第四話 地の底だから底はある
「は?」
何を言われたのかと、ガースは怪訝そうにそう聞き返した。
意味は分かるが理解が出来ない。にこにこ笑うアナスタシアに、困惑極めたガースは説明を求めるようにローランドへ顔を向けた。
ガースの視線を受けたローランドは肩をすくめて、
「アナスタシアたっての希望だ」
と答えた。
アナスタシアの希望がどうこうとは言っているが、誘いを止めなかった時点でローランドは許可を出しているという事になる。
何がどうなってこうなったのか。
未知の生物に遭遇したような面持ちでガースは頭を抱えた。
「い、いや、馬鹿ですか? 本当何を言っているんですか? アナスタシア様、あなた、私がした事、覚えています?」
早口でそう捲し立てるガースに、アナスタシアは「もちろんです」と頷く。
何と言ってもアナスタシアも当事者だ。怪我こそしていないが、クロスボウで狙われた事も、敵意を向けられた事もある。
「ご自分で言う台詞ではないと思いますが、覚えています。クロスボウの命中率の精度を上げたらどうでしょう?」
「そ・りゃ・ど・う・も」
アナスタシアの言葉に、ガースは顔に笑顔を張り付かせたまま青筋を浮かべる。
ロンドウィックの時も思ったが、意外と感情が顔に出るタイプのようだ。
感情に正直な相手はアナスタシアは好きだ。どんな感情であっても、取り繕われて、愛想笑いを浮かべられるよりずっと良い。
そんな風に思いながら見ていると、ガースは少し落ち着いたようで、ふうと息を吐いた。
「――――で、雇うでしたか? 馬鹿なんですか?」
「二度言った」
「三度目も言いましょうか?」
「話が進まないのでストップだ」
だんだんと話が逸れそうになった時、ローランドは間に入った。
このままだと堂々巡りになると思ったのだろう。
ローランドは一つ咳ばらいをすると、ガースに向かって詳しい説明を始めた。
「これからレイヴン伯爵領では二つ、新しい事業を始めようと考えている。そのために商売の事を良く知る者が必要だ」
「それなら、そちらにはロザリーがいるでしょう」
「ロザリーも元商人だが、経験が浅い。それに規模を考えると一人では難しい。そこでもう一人雇おうという話になった」
「そこで私を? どれだけ人材不足なんです。とても正気とは思えませんね」
「確かに君の信用は地の底だが、商人としてだけを見れば問題ない」
「……監査官も言いますね」
すっぱりと言い切るローランドに、ガースは顔をひくつかせた。
ガースにしてみれば悪夢なのか何なのか判別につかない状況なのだろう。
そんなガースにローランドは話を続ける。
「それにカスケード商会の幹部の一席を担っていたのだろう。ロザリーからも商人としては優秀だと聞いている」
「私は三流ですよ。でなきゃ、あんな真似はしません。……それに、もはや私は商人ですらありません」
ガースは退職届を見下ろして、自嘲気味にそう言った。
その声にはほんのりと寂しさが滲んでいるようにアナスタシアには思えた。
退職届を見つめたままガースは、
「商人ではない私に用はないでしょう」
と言った。アナスタシアは首を横に振る。
「ありますよ」
「何?」
「ですから、用事があると言いました」
ガースはアナスタシアを見て、怪訝そうに片方の眉を上げる。
アナスタシアはにこりと笑う。
「ガースさんはカスケード商会とうちに、借金を返済する必要があります」
「借金? カスケード商会へは分かりますが……」
「保釈金です。ちなみにご安心あれ、無利子です」
アナスタシアの言葉に「うっ」とガースは軽く仰け反った。
保釈金とは言葉通り、捕まった人間を保釈するために支払うお金の事だ。
ガースを釈放する際にも、レイヴン伯爵家から保釈金が支払われている。
「……私は私のやり方で何とかします」
「どうやって? 領内ですでにあなたの噂は広がっていますし、今の状況では雇ってくれる場所を探すのは難しいと思いますよ。ゼロから何かしら事業を始めても、イチにするのは大変です」
「…………」
そこでガースは気が付いた。
かつてロンドウィックで自分が行ったのと似た方法で、アナスタシアに回り込まれている事に。
子供は周りの大人を見て色々吸収するとは言うが、どうやらレイヴン伯爵家の末のご令嬢も例外ではないようだ。
そう理解したガースは口元をひくつかせ、
「…………このクソガキ」
と地を這うような声を出した。
「はい、クソガキです」
「アナスタシア、喜ぶんじゃない」
何だか楽しそうな反応をしているアナスタシアに、ローランドは呆れたように半眼になる。
アナスタシアは「おっと」と手で口を押さえたが手遅れである。
ガースはもう笑顔を張り付けるのも止め、とても嫌そうな顔になった。
「……ローランド監査官もついていて、それですか」
「すでに十分に注意をした。デメリットも話した。その上で君を雇いたいとアナスタシアは言った。だいぶギャンブルだとは思うがな」
ローランドは苦笑しつつ、アナスタシアに顔を向ける。
当のアナスタシアは「だって」と笑う。
「腐らせておくにはもったいないじゃないですか。それにガースさんのお住まいはすでに差し押さえられているのでしたっけ?」
「ああ。さすがジャック・カスケード、その点は抜かりがない男だ。それでもロンドウィックへの補償には足りないみたいだがな」
「はい。というわけで住む場所もないでしょう? 今なら衣食住もつけますよ」
目まぐるしい勢いで入ってくる情報に、ガースは呆気に取られてポカンと口を開けたままだ。
要約すると「住み込みで働きませんか」という話である。
いよいよガースは参った様子で、
「…………馬鹿な」
「三度目ですね」
「……あんな事をした私を雇って、あなたに何のメリットがあると言うんです。マイナスの私を助けて、人気取りでもしようってんですか?」
「はて。そんなことで人気なんて出るわけないでしょう」
絞りだしたなけなしの嫌味を言っても、アナスタシアは涼しい顔だ。
もともと図太いアナスタシアには、この類の嫌味など全くと言って良いほど効かない。
何なんだ、このクソガキは。
もはやガースの心情はそれ一点であった。
「……ならばお慈悲と。それはずいぶんとお優しい事だ。ですが牢屋にぶち込まれた人間を雇ったりしたら、ボロッボロに評判が落ちますよ? それこそ地の底だ」
「底があるだけマシでしょう」
「――――」
アナスタシアの言葉にガースは目を見開いた。
思いがけない言葉に、声を詰まらせた。
(――――底があるだけ)
どん底で、半ば自棄になっていたガースにとって、その言葉は意外なものだった。
戸惑いながら、ガースはやっとの思いで言葉を紡ぐ。
「……言葉だけなら、どうとでも」
「けれど言葉を尽くせないなら、それはただの逃げです。まぁ難しいことは考えず。もう一度、這い上がってみませんか?」
アナスタシアには諦めるという言葉はないらしい。
何を言っても、どう嫌味をぶつけても「働きませんか」と誘いを止めないアナスタシアに、ガースは肩の力が抜けた。
「……ハハハ。断れない状況を伝えた上で、承諾を求めますか」
「いえ、他領に行けばレイヴン伯爵領での評判は気になりませんし。そちらで暮らしたいと言えば、止めるつもりはありませんので」
「逃げ道を提示して交渉する人がどこにいるんです。……後悔しても知りませんよ」
ガースはそこまで言うと、アナスタシアの方へ体を向ける。
先ほどまでとは顔つきが少し違って見えた。
そしてガースは、
「――――よろしくお願い致します、お嬢様」
と、深く頭を下げた。
雇用交渉成立である。
アナスタシアとローランドは顔を見合わせ頷きあった。
「……さて、話はまとまったようだな。それでは明日、海都へ向かう」
スッと立ち上がり、ローランドはそう告げる。
アナスタシアも同じように立ち上がった。
ぎょっとしたのはガースだ。
「は!? 明日ですか!?」
「君も言った通り、ジャックからは秋の祝祭に招待したいとも言われているからな。ああ、それと、その顔と格好はどうにかしておきなさい。マーガレット、よろしく頼む」
「かしこまりました、ローランド様。私達が腕によりをかけて料理致しますから」
「顔をどうにかする台詞じゃないですよね!?」
ガースはサッと青ざめる。
しかしマーガレット含めた使用人達は良い笑顔で、引きずるようにガースを連れて行った。
「顔をどうにかする料理……ニンジンを使いますかね」
「いや、ニンジンは使わないんじゃないかなー」
それを見送りながらポツリと呟いたアナスタシアに、シズは何とも言えない顔でそう答えた。




