第十九話 従うだけが忠誠ではなく
「――――あれ?」
そろそろ孤児院が見えてくるであろう頃。
周囲に建物が少なくなってきた場所で、アナスタシアは急に、ひやり、とした空気を感じて立ち止まる。
先ほどまでは程よい気候であったののに突然これだ。アナスタシアは首を傾げる。
「……妙に寒いな」
シズも感じているらしく、そう呟く。
まるで雪が降りだす時のようだ。アナスタシアはそう思って空を見上げたが、青色が広がっている。
その瞬間、その空に氷の膜のようなものが張った。
否、空だけではない。
音を立ててアナスタシアたちの周囲が青く輝く氷で覆われた。
反射的にシズが剣の柄に手を当てて、周囲を見回す。そして一点に目を向けた。ちょうどアナスタシアの背後だ。
シズはそのままアナスタシアを庇うように二歩、そちらへ足を踏み出す。
そこには一体いつ現れたのだろうか――そこにはまるで置物のように微動だにせず、ずっしりと立つホロウの姿があった。
ガントレットに覆われた手には、彼の得物である槍が握られている。
「……ホロウさん?」
別れた時の明るさとは打って変わって静かな様子のホロウに、アナスタシアは訝しんで呼びかけた。だが返事はない。
『主? どうされたのです?』
主の様子に誰よりも動揺しながらコシュタ・バワーも声をかける。
するとホロウは初めて、まるで顔を上げるように僅かに体を動かした。
「アナスタシア・レイヴン。――――貴様らが、この地の領民を苦しめていたと聞いた」
返ってきたのはコシュタ・バワーに対するものではなかった。
低く、良く響くその声には堪えようのない怒りが滲んでいた。
「この領都の者たちが教えてくれた。そして誰もが同じことを話してくれた。レイヴン伯爵家は、この領地の民をずっと蔑ろにし、苦しめていたと!」
音が聞こえるほどに強く槍を握りしめ、ホロウは怒鳴る。
ホロウから怒りの感情を向けられたのは二度目だ。
しかし最初の混ざり気のない怒りとは違い、今ホロウから感じられるのは落胆や絶望、そして裏切られたという悲しみが混ざっている。
徐々に荒くなるホロウの声から滲む複雑に混ざり合った怒りの感情が、氷の壁に覆われた周囲の空気をビリビリと震わせた。
「領民を守る立場にあるはずの者が、守るべき者を虐げるなど言語道断! ああ、ああ、やはり! やはり悪党など信用するのではなかったッ!」
『主、お待ちください! 違います、違うのです! 主とて、アナスタシア殿やシズ殿が、悪さをする人間ではないと感じられていたではありませんか!』
コシュタ・バワーは必死にそう訴えるが、ホロウは聞く耳を持たない。
それどころか「黙れ」と言うように、握った槍の石づきで地面を思い切り打ち付ける。
「ああ、そうだ。そうだとも! だからこそ余計に、騙された自分に腹が立つのだ! 悪党は平気で嘘を吐く、それを忘れていた吾輩はとんだ間抜けだった! もはや慈悲も猶予も不要、罪なきユニコーンを私欲のために攫い、守るべき民を苦しめるその所業! このホロウ・デュラハンが裁いてくれる!」
ホロウは吼える。
それから幾らかトーンダウンした声で、
「――――相違ないか」
とアナスタシアに向かって問いかけた。
見えない視線がアナスタシアに真っすぐに向けられている。
威圧すら感じられる騎士の眼差しからアナスタシアは目を逸らさなかった。
アナスタシアは図太くて、世間の色々にはまだ疎い。人間と関係を築くより、馬と仲良くなる方が気楽で得意な子だ。
しかし――――得意でなくとも、決して放棄したりはしない。
真剣に向けられた言葉には真摯に返す。正直者の馬たちから、アナスタシアはそれを学んだ。
だからホロウの言葉に、アナスタシアはそう返す。
「一部、同意します。レイヴン伯爵家は領民を苦しめていました。領民が困っていても、伸ばされた手を振り払っていました。きっとローランドさんが止めて下さらなければ、今もまだ、そうであったでしょう。私は諫めもしなかった。領民に対して課した重石に、何もしなかった私は同じです」
シズが気遣わしげな視線を向けたが、その言葉を止めることはなかった。アナスタシアが真剣であったからだ。
ホロウも何も言わず、アナスタシアの言葉を黙って聞いている。
「そんな私にローランドさんは、国は、そして領民の皆さんはチャンスを下さいました。何より私が宣言したんです。レイヴン伯爵家の人間として、この領地を守る責任があると。私が、アナスタシア・レイヴンとして選んだのです」
なので、とアナスタシアは続ける。
「今ここで、ホロウさんに裁かれるわけにはいきません。私にはやりたい事があります」
「やるべきことではなく?」
「領主とは義務で成るものではありません。理想を実現するために、己の意志で目指すものです。私はそう考えます」
はっきりとアナスタシアは答えた。
そのひと言に空気が変わる。ホロウに真っすぐ視線を向けているので見えなかったが、それでもシズが笑顔になったのが分かった。
ホロウの表情は分からない。けれどハラハラと主を見つめるコシュタ・バワーの様子からすれば、見えぬ面持ちは強張ったままなのだろう。
「……領主が夢を見るか」
「夢を見ない人はいませんよ。ですのでそれが悪夢にならないように、見ていて下さるとありがたいのですが」
アナスタシアの真っすぐな誘いに、首無し騎士は言葉を詰まらせた。
甘い。
そう一言で切り捨てられるほどに、アナスタシアの言葉は子供らしいそれだった。
しかしホロウにはその言葉がどうしても出てこない。
当然だ。だってホロウは知っている。目の前のチグハグで図太いこの子供は「出来ない約束はしない」堅物なのだと。
他でもないホロウ自身がそう称したのだ。
「――――良かろう。ならば、勝って証明してみせよ。妖精騎士の断罪の槍は、悪党のみを貫くもの! 貴様らがみごと吾輩を打ち負かす事が出来たなら、悪党ではないと認めようではないか! 煮るなり焼くなり好きにすると良い!」
ホロウはそう言い放ち、槍を持ち上げ、その先をアナスタシアとシズへ向けた。
ビュン、
と風を切る音が響く。
『主……』
それを見て、コシュタ・バワーは困惑した声を漏らす。
どうすれば良いのか迷っているようだ。アナスタシアはコシュタ・バワーに向かって、にこりと笑って見せる。
「コシュタ・バワーさん、お好きに。コシュタ・バワーさんがホロウさんとご一緒なら、ちょうど二対二です。ホロウさんが望む正々堂々です。大丈夫、構いません」
『アナスタシア殿……』
「まー、できれば味方でいてくれる方が、シズさんは嬉しいけどね!」
シズも冗談めかしてそうウィンクする。
コシュタ・バワーが主を――大事な人を思う気持ちはシズにも共感できるのだろう。
だから強要しない。どう選んでも責めはしない。そうはっきりと告げるアナスタシアとシズに、コシュタ・バワーが息を呑んだ。
そして。
『……いいえ。私は、こちらに。主を諫めるのも、主を守るのも、ただ従うだけでは叶いません! あの時、星に首を差し出した時のように!』
コシュタ・バワーは叫ぶ。
『私は主にもう苦しんで欲しくないのです! 私は百年ずっと、悪夢にうなされ囚われ続ける主を見続けてきました! 悩んで、苦しんで、答えの出ないまま生きてきたホロウ様に、安息を得て欲しいからここへ来たのです!』
コシュタ・バワーは声を張り上げる。ずっとため込んでいた胸の内を吐き出すように、ホロウに向かってぶつけ続ける。
『ここの方々は受け入れて下さった! どのような姿であっても、逃げずに接して下さった! 私はそれがとても嬉しかったのです。我々を受け入れて何気ない話をしてくださった方が、この百年、どれだけいたでしょう。私はここの皆様が大好きです。ここで再びホロウ様が笑っていらっしゃったことがとても嬉しい! だからアナスタシア殿とシズ殿の味方をします。この方々は悪党ではない。主、あなたを負かして、ここにいる理由を無理やりにでも作ります!』
そこまで一気に言い放つと、コシュタ・バワーは息切れしたように、ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返す。
ホロウは驚いたように立ち尽くす。シズは小さく笑った。
「良い相棒じゃないか、ホロウ・デュラハン」
「ええ。とても格好良いです」
シズの言葉にアナスタシアは頷く。心なしかホロウの背筋が伸びた気がした。
コシュタ・バワーはアナスタシアとシズに、
『アナスタシア殿、シズ殿。どうか』
「ええ、承知しました。私はホロウさんとコシュタ・バワーさんの出身地を伺いました。元は別の領地でも、今はレイヴン伯爵領です。私はレイヴン伯爵家の一員として、領民を守る責任があります」
「俺もアナスタシアちゃんを守る責任がある。よろしくな、コシュタ・バワー!」
『はい!』
コシュタ・バワーは明るく、力強くそう答える。
そしてアナスタシアへ歩み寄ると、す、とやや体を屈めた。
どうやら背中へ乗れと言っているようだ。アナスタシアがシズを見上げると笑顔で頷いている。
アナスタシアがコシュタ・バワーの背に乗って、再びホロウの方を向く。
「お覚悟を」
『ぬかせ』
短い言葉のやり取り。
――――『決闘』の始まりだった。




