・カスケードの手腕がずば抜けているのだろう。
そんな海都の港の手前でアナスタシア達は馬車を停めた。
鉄製の白い柵を越えた向こうの数段下には船着き場が見える。
馬車を降りたアナスタシアは柵に駆け寄って、その先にある海に目を向けた。
青い空と青い海。
生まれて初めて感じる潮風と波の音に、アナスタシアの胸が高鳴る。
綺麗。すごい。広いなぁ。
キラキラと目を輝かせるアナスタシアを見て、少し遅れてローランド達とやって来たガースは片方の眉を上げる。
「海都はお気に召しましたかね、お嬢様?」
ややおどけた調子と声色に「おのぼりさん」的な意味合いを察知したロザリーが、すかさず肘内を食らわせる。だがガースは今度はサッと避けた。ニヤリと笑うガースに、ロザリーはきいっと目じりを釣り上げる。
ガースはやり遂げがような満足げな顔になった。
しかし――――。
「はい。海ってすごいですね! 海都もきれいです!」
残念な事にアナスタシアにはこれっぽっちも伝わらない。
元気な声でそう返されたものだから、ガースは面食らった顔になった。
「何が伝わって、何が伝わらないのか分からない……」
「奇遇だな、私もだ。だがそれが理解出来たなら、あまりからかわぬ事だな。度が過ぎると良からぬ事が起きるぞ」
ガースがそう呟くと、ローランドは自身の背後を視線で示した。そこではシズがにこにこと笑顔で剣の柄を軽く叩いている。
まぁ、しないだろうが。
それでもガースは「ひいっ」と青ざめた。
そんなガースを他所にアナスタシアは、
「ところでロザリーさんが教えてくれた馬は、どの辺りでしょう?」
と言ってきょろきょろと辺りを見回す。
すると少し離れた場所から、
「あー、それはあそこだよ」
と声が聞こえた。顔を向けると、そこには顔も格好もやたらと派手な赤毛の男が、柵の上で腕を組んで寄りかかり、海を見ていた。
彼はアナスタシアの方を見てニッと笑うと、ひょいと海の方を指さす。
その指の先を目で追っていくと、沖に少し出た辺りの海に、深い青色の毛並みの馬がずらりと並んでいるのが見えた。波が揺れるたび、馬の後ろで魚の尾ひれのようなものが跳ねているのも確認できる。
それを見てアナスタシアは、昔馬が教えてくれた話を思い出す。
「シーホース!」
「お、良く知ってるねぇお嬢ちゃん。ああ、そうさ、あれはシーホース。真珠の星から遣わされたメッセンジャーさ」
声を弾ませたアナスタシアに、派手な男は笑ってそう言った。
真珠の星とは左手に三つ又の銛を、右手に水瓶を持つ女神の事だ。
船首で船を守る女神像のモチーフにもなっている。また夜空に輝く白色の星がそうだとも言われている。
ちなみに商人の神である琥珀の星の妹でもあったりする。
「つまり真珠の星からのご伝言を何か預かってらっしゃると?」
「そうそ。まー、何言ってるのか全然分からねぇんだけどよ。一週間前から現れて、ああやって船を出させないようにずーっとあそこで佇んでんだ」
「なるほど……しかし、出航の邪魔をしているというのが解せないな」
「ふむ。……ところで皆さん、シーホースは半分は馬です」
アナスタシアがそういうと、ローランド、ライヤー、シズの四人はハッとした顔でそれぞれの腕のブレスレットに目を落とした。
シーホースは半馬半魚の体を持った生き物だ。全部が馬というわけではないけれど、半分は馬である。
このブレスレットでユニコーンの声も聞こえたのだ、シーホースが半分でも馬に分類されているならば、聞こえるかもしれない。
揃ってブレスレットを見た四人に派手な男は首を傾げたが、特に追及する気もないようで、
「……ま、あれが出てくるってのは相当な事だと、危機感は抱くべきだよなぁ」
などと、ぼやくようにそう言った。
物騒な物言いだ。何か起こるのだろうかとアナスタシアが思っていると、
「あー! いた、ウィルー! ウィリアムー!」
と、遠くから可愛らしい風貌の女の子が手を振りながら走ってきた。歳はアナスタシアと同じくらいだろうか。ポニーテールにしたふわふわした金髪が揺れて、さながら仔馬が跳ねているようである。思わずアナスタシアの目が釘付けになって、それに気付いたローランドはどこか残念な物を見る眼差しになった。
少女はアナスタシア達に構わず、一直線に派手な男の方へ駆け寄る。
ウィリアムと呼ばれた派手な男は「げっ」と一瞬顔をしかめた。
「もー、探したじゃないのー! 時間よ、じーかーん! 淑女をいつまでも待たせるものではないわっ」
「淑女って……トリクシー。ロープ伝ってマストに登る淑女がどこにいる」
「ここにいるわ!」
トリクシーと呼ばれた少女はどーんと胸を叩く。自信満々の彼女にウィリアムは肩をすくめた。
二人の会話を聞いたローランド達は思わずアナスタシアを見る。
(屋根に登る淑女ならいるなぁ……)
先日、大喜びで登っていた姿が三人の頭に浮かぶ。
彼らから向けられる視線に気づいたアナスタシアだったが、理由までは理解できず首を傾げた。
そんな彼女達の心情を他所に、トリクシーは腰に手を当ててウィリアムを見上げる。
「それよりも時間よ、ウィル。お仕事よ、お仕事! 約束の時間を破るのはダメよ!」
「分かった分かった」
「分かったならよろしいわ!」
「どういう言葉遣いだっての。……さて、それじゃあな、お嬢さん達。海都観光しっかり楽しんでくれよ~」
ウィリアムはそう言うとアナスタシア達にひらひら手を振り、トリクシーと共にどこかへ歩いて行った。
何とも賑やかな二人組だった。
その勢いにポカンとしながら、遠ざかっていく二人の後姿を眺めていると、
「……あいつ、何で」
とガースが目を細めてそう言った。
「お知り合いですか、ガースさん」
「え? あ、ああ、ええ、まぁ。……海都の人間なら大体覚えていますので」
「この広さなのにか?」
「商売で歩き回れば、顔を覚えるくらいは簡単ですよ」
驚くローランドにガースは何を言うのかと肩をすくめた。
「ガースさんすごいですね。私、馬の顔は直ぐに覚えられますけれど、人間の顔は一度見ただけではダメです」
「比較対象が何故、馬……?」
「まぁ、アナスタシアだからな……」
「うん。アナスタシアちゃんですからねぇ」
「いや、何で納得しているんですか? あれ? これ私がおかしいんです?」
ぎょっとするガースだったが、ローランド達の反応はとても落ち着いたものだった。
慣れとは怖いものである。
逆に訳が分からないといった様子のガースの反応が新鮮で、そう言えば普通はこちらだったな、とローランドは思った。
「まぁそれよりも、先ほどの男の言葉も気になる。試してみたいが……」
「さすがにここからだと遠いですね。あとで船を借りられないか、交渉しましょう」
「はい!」
「お嬢さん、嬉しそうだなぁ」
「シーホースとお話するのは初めてですゆえ!」
元気に返事をしたアナスタシアに、思わずと言った様子でローランド達が笑う。
それからローランドは懐から懐中時計を取り出し「……ふむ。そろそろ時間だな」と言った。
約束とは海都町長との面会の事だ。
アナスタシアとしては用事があるのはカスケード商会の方だが、順番的には先に会っておいた方が良いだろうとのローランドの判断である。
「それでは行こう」
シーホースの事は気にはなるものの、約束の方も蔑ろにするわけにはいかない。
ローランドの言葉でアナスタシア達は港を後にした。
――――のだが。
町長の待つ役所へと向かったアナスタシア達は、そこで思わぬ足止めを食らう羽目になる。




