プロローグ 爆発するのはポピュラーな話ではないと思う
晩秋。
遠くに見える木々の葉も、窓から見える庭の木々も、相変わらず鮮やかに赤や黄色に色付いている。
実りの秋、豊穣の秋。秋を表現する言葉は色々あるが、「とにもかくにも食べ物がたくさんあるのは良い事よ」と以前に馬が言っていたのをアナスタシアは思い出していた。
アナスタシア自身、食べ物がたくさんあるのは良い事だと思っている。
だってお腹がすく気持ちは、さみしくなった時の気持ちと良く似ているからだ。
馬小屋でニンジンをカリカリ食べていた頃も、時々そんな気持ちになった。
(そう言えば、この間の焼き芋、美味しかったなぁ)
そんな事を考えながら屋敷の中を歩いていたアナスタシアは、執務室前に到着した。
かつて父が、少なくとも三年前までは仕事をしていたこの部屋は、今は領主代理としてローランドが使っている。
実のところアナスタシアは、父が仕事をしている姿をあまり見た事がなかった。
――――などと言えば少々語弊が生じるが、単に仕事の邪魔になるから執務室へはあまり近づかなかっただけである。
アナスタシアの父レイモンドは、第二夫人のオデッサが健在であった頃は、バリバリと仕事をしていたらしい。むしろ少々ワーカーホリック気味でありましたよと、使用人頭のマシューが苦笑しながら話してくれた。
しかしオデッサが亡くなってからは、外での仕事を口実に、レイモンドはほとんど屋敷へ帰って来なくなった。
仕事ではなく愛人の所に入り浸っていたのだと、そんな類の噂話は聞こえて来たが、実際のところはアナスタシアには分からない。何と言っても聞く術がないのだ。
領主でなくなった父は無事ではあるらしいが、今どうしているのかと聞くと決まってローランドは言葉を濁す。会って話すには「もう少し時間が必要だと思う」とは言っていた。
会える状態ではないのだろうな、という事はアナスタシアにも理解出来る。
とは言え、もう三年まともに会っていないのだ。急に会った所で何を話して良いのか分からないので、ある意味で時間があるのは良い事なのだろうとアナスタシアは思う事にした。
まぁ、そういった理由で、アナスタシアは父の仕事姿を見る機会はほとんどなかった。
なのでローランドが執務室で仕事をする姿を見て、こういう感じだったのかなぁとこっそり想像している。
さて、そんなアナスタシアだが、そのローランドに呼ばれて執務室までやって来た。
コンコンとドアをノックすると、中から「どうぞ」と落ち着いたトーンの声が返ってくる。
アナスタシアが「失礼します」とドアを開けて中へ入ると、そこにはローランド以外に書類を抱えたライヤーの姿があった。
どうやら仕事の手伝いをしているようだ。
「ああ、呼び立ててすまないな、アナスタシア」
アナスタシアに声をかけ顔を上げたローランドは、その姿を見たとたんに目を丸くする。
「……アナスタシア。君、大変な格好になっているぞ」
それからやや呆れ気味に、今の格好を指摘された。
はて、何か変な装いでもしていただろうかと、アナスタシアはきょとんとした顔で自分の服を見下ろした。
アナスタシアが今着ているのは「汚れても良いよ」と許可が出ている作業用のワンピースだ。
秋らしいコーラルオレンジに、裾には光沢のある緑の糸で植物の葉の刺繍が施されている。
これは屋敷の古いカーテンをロザリーがリメイクしたものだ。
アナスタシアが「作業着があったら便利かなぁ」との独り言を聞いたロザリーが、マーガレットとマシューから使わないカーテンを貰って、気を利かせて作ってくれたのだ。
意外な事にロザリーは裁縫や刺繍が得意らしい。彼女いわく「弟や近所の子に頼まれて、よく作っていたんですよ」との事だった。
その素敵なこと。貰ったとたん、アナスタシアは飛び上がってロザリーに抱き着いた。
着心地が良いし、動きやすいこのワンピースを、アナスタシアはとても気に入っている。
カーテンを選んだマーガレットも「これなら汚れも落ちやすいのですよ」と言っていた。色んな意味で嬉しい一着だった。
ヴァルテール孤児院への贈り物が完成したら、ロザリーのお返しを何か考えようと、アナスタシアはひそかに決意している。
さて、そんな作業用のワンピースだが、今は少々、煤で汚れている。
ついでに言えばアナスタシアの顔も同様で、髪なんてあちこちぴょんと跳ねていた。
まるで爆発にでもあったような姿である。
まぁ『ような』ではなく『実際に』が正しいのだが。
「とりあえず、これで顔を拭きなさい」
ローランドは小さくため息を吐くと、洒落た白色のハンカチをアナスタシアへ差し出した。
色といい、艶といい、一目見ただけで良い布を使っている事が分かる代物だ。施された刺繍の出来も素晴らしい。
「ありがとうございます。でもローランドさん、これ、汚すのがもったいないくらい良いハンカチです」
「ふむ、さすがに見る目があるな。しかし、ハンカチも道具も使ってこそだ。ただコレクションとして飾るだけならば携帯してはいないさ。良いから顔を拭きなさい」
「はーい」
アナスタシアは頷いて、ローランドの厚意を有難く受け取る。
やはり触り心地もとても良いなぁなんて思いながら、アナスタシアはハンカチで顔をごしごしと拭く。
顔を拭き終える頃には、真っ白だったハンカチが今度は煤で黒くなっていた。
(汚れが良く落ちるものを何か考えよう)
などとアナスタシアが思っていると、頃合いを見計らっていたローランドが「それでは」と本題に入った。
「アナスタシア、先ほど君が、馬小屋で起こした爆発の件について話がある。今度は何を作ってああなったんだ?」
「えーと、ヴァルテール孤児院へ贈る予定の簡易式暖炉(仮)の続きです」
「ああ、あれか。その簡易式暖炉(仮)……ところで正式名称は考えないのか?」
若干言い辛かったようで、ローランドがそう聞いてきた。
ローランドの言葉通り、孤児院へ送る予定の発明品は、まだ仮の名前だ。
名前の候補は幾つかあるが、完成までは仮のままだとアナスタシアは決めている。
「考えてはいますけれど、出来てからですね。ほら、完成してからでないと、見た目と内容にギャップが生じる可能性がありまして」
「ギャップ」
「はい。もちろんギャップもまた大事な要素ではありますけれど、作った物に関しては名は体を表すを地で行きたいです」
「それは確かに……確かに? 何やらズレている気もするのだが」
納得しかけて「おや?」と思ったローランドは首を傾げた。
ライヤーはローランドに同意するように「そうですね」と苦笑する。
「話題としてはズレていますけれどね。しかしアナスタシアお嬢さんが起こす爆発の頻度は下がっていますよ。以前は一日に数回でしたか、今では二日に一度ほどです」
「ライヤーさんに褒められました!」
「うん、残念。褒めてはいないんだなー、これが」
「違った……」
ライヤーのツッコミに、アナスタシアは衝撃を受けたように軽くのけぞった。
(この子のショックを受けるタイミングが良く分からない……)
いつぞやと同じような感想を抱くローランド。しかしその様子が少し面白かったようで小さく笑った。
「まぁ、何かを作る上で爆発するのはよくある事だ。しかし、そうであってもどこで爆発させるかは大事だぞ、アナスタシア」
「どこで、ですか?」
「ああ。馬小屋で爆発させては、君も馬も危険だろう?」
「なるほどです! 確かに、馬達の安全は最優先です。三年暮らしていたので、自分の部屋のような気がしていましたが、私は間借りしている身。つい失念しておりました」
アナスタシアがコクコク頷くと、ライヤーがぎょっと目を剥いた。
「いや、爆発するのって、そんなにポピュラーな話ではない気がするんですが!?」
「…………そうだな?」
ライヤーの言葉に、ローランドはしっかり時間をかけて考えたあと、スッと目を反らした。
やや疑問の混ざった語尾だったのでライヤーは、
「監査官、悩んだ末に目を反らさないでください。アナスタシアお嬢さんが爆発の余波で怪我を負ったり、家屋が燃えたりしたら危ないでしょう。ですので爆発は最小限に。そして万が一の時を考えて、消火用の道具を備えておくべきです。お嬢さんだけではなく、監査官もですよ。というか二人揃って爆発がある前提で物作りをしないでください!」
「……君は私の母親か何かか?」
「恐ろしい事を言わないでください」
冗談かどうか分からないローランドの言葉にライヤーが半眼になる。
それからコホン、と軽く咳ばらいをすると、
「確かにクライスフリューゲルには『失敗は成功の星である』という言葉もありますが、俺にはそれよりも怪我の方が心配です」
と、言葉通り心配そうな眼差しでそう言った。
この国、クライスフリューゲルには『失敗は成功の星である』という言葉がある。
発明や道具作りが好きなアナスタシアにとっても、馴染みある言葉だ。
例えば初めての試みや、新しい発明品を世に生み出そうとした時、最初から完璧に成功するなんて事は稀だ。
さあやるぞ、と意気込んで取り掛かった一度目で失敗するのは、そう難しい事ではない。
何度も何度も失敗と試行錯誤を繰り返した先で、成功と言う扉は開かれるのだ。
まぁそんなわけでアナスタシアもそれなりの頻度で失敗をしている。
数えれば成功の回数よりそちらの方が多いくらいだ。
普段さしてトラブルを起こさないアナスタシアだが、こと発明に関しては話が別になる。
ローランド達がやって来る前だって、屋敷の部屋で何かを作っていて変なにおいを漂わせたり、ごくごく軽く爆発を起こしていたアナスタシアだ。
気兼ねなく発明が出来るようになれば爆発の回数は増える。もっとも爆発に関して言えば、使っている素材が原因となっている部分も大きいのだが。
ちなみに一番大きい爆発は馬小屋の屋根に軽く穴が開いたくらいで、被害事態はそれほど深刻なものはないのが現状だ。
しかし爆発は爆発である。
物作りが好きなローランドは共感できる部分もあるらしいが、騎士であるライヤーからすると護衛対象の二人に何かあってからでは遅いのだ。
なのでアナスタシアが爆発を起こすたびに、やや説教っぽい話を二人にするようになったのだ。
「でもね、アナスタシアお嬢さん。さっきも言ったけれど、回数が減ったのは進歩だと思うよ。その調子で爆発の回数と規模を減らしていってくれると俺が嬉しい」
「爆発を減らすとライヤーさんが喜んでくれるのですか?」
「そうだね、喜ぶ、すごく嬉しい」
「……分かりました、善処します!」
ライヤーの言葉に、アナスタシアは少し考えた後、ぐっと拳を握って頷いた。
誰かが喜んでくれるのは、アナスタシアも嬉しいし好きだ。
それならもう少し気を付けて頑張ろうとアナスタシアが思っていると、ローランドは感心したように「上手いな」などと言いながら数回頷いていた。
「では、爆発に関しては以上になる。ほどほどに気を付けるように」
「はーい!」
アナスタシアが元気に答えると、ローランドとライヤーは微笑んだ。




