第十二話 ただ体が動いた
その日、アナスタシアはシズとテオの三人で、件の鍛冶屋へ向かっていた。
昨日、修理が終わったとの手紙が届いたのである。
「楽しみですねぇ」
「そうだねぇ」
「お二人が楽しそうで何よりです」
そんな話をしながら、三人は領都の通りを歩く。
(テオさん、以前よりも表情が柔らかくなりましたね)
アナスタシアはそう思いながら、そっと彼を見上げる。
テオは最初の頃と比べて、見て分かるくらいには、表情が変化するようになった。会話にも自分から参加してくれる。
良い傾向だとアナスタシアは思うが、同時に、何かに悩んでいるような様子も見るようになった。
(記憶が戻ったかどうかは、テオさんは何も言いませんが……)
戻っていなかったのなら、戻りかけているのだろうとアナスタシアは思っている。
ローランドもそれが分かっているようで、ホロウたちにテオの監視を、今まで以上に気を付けるよう指示を出していた。
大丈夫だと楽観視はできないが、大丈夫だと願いたい。
そんなことを考えて歩いていると、
「あっ、ナーシャお嬢さんだ」
呼びかけられて足を止める。声の方を見れば、ジェーンがいた。
どうやら買い出しの最中らしい。膨らんだ鞄を持った彼女は、こちらに向かって元気に手を振っている。
「ジェーンさん。ハンスさんからの頼まれごとですか?」
「そうそう。今日さ、お昼にオムライスを作るんだって」
「オムライス」
するとテオがぴくりと反応した。心なしか、ソワソワした様子が感じられる。
それを見てシズがくすりと笑った。
「テオ、オムライス好きだな~」
「美味しいですから」
「あはは、美味しいよな~。うちもオムライス好きだよ~。ケチャップで絵を描くともっと美味しい!」
「やはりそうなのですか」
「そうそう。テオ兄ちゃんもやったことある?」
「はい」
「テオさん、絵がとても上手なんですよ」
「へぇ~! 見たいな~」
和やかにそんな話をした時、ぶわり、と強い風が吹いた。
するとテオの帽子が空高く飛んだ。そのまま風に乗って、時計塔の方まで飛んで行ってしまう。
「お借りした帽子が……」
「ありゃ、だいぶ飛んだね。うちが拾ってくるよ。兄ちゃん、これ持ってて!」
ジェーンは荷物をシズに渡し、時計塔へ向かってタッと走って行く。
声をかける暇もなかった。
追いかけようとアナスタシアが思った時、
「ジェーン、待ってください。私が行きます! アナスタシア様、失礼します! すぐ戻ります!」
テオが駆け出した。
アナスタシアとシズは目を丸くする。彼が指示を仰がずに、自分から行動したことに驚いたのだ。
「あ、おい――!」
シズが制止の声を上げたが、テオには届かなかった。
◇ ◇ ◇
帽子は、時計塔の途中にある、窓の柵に引っ掛かっていた。
あれを取るのは苦労するだろう。そう思いながら、テオはジェーンを探して周囲を見回す。
「ジェーン、どこですか?」
呼びかけるが返事はない。もうすでに、時計塔の中に入ってしまったのだろうか。
ジェーンは、ヴァルテール孤児院の子供たちの中では、一番運動神経が良く、走るのも速いのだ。
(私も……)
一応、時計塔に上がってみよう。
そう思って向かおうとした時、急に、腕を引っ張られた。
テオがぎょっとしている間に、路地に引きずり込まれる。男だ。
「何を――」
「テオ、お前は一体、どういうつもりだ? いつまでのんびりしている」
抗議の声を上げるより先に、男は眉根を寄せ、テオを咎める。
一瞬、男が何を言っているのか、テオには分からなかった。
「……あなたは?」
「何をとぼけて……いつまで演技を続けているんだよ」
男はため息を吐いて、
「上手くレイヴン伯爵家に入り込んだとは思ったが、ちっとも動こうとしない。報告もない。メレディスとヴァレリーの処分は終ったのか?」
そう続けた。
その言葉を聞いて、テオは理解した。
(ああ――だからか)
記憶は、まだ取り戻せない。
けれどアナスタシアたちに、警戒されている理由は理解した。大まかな事情こそ聴いていたものの、今一つ分かっていなかったことが、ようやくストンと腑に落ちたのだ。
テオは動揺を表情に出さないよう努めないがら「ええ、まぁ」とだけ曖昧な返答をする。
すると男はどう解釈したのか、表情を緩めた。
「そうか、死ななかったのは儲けたな。なら、さっさと次の行動に移れ……って、何だ、拘束用の魔法道具か。はぁ、これじゃ不便だな……ちょっと貸せ」
男はテオの腕を掴むと、呪文をぶつぶつと唱える。
するとテオの左右の手首に嵌められた魔法道具のブレスレット、その僅かな隙間から、冷気を放つ氷が入り込み。
徐々に細かなヒビを作り出したと思ったら、パキン、と音を立てて、ブレスレットが粉々に砕けた。
(相変わらず、この魔法は便利――……便利?)
テオは内心、首を傾げた。どうしてそう思ったのだろうか?
しばらくぶりに軽くなった両手をぼんやりと見つめながら、テオの頭に疑問が浮かぶ。
(それに自由になった、はずなのに……どうしてさっきよりも重く感じるんだ?)
「これでいいだろう。ほら、さっさと次の行動に移れ」
そんなテオの心情に気付かず、男はそう続けた。
「次……ですか?」
「……お前、本当に大丈夫か? 普段から人形みたいにぼんやりした奴だったが、より酷くなっているぞ」
「――――」
ずきっ、と頭が痛んだ。
人形という言葉を聞いたとたんに、口の中に苦さが広がる。
理由は分からない。分からないが、恐らく自分の記憶が関係している。
(私はこれを――言われたことがある)
テオはそう確信した。
そして、その言葉を不快に感じたことがあるのだ。
ずきずきと頭痛が続く。歪に閉じられていた記憶の扉が、今にも開きそうになっている。
(思い出したくない……!)
テオの心がそう叫ぶ。
今すぐにこの場から、みっともないくらいの悲鳴を上げて逃げ出したいくらいに、テオは記憶を取り戻すことへ恐怖を覚えていた。
その時だ。
「テオ兄ちゃーん。おっかしーな、上から見えたんだけど……おーい! 兄ちゃーん! 帽子あったぞー?」
ジェーンの声が聞こえた。
ハッとして顔を向けると、太陽の光に満ちた通りから、ちょうどジェーンが顔を出した。
「あっ、いた、テオ兄ちゃ……」
彼女はテオを見つけて笑顔になる。
しかし、その直後、一緒にいる男を見て状況がおかしいと察したのか、戸惑うような表情になった。
「来るなっ!」
そんな彼女にテオは叫ぶ。ほぼ無意識の行動だった。
自分でも驚くほどに焦った声が出た。
ジェーンも吃驚した顔になる。
「テオ、あの子供は?」
「関係ありません。ただの子供です。放っておいてください」
「そうか。だが、お前を知っていて、俺の顔を見られたからには放置はできないな」
「まっ――」
男はテオを乱暴に横へどかすと、右の手のひらをジェーンへ向ける。青い光を伴った魔力が、ぱちぱちと集まり始めた。
(魔法――――!)
テオは目を見開いて、
「自分の運の悪さを後悔するんだな、お嬢さん」
「――――っ、やめろっ!」
男に体当たりをして、ジェーンとの間に、体を滑り込ませる。
突然のことに男は踏ん張りがきかず、路地の壁へ、強かに体を打ち付けた。
「……っ!? 何故邪魔をするんだ、テオ!?」
「うるさいっ!」
問われても、テオには理由が分からない。
ただ体が動いた。
――動いてしまったのだ。




