第二話 割と快適な暮らしでしたが
大勢の騎士を伴ってやってきた監査官を見て、第一夫人はヒステリックな声を上げた。
そして彼女の息子達もまた同じように怒りの形相で彼らを追い返そうとしたそうだ。
監査官や騎士は最初はじっと我慢していたが、何を血迷ったか第一夫人の息子達が家を守る騎士――これも雇われたてだが――に命令し、彼らに攻撃を加えた。
剣ではなく拳という辺り、少し配慮したのかもしれない。
だがまぁ結果は同じである。
殴られた騎士側は「待ってました」と言わんばかりにイキイキと動き出したのだ。
実際に手を挙げるまで動くなと命じられていたのだろう。
監査官が「やれやれ」と呆れ顔で指示を出すと、伯爵邸はあっという間に騎士によって制圧完了となる。
古くから仕えていた騎士がいれば話は違ったかもしれないが、何ぶん評判を落とした伯爵邸に雇われるような騎士である。
仕方がないとは言えど「幾らなんでもボロボロ過ぎない?」と騎士の一人は思ったと言う。
さてまぁ、そんな騒動が起きていた頃、アナスタシアはどうしていたかと言うと。
何とまぁ図太い事に馬小屋で夢の中にいた。
魔法仕掛けの発明に夢中で徹夜して、寝るのが遅かったのである。
図太くともアナスタシアはまだ十歳の子供である。徹夜しても早起きできるほど大人ではなかった。
そうして随分とゆっくり眠っていたアナスタシアは、お昼前くらいに目を覚ました。
ちょうど制圧が終わりかけた頃である。
何だか騒がしいなぁと今さら思いながら目を覚ましたアナスタシアは、今日も馬のご飯を分けて貰っていた。
ニンジンをカリカリ食べているアナスタシアを見る馬達の眼差しは優しい。
長く一緒に暮らしている事で仲間意識というか、子供みたいにというか、そんな風に思われているようで、眼差しだけではなく実際に馬たちはとても優しかった。
アナスタシアがニンジンを食べていれば「こっちのも食べなよ」と言わんばかりに、自分のニンジンを銜えて差し出す馬もいる。
放り込まれた馬小屋であったが、アナスタシアは優しい馬達に囲まれた快適な毎日をとても気に入っていたのである。
正直、一生この暮らしでも良いなぁなんて思うくらいに。
そんな事をぼんやりと考えながらニンジンをカリカリしているアナスタシアだったが、その耳にふと、知らない声が聞こえてきた。
「……おいおい、レイヴン伯爵の娘が本当にこんな場所にいるのか? どう見ても馬小屋だぞ?」
「いや俺も半信半疑なんですけどね。でも問い詰めたら馬小屋にいるって言われちゃったし、一応見ておいた方がと思って」
「はぁ……そもそも何で馬小屋なんだ? もしかして、俺達に見つからないように隠したのか?」
「いや、それはないと思いますよ。どっちかって言うと、存在を忘れていたような顔をしていましたし」
そんな話をしながら、二人組の男性が馬小屋へ入って来た。
また新しい人でも雇われてきたのかなぁなんて思いながら、アナスタシアはそちらを見る。
目が合った。
騎士たちの目が点になる。
まぁ、頭に藁をつけて、寝ぼけ眼でニンジンを食べている少女が馬小屋にいれば、それは驚くだろう。
「……なぁシズよ。まさかアレじゃないよな」
「いやぁ、ライヤー隊長、さすがにまっさかぁ」
騎士たちは苦笑いを浮かべながら近づいて来る。
アナスタシアは、どうやら自分に用事があるようだと思い、食べていたニンジンを置いて立ち上がった。
騎士たちはアナスタシアの前まで来ると、にこやかに笑う。
「こんにちは、お嬢さん。君はアナスタシア・レイヴン、で合っているかな?」
「ええ、はい。アナスタシア・レイヴンです。どうぞ、ご贔屓に」
名前を問われたアナスタシアはうろ覚えのカーテシーを見せると、騎士たちがポカンとした顔になった。
(礼儀作法、間違えたかしら。随分長い事やってなかったからなぁ)
まぁとりあえず、やってしまったものは仕方がない。
アナスタシアはスカートの裾から手を放すと、騎士たちを見上げた。
「私に何か御用でしょうか?」
「あ、ああ、えっと……もう一度聞くけど、本当にアナスタシア・レイヴン、で合っているんだよね? レイヴン伯爵の……」
「ええ、はい。レイヴン伯爵は私の父です」
こくり、と頷くと騎士たちはいよいよ困惑した顔になる。
「あの、君はどうしてこんな場所にいるんだい……?」
「ああ、元は屋敷にいたんですが、諸事情で部屋が移動になりまして」
「移動」
「はい、移動です。なかなか快適なのです」
これは本心である。
アナスタシアがにこりと笑ってみせると、騎士達は揃って口を押えた。
「た、隊長……ッ!」
「分かっている、皆まで言うな!」
何やら涙目になっている気もする。
ここの臭いが辛いのだろうか、そんな風にアナスタシアが思っていると、片方の騎士にがしっと肩を掴まれた。
あまりない感触にアナスタシアの身体がびくりと跳ねる。
「もう安心して良いからな……!」
騎士達はそう言うと、アナスタシアをひょいと抱き上げて馬小屋を出た。
あれあれと思っているアナスタシアの後ろでは、馬達が「待てやコラァ」と言わんばかりの視線を向けていたが。
まぁ、そんな視線に気づきもせず、騎士達はそのまま彼らの上司である監査官の元へと走った。
乗り心地が悪いなぁなんてアナスタシアは失礼な感想を抱いたが言葉にはしない。
そうして目的地へ到着すると、監査官は騎士たちの様子とアナスタシアを見て目を丸くした。
色素の薄い金髪の、大変綺麗な顔の男性である。
やや神経質そうな顔立ちだが、これは女性にモテるのだろうなぁとアナスタシアは思った。
「君たち、一体どうした。……その子は?」
「はっ! レイヴン伯爵のご息女のアナスタシア様になります!」
「ローランド監査官! 聞いてください、実は……」
監査官の名前はローランドと言うらしい。
騎士たちはローランドに向かって、自分たちが見聞きした内容を話す。
二人の様子に、周りにいた騎士たちも「なんだなんだ」と集まって、その話を聞いていた。
「馬のニンジンを食べていたんですよ!」
「馬小屋でずっと生活していたらしいんです!」
そう訴える騎士達に、周囲の騎士達も涙ぐんでいる。
当の本人であるアナスタシアは、なんだか大事になったなぁなんて思っていた。
二人の話を聞き終えたローランド、なにやら深く息を吐く。
「……なるほど、そういう事か。この屋敷の元使用人達から、アナスタシアお嬢様だけは助けてやってください、と手紙が届いている」
「監査官、それでは……!」
「ひとまず事情を聞くだけ聞かせて貰うが、その子に咎が行く事はないだろう」
「やった!」
ローランドの言葉に騎士達は自分の事のように喜ぶ。
そしてポカンとしたままのアナスタシアに向かって、
「辛かったな! もう大丈夫だぞ!」
と白い歯を見せ笑いかけ、頭を撫でた。
特に辛い事はなかったけどなぁなんてアナスタシアは思いながら、頭を撫でられたのがずいぶん久しぶりだったため、嬉しくなってニコリと笑った。