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馬小屋暮らしのご令嬢  作者: 石動なつめ
第十一章 時告げの邂逅
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第十三話 それを人は本能と呼ぶ


 狭く薄暗い路地で、テオと男の氷の魔法がぶつかり合う。

 氷と冷気が辺りを満たす中、少しずつ過去の記憶が蘇り始める。


 テオはアーデン伯爵領の貴族の血を引く両親の間に生まれ、アーデンのために生きるよう育てられた。

 そこに自由も選択もない。些細な失敗も許されず、与えられた仕事をこなした時だけ、両親は褒めてくれた。


 だからテオは両親から褒められたくて、彼らから言われた通りに振舞った。そうしている内に、自分の感情も、両親や周りの期待(・・)に合わせるようになり、いつしか顔からは表情が消えた。


 まるで人形のようだと揶揄されたのは、果たしていつからだったろうか。気が付いた頃には、テオは自分で何かを選ぶことも、望むこともしないようになっていた。 


 けれどレイヴン伯爵家に来て、記憶こそなかったものの、自分が変わり始めたことにテオは気が付いた。

 最初は戸惑う気持ちの方が大きかった。けれども、それは決して不快ではなかったのだ。


(ああ、私は――楽しかったんだ)


 記憶を取り戻した今なら分かる。

 テオは生まれて初めて『楽しい』という感情が、自分の中に芽生えたのだ。


(アレンジーナが言っていた言葉も、アナスタシア様やシズの言葉も、メレディスやヴァレリー様の言葉も――ヴィットーレの言葉も今なら分かる)


 テオはぐっと奥歯を噛みしめる。


(自分で選択すること。私はそれを、ずっと放棄してきた。私は本当に――アーデンの人形だった)


 目尻から零れた涙の粒が、冷気の風で凍り、宙を飛ぶ。


(忘れたままでいたかった……!)


 これまで過ちを犯し続けてきた自分が、こんなことを言う資格なんてないことは分かっている。

 けれど、そう思ってしまうくらいに、彼女たちと過ごした短い時間は、テオにとっては幸福だったのだ。

 優しい日々だった。あんなにも穏やかな時間を過ごしたことなんて、テオにはなかった。


「お前まで裏切るのか!? 一番忠実だったお前まで!」


 男は昂った感情のまま、そう怒鳴ってくる。

 彼の怒りは魔力に乗って、本来以上の鋭さを持つ無数の氷の刃を作り出す。

 その氷の刃は、テオとジェーンの頭上で、円を描くように浮かび上がった。


「て、テオ兄ちゃん……!」

「大丈夫です」


 背中越しに聞こえる、ジェーンの震える声にテオは力強く返す。

 自分が庇えば、この子供一人くらいは、何とか守れるだろう。

 そう思った時、


「俺たちはお前のせいで……お前のようになれと言われてばかりなのに!」


 男の恨みのこもった叫びが、テオの耳を貫いた。


(分かっている。分かっているんだ、それは。それだけが自分の、人形だった自分がただ一つ、胸を張って誇れることだった)


 それすら手放して、一体自分は何をしているのだろう。

 テオはそう自問自答する。

 その時ふと、頭にとある言葉が蘇った。


『テオにもいつか分かりますよ。人生を変えるくらいの出会いをすれば、きっと』


 テオは目を見開いた。

 ああ、とつぶやく。

 もしかしたらこれが、そうだったのかもしれない。


「裏切り者は死ねっ!」


 男の怒声と共に、氷の刃がテオとジェーン目がけて、勢いよく落下する。

 テオがジェーンを守るように両手を広げ、


「ふんっ!」


 ――当たる、と思った瞬間。

 突然目の前に現れた首無し騎士の槍が、氷の刃をすべて薙ぎ払った。


「ホロウ・デュラハン……?」

「何とか間に合ったか」


 テオがぽかんと口を開けた。


「何故、あなたが」


 吹く風に、ホロウのマントがぶわりと揺れる。


「ローランド殿と、其方自身の行いに感謝すると良い。吾輩は其方の監視役だ」


 その言葉は決して優しいものではない。

 けれど彼の声はまるで、テオを褒めているように温かかった。



 ◇ ◇ ◇



 ホロウが男を拘束したのと、ほぼ同じタイミングで、アナスタシアとシズがその場に駆け付けた。


「ジェーンさん、テオさん、ご無事ですか!」

「ジェーン、大丈夫かっ!?」

「う、うん。大丈夫。テオ兄ちゃんが、うちを庇ってくれたから」


 まだ少し震えているようだが、ジェーンは笑ってそう言った。

 アナスタシアとシズがほっと息を吐く。


「ホロウ・デュラハンだと……!? こんな奴まで巻き込んで……っ! 裏切るにしても、やり方があるだろうが……!」


 テオたちを襲っていた男は、ホロウに拘束され、地面に押さえつけられながらも、血走った眼で怒鳴っていた。

 その言葉にテオは僅かに目を伏せる。

 アナスタシアはちらりと横目にそれを見つつ、静かに男の方へ近付いた。


「『裏切った』は間違いですよ。彼は記憶を失っておりますので。ですから、そうですね……」


 そこでアナスタシアはしゃがんで、


「あなたが軽はずみな行動を取らなければ良かったのでは?」


 にっこりと微笑みかける。

 男がヒュッと息を呑んだのが分かった。

 するとすぐそばで聞いていたシズが、


「ローランド監査官にちょっと似てきたなぁ……」


 困り顔で苦笑していた。

 アナスタシアにとっては誉め言葉である。

 フフ、とアナスタシアは小さく笑って立ち上がり、テオの方へと振り向いた。 


「テオさん。ジェーンさんを守ってくださって、ありがとうございます」

「いえ、私は……」

「ありがと、兄ちゃん! 魔法、めちゃめちゃ上手じゃん! すごかったー!」

「……っ」


 アナスタシアとジェーンがお礼を言うと、テオは明らかに動揺し始めた。

 表情は暗い。彼はふらふらと後退りながら「……違う」と首を横に振る。


「違う、違う、違う、違う……! そんなんじゃない、私は、そんな人間じゃないっ!」


 テオは頭を抱えて叫んだ。

 かけていた伊達眼鏡が、かしゃん、と音を立てて地面に落ちた。


「に、兄ちゃん?」

「ただ、体が動いただけです。そうしようと思って動いたわけじゃない。私が考えて、動いたんじゃない。選択したんじゃない! 私は、あなたたちに褒められるような人間じゃない……!」

「お、おい、テオ? 大丈夫か?」


 (かぶり)を振りながら後退るテオ。

 それを見て、アナスタシアは一歩ずつ、テオが下がった分だけ近付いた。 


「テオさん。生き物はそれを『本能』と呼びます」


 そして静かにそう語りかけた。

 テオの動きが一瞬止まる。


「本、能……?」

「そうです。自ら選ばなくても、学ばなくても、生き物が誰しも最初から、自分の中に持っているものです」


 アナスタシアはそこでいったん言葉を区切り。


「あなたの本能は、とても優しいものですね」

「――……っ」


 そのとたんにテオはくしゃりと、泣きそうな顔になる。

 次の瞬間、彼は右手を勢い良く横に振った。

 すると彼の手が動いた場所から、しゅわ、と白い霧が現れる。

 魔法だ。直後に、走り去るような靴音が聞こえてくる。


「テオさん!」


 反射的に、アナスタシアはその靴音を追いかけて走り出した。


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