第十一話 時化の船出にシーサーペント
ホロウが屋敷へやってきて二日過ぎた。
屋敷に来た当初は、ホロウのその姿や第一印象があまり良くなかったので、ギクシャクはしていた。
しかし決闘云々が絡まなければ、これが意外とホロウは良く働いてくれていた。
雇った名目は騎士だったが半分は客人扱いである。屋敷の警護以外に荒事がなければ、そんなに忙しくはない。
なのでホロウは暇な時に庭掃除や草むしりなど、そういった作業を率先して手伝ってくれた。
アナスタシアも自分が誘った手前、ホロウが周りとうまくやれるか少し気にしていたが、二日ですっかり馴染んだようだ。コシュタ・バワーも同様で、馬小屋で他の馬達と仲良く、穏やかに過ごしている。
今朝なんてアナスタシアが馬小屋から屋敷へ戻ってくると、使用人達と談笑しているホロウを発見したくらいだ。
もともと社交的な性格なのだろうが、それにしてもあの第一印象をこうもあっさり上方修正出来るのは才能とも言えるのではないだろうか。
――――しかし。
それにしても羨ましい。実に羨ましい。自分もあの距離の詰め方を学びたい。
そんな話を屋敷の執務室へ行ってローランドに話したら、
「君が先に学ぶのは、距離の詰め方ではなくこちらだ」
と、どっさりと勉強用の本を積まれたのは、つい今しがたの話である。
「これがいわゆるウミヘビ……」
「ふむ。正確には『時化の船出にシーサーペント』だな」
アナスタシアの言葉にローランドが軽く頷いて補足する。
時化の船出にシーサーペントとは、この国で伝えられている格言だ。
海が荒れた日に無理に船を出そうした男が、出航した直後にシーサーペントという大海蛇の危険種に襲われたという話から、不用意なことをすればかえって悪いことが起こる、という意味合いで使われるようになった。
長いので『ウミヘビ』と省略されるのが一般的であるが、知識としては正式な形で覚えておく方が良い。
いかんせんアナスタシアは馬から教わった知識が多く偏っているので、ローランドは日常的な会話の中で、訂正や補足をしているのだ。
「それよりもアナスタシア。君は昨晩も馬小屋で休んだのか?」
「はい。あそこが私のフィールドです。あそこならば負け知らず」
「本当に何と戦っているのだね、君は」
「人生の荒波?」
「時化とかけたのか……上手いな」
アナスタシアの返答にローランドが感心したように頷いた。
褒められたアナスタシアは嬉しかったようで笑顔になる。それからちらり、と執務机の上に積まれた本の山を見た。
アナスタシアは勉強自体は嫌いではない。むしろ新しい知識が増える事は好きな方だ。まぁそれでも一日の気力には限界がある、という事である。
もっともローランドもこの山を一日に勉強しなさいとは言わないので、とりあえずしばらくはこの内容で行くぞ、と言っているだけなのだ。
さて、この本の山。
タイトルから察する内容としては、主にレイヴン伯爵領での記録や、この国の歴史などが纏められているもののようだ。
自分の目線である下から順に読んでいたところ、ふと、一番上のタイトルに目が留まった。
それは本、というか手作りの資料集といった様子で、紐で綴られていた。
「ローランドさん、その一番上の本は何ですか?」
「ああ。これはアーデン伯爵領についてまとめた資料だ」
「アーデン伯爵領?」
どうやら他の領地の資料らしい。そう言えば、以前ライヤーが「旧アーデン伯爵領の事で」と言っていたのを思い出した。
それが絡んでいるのだろうか。まぁそれはともかく、他の領地のことを良く知らないアナスタシアは目を輝かせる。
「アーデン伯爵領とは、どんな領地なのですか?」
「ああ、いや。期待させて悪いが、今はもう存在しない領地だ」
楽しそうな表情のアナスタシアを見て、ローランドは少しだけバツが悪い顔になった。
存在しない領地と聞いて、アナスタシアは「え?」と目を瞬く。
ローランドはその資料を手に取ると、静かに開いた。
「レイヴン伯爵領の北の地は、もともとはアーデン伯爵領の一部だった」
「だった、ですか?」
「ああ。当時のアーデン伯爵領で起きたとある出来事により、領主一族は絶え、その領土は周辺の領地に吸収された」
ローランドはそこまで話すと「いや」と目を細める。
「出来事では生ぬるい。アーデン伯爵の暴挙や、ブランロックの悲劇、と言われている」
そう言葉にしたローランドの目にはうっすらと、憐れみの色が混ざっていた。




