第四話 自分の欲望にはわりと忠実
レイヴン伯爵家の末の御令嬢、アナスタシアは変わり者である。
それをローランドが実感したのは、彼が伯爵領を任されるようになってから直ぐのことだった。
その日、ローランドは朝食の時間になってもアナスタシアが姿を見せないので、何かあったのだろうかと彼女の部屋を訪れた。
だがノックをしても、呼びかけても、何の返答もない。
いよいよ心配したローランドが部屋を覗くと、そこにアナスタシアの姿はなかった。
どこに行ったのかと考えていると、通りかかった騎士のシズが、
「まさか……家出……!?」
なんて事を言い出した。
さすがに「それはないだろう」とローランドは思ったもの、やはり心配にはなる。
なので使用人に話を聞きながら屋敷の中を探していると、
「ああ、お嬢様は馬小屋へ行かれましたよ。何でも眠れないとかで……」
なんて、戻って来た使用人の一人が困った顔でそう答えた。
馬小屋。
そう聞いてローランドとシズの目が点になる。
そこで半信半疑で馬小屋へ向かってみると、藁の上で大層気持ちよさそうに眠っているアナスタシアの姿があった。
ローランドは頭を抱えながらアナスタシアを起こすと、彼女は寝ぼけ眼で彼を見上げ、ごくごく当たり前のように「おはようございます」とあいさつをした。
「ああ、おはよう……ではなく。君はどうして馬小屋に戻るのかね?」
「馬小屋が私のフィールドです。ここでならば負け知らず。入った時点で勝ったも同然です」
「何と戦っているのだ、君は」
「人生?」
「深い回答を返さなくてよろしい」
ローランドは深くため息を吐くと、腰に手を当てアナスタシアを見下ろす。
身長差のせいか、顔に影が掛かって見える。端正な顔であるためか、なかなかの迫力だ。
怒っているなぁとアナスタシアが何となく思っていると、周囲の馬達が何だか不機嫌そうな雰囲気になる。
アナスタシアをいじめるな、とでも言っているのだろうか。
蹄を鳴らす馬達にシズが「これはやべぇ」と若干青ざめた顔になった。
「ろ、ローランド監査官。とりあえず、ここを出ましょう。良く分かりませんが、馬が怒っていますし」
「馬? ……別に、普段通りだろう?」
「あなたの普段どうなってんです!?」
「やかましい、私は馬と相性が悪いんだ」
ローランドはそう言って口をへの字にした。
シズは「何へんな所ですねてんだ」と思ったが、立場が上の相手なので何とか我慢した。
「もしかして、ローランドさんは馬が苦手ですか?」
「……好かれた試しがないからな。まぁ、苦手だ」
ふむ、と呟いてアナスタシアは馬を見る。
それから何か思いついたように、馬小屋の奥の方へとことこと歩いて行った。
どこへ行くのかと思いながらローランドとシズが見守っていると、アナスタシアは何かを持って戻ってくる。
彼女の手に握られていたのは、ブレスレットのような青い石のついた装飾具だった。
「ローランドさん、これをどうぞ」
「ブレスレット? これが一体何だと……」
「私の作った発明品です。それを身に着けると、馬の言葉が分かるようになるんですよ」
「は?」
ローランドは聞き返した。シズもアナスタシアが何を言っているのか分からないという顔になる。
「う、馬の声だと?」
「はい、馬の声です。いやぁ、我ながらなかなか良い出来でして。これをつければ馬と意思疎通もばっちりです。というわけで、はいどうぞ」
「いや、はいどうぞ、と言われても……」
ローランドは渡されたブレスレットと、アナスタシアを見比べる。
それからちらり、と馬を見た。
馬は相変わらず不機嫌そうではあったが、アナスタシアが特に動じている様子がないので先ほどよりは落ち着いている。
「…………」
ローランドはもう一度ブレスレットを見下ろした。
そして、スッと腕にはめる。
「あ、つけるんだ……」
そういうタイプには見えなかったのだろう、シズは少し驚いていた。
ローランドがブレスレットをはめたことにアナスタシアは満足してにこにこ笑っている。
チャリ、と鎖が揺れる小さな音が鳴ったと思うと、ブレスレットの青い石が淡く光始めた。
『―――――うちの子に何するのよ、この人間!』
途端に、頭の中にそんな声が響いた。
ぎょっとしてローランドが顔を上げると、近くの馬と目が合う。
『何見ているのよ』
「…………いやその、別に。すまない」
思わずと言った様子でローランドが返答すると、馬は目を――恐らく――丸くした。
「……監査官?」
おずおずと声をかけるシズ。
ローランドはブレスレットを外すと、シズに向かって無言で差し出した。
シズは一瞬ぎょっとしていたが、とりあえずと言った様子で受け取って腕にはめる。
すると、同様の言葉が聞こえたのだろう。
ポカンと口を開けていた。
アナスタシアだけはにっこり笑うと、
「声、聞こえましたか?」
「……聞こえた。まだ信じられないが、聞こえた」
「そうですか、それは何より」
「……あれは、君が作ったと?」
「はい」
「どうやって?」
「こう、ちょいちょいどかーんと」
「君は感覚型か。出来ればもう少し語彙を増やして説明してもらいたい」
ローランドはこめかみを押さえ、アナスタシアを見下ろす。
アナスタシアは楽しそうに「良かった良かった」と笑っていた。
「…………ちなみに、他にも何かあるのか?」
「ありますよ。見ます?」
「ああ」
ローランドが頷くと、アナスタシアは「おまかせあれ!」と頷き、再び馬小屋の奥へと向かっていく。
それを見送るローランドにシズは、
「…………何が出てくるんですかね」
「見当がつかないが……これはなかなか恐ろしい事になりそうだ」
「そう言ってめっちゃ楽しそうですけれど」
「私はこういう物が好きだ」
「監査官って見かけよりフランクですよね……」
そんな会話をしていると、少しして、ガチャガチャと木箱に入った道具を揺らしながら、満面の笑みでアナスタシアが戻って来た。
『まだあるわよ』
ブレスレットをしたままのシズに、馬のそんな言葉が聞こえて「ひえっ」と声を上げたのは色んな意味で無理もない事である。